糸崎公朗ブログ1・路上ネイチャー協会

写真家・糸崎公朗のブログです。『子供の科学』と『デジカメWatch』で連載をしています。

ニッポン・マイクロシーベルト

2012年04月02日 | 原発・地震関連


「Fraction Magazine Japan」というウェブ上の写真雑誌に、未発表の新作『ニッポン・マイクロシーベルト』がアップされました。
3.11以降、このブログにも掲載した、ガイガーカウンターによる放射線測定グラフを利用した写真作品です。
上記は福島市ですが、この数値がどれだけ危険か安全かについて、ぼく自身は判断せず、ただ「事実」として提示するのみで、その判断は各自の「リテラシー」に丸投げするという、「科学的」な作品です。

本来、科学というのは、目に見えず計測器によって明らかになる「科学的事実」を提示することしかできません。
そして、その「科学的事実」にどのような「価値」があるのかを示すことは、もはや科学の領分ではありません。

上記の作品で示された放射線量が人体に対してどれだけ危険なのか?もしくは安全なのか?という、人間にとっての「価値」の判断は、科学ではなく「政治」の領分です。
ですから例えば小出裕章さんは、科学者としての見解を述べた後、「これは私の意見ですが」と断って、ご自身の政治的心情を述べるわけです。

というわけで、ぼくが福島まで行って放射線測定したこの当時は、いわゆる「危険派」の立場でしたが、現在は「中立派」の立場でこの作品を発表します。
以前のぼくは、「中立派というのは、結局のところ放射能安全派であり、原発推進派なんだ」と言ってたので、立場を変えたわけです。

立場を変えた、というのは「安全派」になったというより、「情報戦の外に出る」ことにしたのです。
現在の日本が汚染されているレベルの放射線量が、安全か危険かは、実は「政治的判断」であって、だから人々が「危険派」と「安全派」に分かれて「情報戦争」を繰り広げているわけです。

これは内田樹さんが書いてたのですが、危険を喚起する人は、無自覚にその危険を実現を望んでいるのです。
例えば、日本で放射線の影響による癌患者が増えると、「放射能危険派」の人にとっては自分が正しかったことが証明されたことにもなり、満足するわけです。
逆に、実際にある程度の放射線量を浴びても、人間は簡単に癌にはならない、という事実が明らかになってしまうと、「放射能危険派」の人は立場を失ってガッカリしてしまいます。
ですから「危険派」の人は、自分の立場を有利にするための「情報」を集め、放射能がいかに危険かという事をますます世間に対し呼びかけることになります。

それは「放射能安全派」の人達も同じで、こうしてお互いに「情報戦争」が繰り広げられているのが、3.11以降の日本なのです。

そしてぼく自身は、そのような放射能汚染を巡る「情報戦争の外に出る」事にしたわけです。

これはたとえて言えば、「武器商人」のようなもので、武器商人は金を払ってさえくれれば、敵対する両国どちらにも武器を売るのです。

もちろん、ぼくの作品はアートなのでお金に直結するわけではありません(フラクションマガジンジャパンの掲載もギャラ無しです)。

しかし、「情報戦争」おける「武器としての情報」を、中立の立場で提示する、というのがこの作品におけるぼくの立場だと言えます。



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