くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「エ/ン/ジ/ン」中島京子

2009-08-28 05:46:23 | 文芸・エンターテイメント
「宇宙猿人ゴリ」のテーマソング……。思い出せません。「スペクトルマン」はわかるのになー。夫に部分的に歌ってもらって、何となく記憶にあるようなないような……。
中島京子「エ/ン/ジ/ン」(角川書店)。ジャケ読みです。
冒頭を読んで、よもやこういう展開になろうとは。エンジンとは厭世的な人。ミライの父親はそんな人だったそうです。顔も名前も知らない父親。
母親はいつか彼のことを話すと約束したのに、長い間の断絶から戻ってみればアルツハイマーで、何も語ってくれません。
自分が誕生したことについて、少しでも知りたい。そう考えた彼女は、母が昔主宰していた「トリウムキンダーガルテン」の子供たちに連絡をとろうとします。祖父が園長だった「つぐみ幼稚園」の敷地内で、ほんの一年間活動したその幼稚園の同窓会をしよう、と。
その会合にたった一人現れて、ミライの父親探しを引き受けることになった葛見隆一。葛見が「エンジン」を探す渦中、手掛かりとして出会った小説家の「わたし」。ミライの友人。「エンジン」こと「かきざきあつし」を知る人物たち。
彼らの視点から見た「かきざきあつし」の人生が語られ、「わたし」はそれを聞きとります。彼女のこれまでの人生で、「かきざきあつし」を物語る人物とのクロスオーバーが幾度か繰り返されてきました。小説家としての興味や、葛見の誘いにより、最後には「R・Kakizaki」なる人物に会うために彼らに同行することになります。
この物語に、「エンジン」こと「かきざきあつし」は、最後まで姿を見せません。言わば、証言のドラマなのです。
そして、対比する二つの存在がいくつも描かれます。
学生運動の間は、真面目で同情的な目で見られていたのに、あさま山荘事件をきっかけに残虐なグループだと思われる学生たち。
個性的な「トリウムキンダーガルテン」と規律的「つぐみ幼稚園」。指導者である倉橋礼子と塩川篤子。
また、同じように女性運動に参画しながら、礼子の活動に否定的なヨガ教師。
「宇宙猿人ゴリ」はこれらを象徴する物語として登場します。地球を破壊して環境汚染をすすめる人間たちを、その汚染物質で培養した公害怪獣によって退治し、自分の王国を作ろうとするのです。パラドキシカルで、だれにも理解されず、孤独と憎しみを抱えるゴリ。
自己矛盾があり葛藤があります。
そして、根底にあるのは自分の生を消してしまった父と、記憶の中からなにものかを消し去ってしまった母。
何が真実なのか。何が正しいのか。
おそらくどちらも。「信じてきたものは正しかったが、過ちとしていたものも正義だった」(THE BOOM)。ということなのでしょうか。
「ゴリ」として生きていたあつしは姿を消し、そのあとを追うように来人が反戦運動に加わっていきます。
母に反発し、決してなかよくはなれないだろうと感じていた思春期のミライ。それは来人とあつしの関係とも共通します。もう戻らない肉親のあとを追うように、ミライは庭の植物を料るのでしょうか。母との蜜月の時期を懐かしみながら。
個人的には、ひょこひょこおじさんこと下斗米(しもとめ)さんが気になりました。