くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「私が世界一受けたい ココロの授業」比田井和孝

2009-06-04 04:59:52 | 哲学・人生相談
挫折しそうです……。素直に道徳の教育書を買ったほうがよかったかもしれません。比田井和孝・比田井美恵「私が一番受けたい ココロの授業」(こま書房)。長野県にある情報ビジネス専門学校で行われた就職対策の授業をまとめたものだそうですが。
何が嫌なのかって?
言葉の選択に許せないものを感じるのです。言い掛かりと捉える人もいるのでしょうけど、言葉に無自覚な人が本を出すということが、わたしには嫌なのです。
「水くれ当番」、方言です。多分、この専門学校に通っている人にはわかるんだよね。でも、いくら講義録とはいえ、全国的に販売するのにいいの、それ?
しかも、「目線」。例として、トイレ掃除をするとき「便器と同じ高さまで目線を下げて/あるいは便器の下の方から見たら/汚れているところが絶対ありますよね」だって……。
この出版社には校閲部がないのですか? それとも著者が押し切ったの? 
「目線」は、舞台やテレビで目を向ける方向です。そのひとつが「カメラ目線」ですね。トイレの下に……。疑問です。
たしかに世間的には誤用がまかり通っています。でも、出版流通に乗る書籍に使うべきではないと思うのです。
帯には「心震える語りがここにある!」と書いてあるけど、わたしは逆の意味で鳥肌がたちました。

本屋で見たときは、ディズニーランドのクレーム処理の見事さについて書いてあるページだったのです。読者からの声も絶賛しているし、買ってみたのですが……。
いかんね。星野夏「プレゼント」の新聞広告で五十代女性が「これまで何千冊も本を読んできましたがこんなに泣いたのは初めてです」とか言っていて、「何千冊も読む五十代は、一般にはこんな本読まないだろう」と冷静に考えられたのに、これには見事だまされました。
いや、ラストの雁の話はいいと思うのですよ。多分、わたしはこの方が求めているような「素直」な人柄ではないからでしょうね。こういう人は成功しないことになっているのです(笑)。
今思うと、本屋でほしい本が少なくなっていた時期だったのです。この本で比田井さんというフィルターを通さなくとも、例えば鍵山秀三郎や五日市剛の本を読む方が、自分なりには内容がつかまえられると思うのですよ。
でもさらに冷静に考えると、ここに紹介されているような人生訓をわたしが主体的に選択して読むとは考えられないのです。
……今、目次を見たら、「生きざま」と書いてありました。これも、嫌な表現です。(詳しくは高島俊男「お言葉ですが」③を!)
もし、気がかわってこの本を読み通し、さらに感動して涙ぼろぼろになるとしたら……。うーん、それはそれで怖いかもしれません。