曇天微風。
御開池にて。取材に行く途中にパチリ。
おひらきいけの横を流れているのが鯰川だというのを最近知りました。
鯰川と七寺川が違うのも最近知りました。
ともだちのふじいもんのやっているイベントです。福島から福岡に避難してきた写真家の亀山ののこさんの写真集「100人の母たち」の出版記念のスライドショーとかがあるみたいです。福島のママさんたちから、3.11以降に亀山さんが関わったお母さんたち、福岡のママたちのポートレイトとメッセージが深いです。福島を出る決意をしなければならなかった亀山さんの渾身の写真集だと思います(写真展とスライドショーは見ているのですが写真集はまだできていなかったので)。福島を自分の事に近づけてみては。
http://npoitonami.blog.fc2.com/blog-entry-10.html
ぽのぽのマーチのFacebookサイトは
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伊都安蔵里は
九大生による子どもたちへのイベントがあるみたいです。i-topさんたちのイベントでしょうか?
いぼリンピック面白いです。元岡へ遊びに来てください。
去年の様子です。
http://blog.goo.ne.jp/itoitoisland/e/03bb3a00756c63dbbc25c2eec5e0e2e2
ソーシャルビジネス(SB)・コミュニティビジネス(CB)フォーラム2012 in福岡に行く。
福岡市のコミュニティビジネス起業セミナーを受けて2年、最近はコミュニティビジネスという言葉を避けていたように思う。行けるほど仕事に余裕があるわけではないのだが、朝起きたら、予感みたいなものがあって、行ってよかった。
フォーラムは現在活動中のSB・CBのパネル展示を見た。
ソーシャルビジネスとは社会の問題を解決することをビジネスにし、コミュニティビジネスはコミュニティの問題を解決することをビジネスにしたものだ。障害者の雇用を促進新しようと頑張っている「柚子の木」さんたちや、CBセミナーで講演に来てくれた、託児所を自分たちで起業した「かぼちゃ畑」さんとかのパネルがありました。
障害者アートをかっこよく商品化している「アトリエブラヴォ」さんとか「工房まる」さんとかのパネルもありました。
東京から来てくれたコミュニティビジネスサポートセンターの永沢 映さんの講演がありました。内容が濃いのに時間が足りないので、わ~っと話されました。DVDでの事例紹介も含めてためになりました。
SB・CBの評価は「続いているいること」だとか経営危機からの脱出ポイントは「人材育成(経営者だけでなくスタッフの後継者も育てろ)」「専門家の活用」「ミッションの共有(ミッションは時代によって変化していく、その変化に対応させながらみんなで共有させていくこと)」など大事なことが聴けました。もっとたくさんのことが聴けたのですが、残りを割愛します。
その後永沢さんとSB・CB成功者たち4人とのパネルディスカッションがありました。
紹介されたSB・CBの経営者の方々はみんな前向きでした。立ち止まらず動いている感じが伝わってきました。そして、何より強欲ではなく、姿勢が謙虚だと思いました。その謙虚さに引かれて人が集まってきて、去らない。そしてみんなが良く働いていて、気が付けば10年が経っていたという感じで、今もさらにずっと動いているのだと思います。
いいと思ったら、行動あるのみ。そんな感じでした。
僕ももっと動こうと思いました。フォーラムの方々、元気をありがとうございました。
ルミエールにて。
深夜作業が続き、目の調子が悪い。たぶん疲労と野菜を十分取れてないので栄養が偏っていると思い、野菜をたっぷり買い込み、また引きこもり仕事します。
今宿商協のリーフレット「そうつい店いっちゃっ店」2012~2013バージョン、今佳境です。大内士郎さんの歴史コーナーも新規に原稿を書いていただきました。
僕のリクエストで、伊藤野枝さんのお話も1つ入れていただきました。たぶん、今宿を語るとき、はずせない人物が伊藤野枝さんです。男女同権は今では当たり前のことですが、女子の人権の向上を日本で最初にとなえた人の一人です。おそらく、アナーキスト(無政府主義者)として知られる大杉栄の妻であったがゆえに、人々にアカとののしられ、軍部に惨殺されました。不倫に走ったために、人々にさげすまれ、人格を尊敬されなかったようです。そのせいか今宿でも、今今宿派出所があるところに、公安の出張所が作られて、野江さん一家を監視していたことから、野江さんたちは生きているうちは評判が良くなかったみたいです。
しかし、子どものとき、野江さんの実家は旅館街のすぐ近くにあり、子どもの頃の遊び友達の中に女中さんや女給さんの子どもさんもいたのではないかと推察されます。野江さんは子どもながらに安い賃金で朝から晩まで働かされる女性を見ていて、何かを感じ、考えていたのではないかと思われます。
僕は学者や歴史家ではないので、野江さんがただただ、貧しさから抜け出そう、格差社会や男尊女卑社会に物申し必死に生きただけの情熱的人物に見えてしょうがありません。来年が野江さんの没後90周年です。地元の今宿の人がそろそろ関心を持って野江さんの生涯に目を向けられるといいと思います。
去年から今年にかけて西日本新聞に連載された野田寛二さんが書いた野江さんの記事がそろそろまとまって単行本化するはずです。途中で打ち切りになった、西日本新聞の野江さんに関しての瀬戸内寂聴さんの連載も話題になりました。今宿では伊藤野枝という人物が今宿出身であることを隠したがる人々もまだいらっしゃるとのことですが、日本において今宿を代表する人物といえば、おそらく伊藤野江さんがあげられることを今宿の人が知らないというのは、けっこう恥ずかしいことになると思います。色々な人が今宿を訪ねてきて、「伊藤野江さんの生家はどこですか?」とか「お墓はどこですか?」と聴かれて答えられる今宿の人は少ないと思います。
最低の知識だけでも今宿に住む人であるならば、関心を持っていただいて、知っておいていただけるとありがたいです(僕も大内さんから勉強中ですが)。
今宿のある人は父親が子どもの頃、長垂海岸で野江さんに水泳を習ったと聴いたという話があったりもします(以前写真もあったそうです)。そういう、地元ならではのお話をお持ちの方は、コメントください。匿名でもいいです。
あと、ささやかでもいいから、来年没後90周年の野江さん大杉栄さん、橘宗一(むねかず)さんの慰霊祭が今宿でできるといいと思います。思想がらみでなく、時代に翻弄されながらも一生懸命生きた今宿の先輩として、鎮魂の礼をつくしてみてはいかがでしょう。今宿の人々にそれくらいの度量がないと、今宿を盛り上げることなんて出来ないと感じています。
きっと地元の人には地元の人の考え方があると思うので、ご意見ください。
今宿の駅前踏み切り付近でゴミ袋とでタバコの吸殻を挟む道具(焼肉のトングみたいなやつ)を持った5~6人の集団が数組ごみを拾われていました。たまたま、三菱電機の裏門の中に入っていかれるのを目撃しました。
知らないこととはいえお疲れ様です。三菱電機ありがとう。なんかすごくいい会社に感じました。
三菱電機というロゴが青い制服ジャケットの背中に入ってないのがカッコいいと思います。
これみよがしに、社名が入ったジャンパーで、いいことやっていますとアピールしていないところに社風やトップの哲学を感じました。
毎週水曜午後5時から7時までのワゴン販売営業です。市六さんの駐車場です。
10月まで限定ということでマンゴー杏仁豆富を買いました。マンゴーがたっぷりで、杏仁豆富ももっちりした感じで、けっこう腹にたまる食べ心地でした。甘さはマンゴーの甘さで杏仁豆富は甘すぎずバランスよくて美味しかった。
http://ebisudou.info/index.html
水曜日の夕方お試しください。「黒糖わらび餅」もありました。
今宿郵便局から旧202号線沿いの用水路に小学生の男の子二人がザリガニを数十匹つかまえていた。ビニール袋にザリガニ満タンの得意顔の二人。僕は、自分の子供時代みたいで好感を持ってちょっと離れて見ていた。すると同級生の小学生の女子が3人やってきて、「この川にはいっちゃいけないんだよ~~っ!!」と二人を用水路の上側からはやし始めた。どうやら、小学校では用水路に入ってはいけない規則らしい。
男の子たちはその声が聞こえない振りしてザリガニ採りをしている振りを続けていた。女の子たちがいなくなるのを待つ作戦のようだ。
5分ほどちょっと離れたところで見ていたが、女の子は去りそうも無いので僕はそこを離れた。女の子たちが来なかったら、男の子たちの勇姿を撮影させてもらおうと思っていたが、久しぶりに聞く女子の「大声非難攻撃」になにか、トラウマのような、胃が痛くなるような記憶が思い出された。いい親父が小学生の声に追われて退散したわけだ。
その用水路のずっと先に下の写真の場所付近にカメがいることを教えてあげようかと思ったが、カメの迷惑を考えるとよそうと思った。
今日、原子力規制庁が日本の各原子力発電所が事故を起こしたと想定されるときの、放射性物質の拡散予測のシュミレーションが発表された。
玄海原発のシュミレーションも発表されて、糸島の一部も7日間に100ミリシーベルトを超える地域が。
28日に避難訓練があるのですが、糸島の老人ホームから春日の幼稚園に避難予定と今日の読売新聞に書いてありました。
風向きで放射性物質の拡散の方向が違うし、放射性物質が大量に飛んでいく方向に避難しては、避難する意味が無いので、まず風向きと風力を調べて、素早く逃げる方向を指し示す情報が避難するべき地域の人全員に送られなければならない。それができるかをまず検討したほうがいいと思います。
次に逃げられる道路への指示と道路の確保と渋滞情報と避難先をリアルに伝える簡単なシステムを作って携帯電話やスマートフォンで見れるようにすれば、できるだけ1台の車に人がより多く乗ることで、車の台数を減らし、渋滞を作らない工夫が避難者たちでできるのでは。福岡県のIT部門避難システムを作る際にこういうのも追加して作ってってください。
この前も書いたけど、玄海原発にアルミ片をぶら下げた風船のようなものを大量に放出できる装置みたいなモノを作って、事故発生時(原発爆発時)に遅れず放出できれば、放射性物質と同じ気流で移動できるのでその風船らしきものの追跡と落下地点で、被爆の調査に役に立つと思います。風船らしきもん君が1個だけ変な所に着地してればそこが飛び地で汚染がひどい可能性があることの要調査地になるかも。今福島で安全地帯と危険地帯が入り組んでいる状況を把握するのに数ヶ月、半年以上かかったている間に、被爆している人がいる可能性がある、ということを聴いた。それを知っていればもっと早く避難してたのにみたいな後悔が無くて済むように思う。
とにかく一人でも多く死なせないですむ対策を考えましょう。チェルノブイリで事故5年目で子どもの甲状腺がんや異常が多く発症したといいます。現在も福島は決して安全ではなく、これから症状が出るかもしれないという可能性の中で多くの親子は不安を隠して生きていると聴きます。
無視したり忘れないで見守りたいです。