寺町通に沿って北へのぼると、多くのお寺が立ち並んでいる。
豊臣秀吉の都市改革の名残のようであるが、現在もあたりまえのように残っているところが、京都という町の凄いところである。
この寺町通も端に近いところに天寧寺がある。
いわゆる観光寺院ではないため、まわりは民家で静かな町並みである。
天明の大火(いわゆる団栗焼け)で一度焼失し、再建されたようである。
この天明の大火、市街地の8割が焼けたと伝えられるので、京都の寺院はすべてが古くから現存するもではなく、洛中の寺院は江戸から明治に再建されたものと捉えておいたほうがよいようである。
派手さのない天寧寺が知られるのは、山門が額縁門として有名だからであろう。
晴天であれば、比叡山がくっきり浮かびきれいなのであろうが、あいにく曇り・・・
庫裏のほうへいってみたのだが、あいにく留守のよう。
本堂への門も閉まったままで、隙間からちょいと覗かせていただいた。
本堂横にある大木は、かやの木であろう。
ただ調べてみると、時代に生きた著名人との縁も少なからずあるようである。
お寺ゆえに、そのご縁はお墓にまつわるものが多いようであるが、ちょっとこの辺りは不得手である。
当方は、寺院観光でもほとんどお墓へは足を運ばないし、みる必要性もないと思っているのですHi。