くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「的の男」多岐川恭

2010-07-18 15:52:22 | ミステリ・サスペンス・ホラー
ああっ、不二子さん、そんな告白をしたら引かれるに決まってますって! どうして心に秘めておかないのでしょう。それだと小説として不足があるのでしょうけど。あと、もう少し菅野さんに魅力があった方が、読者は納得できると思います。
でもおもしろかった。多岐川恭「的の男」(実業之日本社)。
北村薫・宮部みゆき「名短編ここにあり」に収録されている第一話「網」がすごくおもしろいので、ぜひ続きを読みたかったのです。
鯉渕丈夫という男を殺そうとする人物が次々と現れ、いずれも失敗して去っていく物語。すごく短期間に、網、銃、穴、錠、毒といった手法で狙われる。これがそのまま章題になっています。
実は、この計画を裏で操る人物がいたのです。娘婿の田芹が、鯉渕亡き後はその財産が自由になるはずだから、と彼らをその気にさせる。妻の不二子は鯉渕の一人娘だし、彼女は夫に逆らうような性情ではないから。
でも、作戦はことごとく失敗。鯉渕に逆に返り討ちにされたり、抜け道が明かないだけでなくトンネルが反対側から埋められたり、実験で試したトリックがうまくいかなかったり。
印象的なのは付き添いの蕗子でしょうか。実は鯉渕の前妻の娘である蕗子は、復讐のためにこの仕事に応募していたのでした。いつの間にか愛人関係に陥っていた二人ですが、それでも彼女は復讐を忘れた訳ではなかった。
しかしその計画を阻止したのは、不二子でした。毒が仕込まれた酒を始末し、蕗子に姿を消すように語ります。
それ以前にも、卓抜した推理で暗殺者たちの計画を退けます。絵の仲間である菅野の助けを借りたり、夫の考えの先を読んだり。菅野は、そんな不二子の明晰さに感心しますが……。
張り巡らされた伏線がきいています。そして、終章に至って、不二子という女の真実がわかる。それまでは誰も彼もが、虚像を見ていたとしか思えないほどです。
彼女は、最初から全てを見通していた。というよりも、全てが不二子の計画の上をなぞっていたということでしょう。
たった一人の男を得るために。
鯉渕丈夫はその腕一本で、ここまでのし上がった男です。不二子も間違いなくその血を引いているといえるでしょう。
数多くの敵に狙われながら、鯉渕が無事であったのも不二子の才覚ながら、冷徹に目標を定め、じわりじわりと的を絞っていく不二子の不気味さも、この作品の見所かと思います。あ、そうか。黙っていればいいものを、自分の手柄であるかのように語ることができるのも、不二子の特異な性格を表しているのですね。