くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「生きのびるための犯罪(みち)」上岡陽江+ダルク女性ハウス

2013-02-07 21:30:09 | 自然科学
 正直に言います。わたしには、この本を、理解できなかった。
 おそらく、上岡さんが後半で書いているような「正しい世の中」がわたしにとってすべての世界だから。
 文中に示される森とか崖とか、そういう場所に生きる人のことを、考えたことがないのです。彼女たちは「住むところ」「家族、実家」「仕事」「お金」「健康」のうち三つ以上をなくした人だと仲間の一人は言うんです。ふたつまではなくしてもなんとかなる。でも、それよりも多いと社会的に救われる術がない。だいたいにおいて、暴力から生き残った人は、もともと家族がいないし健康とはいえない。
 そうなんです。前半の、体験談を読んだときからなんとなく思ったのが、「親のやったことは、子供に返ってくる」のではないか、ということ。凛ちゃんという女性は、親がDVで離婚したあと、母親から執拗に虐待されます。朝まで正座。殴る。「出ていく」とわめく。カードで浪費。進学先をけなされて、願書をぐしゃぐしゃにされる。
 本人は「バカ学校」といっているけど、その後にスチュワーデスの専門学校に進学したり、上場企業に就職が決まったりしているんですよ。しかも、別荘まで持っている。環境をみるとどん底というわけではないんではないか。
 自分の子供と暮らせないという人もあり、それは母親として苦しいだろうなと思うんですが、そこまでいきつけない苦しみの方が大きいんでしょう。
 全体的に、わたしが感じたのは、「混沌としている」ということ。普段本を読んだら、すっきりと整理された筋道が見えるものなんですが、この「生きのびるための犯罪(みち)」(イーストブレス)は、いろんなものがごちゃごちゃと投げ込まれ、攪拌し、あちらこちらばらばらに置かれたような感じを受けました。
 上岡さんは、子供さんが小さい頃、いつも家で寝ていた。郵便ポストが怖くてのぞきにいけない。意を決して郵便をもってきても、仕分けができない。子供の学校の提出書類もノータッチ。担任に向けて遅れたお詫びやいいわけの手紙を書きながら、「親の私を悩ませるような書類を、いたいけな子どもを通して持たせる鬼のような学校に、心底、腹が立つ(思った通りにコトを進められない人間だっているんだよ!)」……。
 調子が戻れば逆恨みだとわかるんだそうですが。
 うーん、学校勤めとしては、納得しかねる。そのほかにも、「たしかに学校の価値観とは合わない」ような意見がミーティングで出てきます。「親が働いていたから、夜も預かってくれる学校(同じような子が集まってゴロゴロできる場所)」「家で困っている人のための『姫クラス』」「金八先生みたいに、その子に合ったケアをしてくれる」
 金八先生って学校の価値観と違うのかって? わたしは苦手です。
 でも、「勉強だけじゃない、もっと楽しいことを教えてほしい」とか「運動や勉強ができなくても『君はいい子だね』とほめてくれる」という言葉には、考えさせられます。
 わたし、学校って勉強をするところだと思っています。楽しく勉強させたい。生きていく力をつけさせたい。勉強が少しでも「楽しいこと」としてランクアップしてほしいのです。
 学校生活、決してほめられないというわけではないと思うんです。相対的に考えるとそうじゃないってことなのかな。
 まとまりません。もう少し考えてみます。

 

「なんかヘンだを手紙で伝える」村中李衣

2013-02-07 05:14:07 | 言語
 市立図書館が六時までなので、仕事帰りに気楽には寄れません。やりくりしてなんとか行くんですが、仕方がないときは七時までやっている分館に返します。そのとき見つけた本。「なんかヘンだを手紙で伝える」(玉川大学出版部)。
 「小学生のための文章レッスン」の一冊です。はじめに不登校ぎみの友人に、クラスメイトが手紙を書くということになり、彼女が悩んでいるのはそんなことじゃないのに……と思った女の子が登場します。
 その女の子(佳奈)は、サミュエルくんというハーフの男の子に話を聞いてもらい、自分がどうしたいのかを考えていく。クラスの全員から慰めの手紙を送るとか、千羽鶴を届けるとか、学級委員がお見舞いとか、どれも友達のためにはならない。ではどうしたらいい? そう聞かれても代案があるでなし。
 じゃあ、みんなにその気持ちをわかってもらうために手紙を書いてはどうだろう。カナダから日本にやってきたサミュエルくんは、運動会の組体操をめぐって口喧嘩。もやもやしていたのを姉にみすかされて、アドバイスを受けながら手紙を書いた経験がある。そのときのことをもとに法則を四つ教えてくれます。
・これはケンカじゃない
・なにがヘンなのかを、頭の中で整理する。
・手紙を書くことで、いったいどうなってほしいのかを頭に思い浮かべる
・「もし、……だったら?」と、いつもと違う見方をしてみる
 手紙の内容によって、伝え方も変わってくるようです。「ストップ型」「よく聞いて型」「ちゃんと言わせて型」。いずれにせよ、伝えたら最後は「ことばの握手」があるのが肝心。「わたしの気持ちを受け止めてくれて(略)ありがとう」「あきらめないでこれからも、ちゃんとお互いの考えを伝えられる仲でいたい」なんてふうに。
 近年はメールで手軽に済ませられる世の中だけれど、そんななかで手紙という手段をとることにはやはり意味があるのだと思うのです。
 村中さんは文中でサミュエルくんにこう言わせています。
「(メールは)訂正できるから、届けることばに覚悟がいらない。(略)覚悟のないことばは、意外と弱いんだ」「自分が書いた手紙を相手が読んでくれるまでのあいだ、じっと待ついうこと」
 手で書いた文字と、機械で打つ文字。その違いもあるとわたしは思います。
 村中さん、前に読んだ本が好きになれなくて避けていたんですが、これはおもしろく読みました。