くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「未来形の読書術」続き(あるいは「ライオンキング」)

2011-07-08 05:30:37 | 総記・図書館学
「ライオンキング」は、一種の貴種流離ものです。しかし、新しい王がシンバでなくても物語は成立する。つまり、本当の王子でなくとも構わないわけです。
幼なじみのナラが探し当てた若いライオンが、彼の名を語っている可能性もあり、さらに彼女でさえ、訳あって群れをはみ出して戻ってきている。
歴史は常に勝者の側から書かれ、敗者は悪として滅ぼされます。実際に叔父のスカーは、幼いシンバに冷たい訳ではない。台詞を見てみると、「象の墓場には行くな」「父親から贈り物がある」というような、解釈によっては善として捉えられないこともない話をしています。少年シンバも、彼の膝に乗ってみたりしょっちゅう近くに寄ったり。
考えてみるとシンバは変なライオンで、肉食獣なのにミーアキャットやイノシシと一緒にいて、幼虫を食べる。父親は食物連鎖についても語っていましたが、実際のところそこからちょっと離れています。「サークル・オブ・ライフ(生命の輪)」思想なんだそうですが。
叔父の王国だって、考えようによっては、同じ肉食獣であるハイエナとの共存を目指したと言っても間違いではないはず。牝ライオンたちは狩りをさせられすぎだと怒っていましたが。
それから、このドラマは父系の視点で描かれているとも感じました。挿入歌だって「父も祖父もおまえの中にいる」だもんね。
だからといって、このミュージカルがおもしろくないかというと当然そんなことはなく、三時間近い上演があっという間。見るのは二回めなんですが、筋が分かっていてもとっても楽しめます。
シンバが急に大人になるのは違和感ありますが、どんどん引き込まれていきます。常に若々しいですが、実際役者さんはお幾つなんでしょう。
事前学習にとすすめられて十年前に岡村隆史がこの劇に参加しようと試みたときのビデオを見たのですが、そのときのシンバと違う方ですよね?
子役も、六年も前に観た役者さんとは違うのでしょうが、印象は全く同じ。「四季」のパワーを感じさせられます。
と、延々ミュージカルドラマの解釈を石原先生の提唱に則って書いてみました。こんな感じで作品を見ていけということですよね? わたしはどうも、自分のクローズアップしたい部分を取り上げて話す癖があるので、勝手にこのように解釈させていただきました。
で、どうしてこの本をリミット付きで読もうと思ったのかというと。
すみません、本を買い過ぎていて、自分で持っていることを忘れ、図書館で借りたのです。返す段になって、どこにしまいこんだのかわからなくなってしまい……。
という訳ですみません、とってもおもしろい本なんですが、お詫びとともに図書館に持っていくことになると思います。もう少し探しますが……。