正直に言います。わたしには、この本を、理解できなかった。
おそらく、上岡さんが後半で書いているような「正しい世の中」がわたしにとってすべての世界だから。
文中に示される森とか崖とか、そういう場所に生きる人のことを、考えたことがないのです。彼女たちは「住むところ」「家族、実家」「仕事」「お金」「健康」のうち三つ以上をなくした人だと仲間の一人は言うんです。ふたつまではなくしてもなんとかなる。でも、それよりも多いと社会的に救われる術がない。だいたいにおいて、暴力から生き残った人は、もともと家族がいないし健康とはいえない。
そうなんです。前半の、体験談を読んだときからなんとなく思ったのが、「親のやったことは、子供に返ってくる」のではないか、ということ。凛ちゃんという女性は、親がDVで離婚したあと、母親から執拗に虐待されます。朝まで正座。殴る。「出ていく」とわめく。カードで浪費。進学先をけなされて、願書をぐしゃぐしゃにされる。
本人は「バカ学校」といっているけど、その後にスチュワーデスの専門学校に進学したり、上場企業に就職が決まったりしているんですよ。しかも、別荘まで持っている。環境をみるとどん底というわけではないんではないか。
自分の子供と暮らせないという人もあり、それは母親として苦しいだろうなと思うんですが、そこまでいきつけない苦しみの方が大きいんでしょう。
全体的に、わたしが感じたのは、「混沌としている」ということ。普段本を読んだら、すっきりと整理された筋道が見えるものなんですが、この「生きのびるための犯罪(みち)」(イーストブレス)は、いろんなものがごちゃごちゃと投げ込まれ、攪拌し、あちらこちらばらばらに置かれたような感じを受けました。
上岡さんは、子供さんが小さい頃、いつも家で寝ていた。郵便ポストが怖くてのぞきにいけない。意を決して郵便をもってきても、仕分けができない。子供の学校の提出書類もノータッチ。担任に向けて遅れたお詫びやいいわけの手紙を書きながら、「親の私を悩ませるような書類を、いたいけな子どもを通して持たせる鬼のような学校に、心底、腹が立つ(思った通りにコトを進められない人間だっているんだよ!)」……。
調子が戻れば逆恨みだとわかるんだそうですが。
うーん、学校勤めとしては、納得しかねる。そのほかにも、「たしかに学校の価値観とは合わない」ような意見がミーティングで出てきます。「親が働いていたから、夜も預かってくれる学校(同じような子が集まってゴロゴロできる場所)」「家で困っている人のための『姫クラス』」「金八先生みたいに、その子に合ったケアをしてくれる」
金八先生って学校の価値観と違うのかって? わたしは苦手です。
でも、「勉強だけじゃない、もっと楽しいことを教えてほしい」とか「運動や勉強ができなくても『君はいい子だね』とほめてくれる」という言葉には、考えさせられます。
わたし、学校って勉強をするところだと思っています。楽しく勉強させたい。生きていく力をつけさせたい。勉強が少しでも「楽しいこと」としてランクアップしてほしいのです。
学校生活、決してほめられないというわけではないと思うんです。相対的に考えるとそうじゃないってことなのかな。
まとまりません。もう少し考えてみます。
おそらく、上岡さんが後半で書いているような「正しい世の中」がわたしにとってすべての世界だから。
文中に示される森とか崖とか、そういう場所に生きる人のことを、考えたことがないのです。彼女たちは「住むところ」「家族、実家」「仕事」「お金」「健康」のうち三つ以上をなくした人だと仲間の一人は言うんです。ふたつまではなくしてもなんとかなる。でも、それよりも多いと社会的に救われる術がない。だいたいにおいて、暴力から生き残った人は、もともと家族がいないし健康とはいえない。
そうなんです。前半の、体験談を読んだときからなんとなく思ったのが、「親のやったことは、子供に返ってくる」のではないか、ということ。凛ちゃんという女性は、親がDVで離婚したあと、母親から執拗に虐待されます。朝まで正座。殴る。「出ていく」とわめく。カードで浪費。進学先をけなされて、願書をぐしゃぐしゃにされる。
本人は「バカ学校」といっているけど、その後にスチュワーデスの専門学校に進学したり、上場企業に就職が決まったりしているんですよ。しかも、別荘まで持っている。環境をみるとどん底というわけではないんではないか。
自分の子供と暮らせないという人もあり、それは母親として苦しいだろうなと思うんですが、そこまでいきつけない苦しみの方が大きいんでしょう。
全体的に、わたしが感じたのは、「混沌としている」ということ。普段本を読んだら、すっきりと整理された筋道が見えるものなんですが、この「生きのびるための犯罪(みち)」(イーストブレス)は、いろんなものがごちゃごちゃと投げ込まれ、攪拌し、あちらこちらばらばらに置かれたような感じを受けました。
上岡さんは、子供さんが小さい頃、いつも家で寝ていた。郵便ポストが怖くてのぞきにいけない。意を決して郵便をもってきても、仕分けができない。子供の学校の提出書類もノータッチ。担任に向けて遅れたお詫びやいいわけの手紙を書きながら、「親の私を悩ませるような書類を、いたいけな子どもを通して持たせる鬼のような学校に、心底、腹が立つ(思った通りにコトを進められない人間だっているんだよ!)」……。
調子が戻れば逆恨みだとわかるんだそうですが。
うーん、学校勤めとしては、納得しかねる。そのほかにも、「たしかに学校の価値観とは合わない」ような意見がミーティングで出てきます。「親が働いていたから、夜も預かってくれる学校(同じような子が集まってゴロゴロできる場所)」「家で困っている人のための『姫クラス』」「金八先生みたいに、その子に合ったケアをしてくれる」
金八先生って学校の価値観と違うのかって? わたしは苦手です。
でも、「勉強だけじゃない、もっと楽しいことを教えてほしい」とか「運動や勉強ができなくても『君はいい子だね』とほめてくれる」という言葉には、考えさせられます。
わたし、学校って勉強をするところだと思っています。楽しく勉強させたい。生きていく力をつけさせたい。勉強が少しでも「楽しいこと」としてランクアップしてほしいのです。
学校生活、決してほめられないというわけではないと思うんです。相対的に考えるとそうじゃないってことなのかな。
まとまりません。もう少し考えてみます。