今回の旅では、京都市圏内を離れ京都文化圏にある滋賀をたずね歩いてみた。
大津市近辺には、天台ゆかりの大きな寺院がいくつもあるようだ。
京都を歩くのとまた違った雰囲気が、ここ大津近辺にはある。
大きな伽藍をみていると、さすが天台と妙に納得がいくのである。
前回の浮御堂から、滋賀院、西教寺、三井寺、石山寺と回ったが、今回は西教寺。
とにかく凄い大きさである。
坂本にあり、一説には推古天皇の時代、聖徳太子の開基ともいわれるようだが、はっきりしているところでは、室町期の真盛上人による再興のようである。
信長の叡山焼き討ちにより、ここ西教寺も同じ憂き目となるが、明智光秀の尽力により復興したとされる。
とかく光秀は悪役者のようにいわれ続けるが、各地に残されているその功績はかなり大きいものがある。
真盛上人は、嘉吉の乱後による一揆の首謀者と勘違いされ叡山の僧兵たちに狙われます。
西教寺に攻め入った僧兵の耳に、本堂から鉦の音が聞こえてきます。
すわ!!真盛は本堂と、向かうとそこでは猿が真盛の代わりに鉦を叩いていたと伝えます。
この事から通称猿寺も呼ばれるようです。
西教寺の参道には、本来の宿坊が多く建っています。この宿坊のどこの屋根にも「お猿」さんが。
機会があれば西教寺に訪れた様子を詳しく書いてみましょう。
***本堂***
***こんなところに枯山水が***
個人的にはかなり魅力あるお寺です。
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