くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「浪子のハンカチ」その 2

2010-07-13 05:42:49 | ミステリ・サスペンス・ホラー
それから、「テーブル稽古」もおもしろい。「父帰る」の母親・おたかを演じることになった女優を視点にして、監督とのやり取りを描くのですが、おたかへの助言は細かく熱情的なのに、娘の役にはほとんど何の指示もありません。娘役の女優からは嫉妬されているようです。
この稽古を通して、「父帰る」のドラマの背後にある長男と母親との思いが明らかになるのが非常にドラマチックです。なるほど、そういう見方もできるなーと感心しました。母子はお互いのことを思っているのです。おたかは長男の気持ちを考えて「家に迎える気にはならない」と答え、長男は長男で、「お母さんの代りに、散々お父さんに、うらみつらみをいうわけです。お母さんの気持ちが、そうなると、逆に、お父さんに同情し、軟化するだろうと」考えてぶっきらぼうな態度を貫いたのではないか、という。
とても文学論っぽい。
そして、ラストでは娘役の女優と監督とが深い仲であること、しかし、彼の本心は家庭にあることが明かされるのです。
上手いなーと感じるのは、「おたかのことを考えている」という暗喩が効果的に使われていること。視点がおたか役ですから、役づくりのことだろうと素直に読んでいるととんでもない。演出に新機軸を見せる気鋭の監督が、たちまちだらしのない男に見えてくる。
戸板さんらしい舞台の見方、そしてラストに余韻を持たせる構成がおもしろかったので、楽しく読みました。モデルについての考察が多いのも、時代としてのつながりを感じます。まだ、明治大正の文学に近しい人たちがいたのですね。
ふと思い出したのですが、漱石が「赤シャツ」「野だいこ」のモデルとしたのは、実際に松山にいた教師ではなく、東京の学校での同僚だと高島俊男先生が書いています。やはり、作品とは違って、生徒に好かれる教師だったようだ、と。
モデルについては、人の見方が、やはり一人ひとり違うということでしょうね。モデルだったふりをする女性が出てくる「モデル考」も、結構インパクトがありました。