くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「国語教科書の中の『日本』」石原千秋

2009-10-01 05:29:50 | 社会科学・教育
待ってました! 石原先生の国語教科書論第二弾です! 一冊めの「国語教科書の思想」を読んだときから、「光村だけじゃなくほかの教科書も分析してほしいな」と思ったのは、わたしだけではないのですね。今回は代表的な国語教科書を分析しつつ、そこに潜む無意識のイデオロギーが問題であることが始めに語られます。
「国語教科書の中の『日本』」(ちくま新書)。教科書分析に留まらず、具体的な「文学」の授業提案も入っています。
教科書展示会で開催時間を30分オーバーするくらい熟読して追い出されるくらい読みましたからね、他社の教科書もある程度内容が把握できるので楽しめました。
わたしが使っているのは東京書籍。不満は古文の仮名遣いがおかしいこと。例えば、「おくのほそ道」では、「ゆきかふ年」「老ひをむかふる者」を、「ゆきかう」「むかうる」と読むよう振り仮名がついています。でも、これは「ゆきこう」「むこうる」と読むはず。古文ではauはouになるのですから。同じように「論語」で「習ふ」は、「なろう」と読むのです。実際、光村はそのように読ませます。
なぜ、本来の読み方をしないのでしょう。数年前に改訂になる前は、三年生の教科書に補助のカタカナがついてなかったので、自然にそう読んでいた先生も多いと思うのですが。

前回、「国語教科書の思想」を読んだあとにわたしが感じたのは、三年生の教科書には「道の探求」をテーマにした題材が多いということです。東山魁夷の「ひとすじの道」、高村光太郎「道程」、そして定番「故郷」「おくのほそ道」。比較して読むことを目的とした「テクノロジーとの付き合い方」「テクノロジーと人間らしさ」も、これからの社会でテクノロジーとどういう距離を保つのがよいのかという模索がテーマですから、これも加えてよいでしょう。
ところで、石原先生は東書は理科分野に重点をあてた造りになっていると書いていましたが、このあと理科のテストで「これからの科学技術との付き合い方はどうしていくべきか」という問題が出ました。でも、国語で学習した内容を反映した解答は全部バツ。「調和」を大切にするのは理科的な思考じゃないんですって。じゃあどんなのがマルなのよ! と、正解のテストを見せてもらいましたが、科学技術から発生した問題点は、さらなる科学の進歩で解決をはかるべきだという主旨のものでした。そうなの? 前進あるのみ? 非常に疑問ですが、こういう答えに異を唱えるのが、石原先生いうところの「道徳」なのかもしれません。
ただ、テストで「共感できない答案を書いた場合でも、その理由がきちんと書いてあれば満点が出るのだろうか」と疑問を呈していますが、そうじゃない場合があるの? まあ、心情的につけにくいでしょうけど。作文の出題は、立場を明確にして根拠を示して書くことが目的なので、きちんと書いてあれば当然マルでしょう。ディスカッションやディベートは、「答え」を出すためのものではなく、コミュニケーションツールとしての「手段」を習得させることが目的です。
なんだか内容に関係ないことばかり書いているような気がしてきました……。
今度は高校の教科書も分析してくださるとのことなので、楽しみにしています。