しまちゃんの愛し糸島ブログ

糸島を個人的に愛している人達の紹介と、ネットワーク作りを目的とした、愛し糸島プロジェクトの情報発信ブログ。

9/25 「幸福度世界一のデンマークに学ぶ 若者・女性の政治参加」にいく

2014年10月02日 23時24分20秒 | 学習・教育関係

またまた日にちがずれての掲載です。

この「幸福度世界一のデンマークに学ぶ」イベントは、僕のコミュニティビジネスの先生である、長阿彌幹生先生が所長をされている教育文化研究所がシリーズで開催されているイベントです。

今回で15回目になるイベントは国会議員選挙でよくて約40%の投票率の日本と、90%弱のデンマークの国民の選挙に対する違いを知るために、18歳、高校3年生で市議会議員になった、デンマークの若者二人を日本に呼んで、政治の仕組みの違いを探ろうというものでした。会場は伊都文化会館の視聴覚室でした。

同じ日に福岡市の中央市民センタ-の3階ホールで開催予定の同じ企画のイベントを、若いデンマーク人の市議会議員を福岡に呼ぶということがなかなかできないことなので、できるだけ多くの人に彼らの話を聴いて欲しいということで、追加で糸島市の伊都文化会館の開催となったようです。糸島でのこのイベント開催に尽力された藤井さんも挨拶されていました。

 

最所はこのイベントのシリーズにも、年に数回デンマークからお出でいただいている、日欧文化交流学院の理事長の千葉忠夫さんの基調講演がありました。

千葉さんはデンマークが世界で最も幸福な国に48年前に渡り、どうしたら日本が幸せになるかを学び、考えてきたそうです。日本で数冊の本を書かれ(「格差と貧困のないデンマーク」PHP新書など)、ときどき、今回のような講演活動をされています。

僕は以前にも、千葉さんの講演を一度聴いたことがあるのですが、まずデンマークがどこにあり、どんな国かをまず説明され、日本との比較があり、今回初めて聴いたことは、エネルギー問題ではデンマークが2050年までに国内の電力をすべて再生可能エネルギーで賄うことを決めたとのことでした。デンマークでは再生可能エネルギーがすでに使用電力の40%に達しているそうです。

今回の核心である「幸福な国とは」という問いを突き詰めるのに、千葉さんから会場の参加者の皆さんへの質問が始まりました。

「幸せな国」ってよく言いますけど、幸せな国ってどんな国ですか?って具合に質問していって、参加者の答えの中から、なんとなく、その確信の要素を引き出していくわけです。すると、だいたい下記のような言葉が=で結び付けられるように誘導されていきました。これがデンマーク流の講義のようです。

「幸せな国」=「生活しやすい国」=「ゆりかごから墓場まで安心して暮らせる国」=「社会福祉国家」=「国民すべての人の生活を保障している国」=「真の民主主義国家」=「主権在民」=国民が主権を行使するのは「選挙」

というふうに答えを展開していき、選挙の投票こそが、国民、市民が主権を行使することなんだということが結び付けられました。

デンマークでは選挙の投票率が80%以下になることは少なく、国会議員の選挙だと投票率は90%前後になるそうです。

つまり、日本は民主主義度がわずか40%の国で、国民が主権を60%も放棄した国ということが分かってきました。日本人は政治的に未成熟な国民で開発途上国だと言われているように僕は感じました。自分たちのことは自分たちが決めるという自治の意識が日本国民の教育では育てられていないということのようです。

この「自分たちのことは自分で決める。自国のことは自国民が決める。」という意識が低くて、お上にすべてを決めてもらい、自分は何にも結果に責任を取りたくないというのが、日本の一般的国民の政治意識なのかもしれません。

さて、もうひとつ大きな「民主主義とは?」という質問がなされました。これを因数分解してみましょうという問いが千葉さんから出され、

 「民主主義=自由・博愛・平等」とすぐ参加者の回答があり、「博愛」は「お互いが人間として認め合うこと、共生、連帯」などという答えがありました。そこで、問題になったのが「平等」に対する価値観が日本とデンマークでは異なるということでした。

 

「円形のピザを三人の人に平等に分ける問題」では上の図が示すように、日本の「平等」の価値観だと左図のように三等分に分けるのが平等ということになるのですが、デンマークだと「まず三人で話し合って、一番食べたい人食べる必要が有る人に多くが分けられ、残りを残りの二人が話し合って分ける」ことがデンマークの平等という価値観らしいのです。

「対象者が話し合って必要度にあわせて自分たちで決められることが平等」ということのようです。つまり、話し合う機会に参加できて、自分の主張ができて(意見が言えて)、その人以外の人がそれをちゃんと聞いてくれる意見が反映される)状況が平等ということのようです。つまり日本の国会のように自分の意見を言いっ放しで、人の意見を聴かないのは平等ではないということです。

日本人は責任を持って選択することが下手ということと、意見を言い合ってものごとを決めるコミュニケーション能力が低いのではないか、そういう部分が日本人の政治参加に若者や女性が少ない原因なのではないかという問題提起でした。

 

続いて、4年前19歳の女子高生のときに保守党から立候補して北フュン市の市議会議員に初当選された、シイナ・W・ソオレンセンさんの提言発表があった。彼女は市議の任期を終え、ニュージーランドの大学で政治学を学んだ後、現在デンマークの大学でさらに国会議員を目指して政治学を学んでいるとのことでした。

彼女が市議会議員に立候補したのには2つの理由があったそうです。

理由の一つ目は、自分の従兄弟が犯罪を犯してしまったのだが、市議会が従兄弟をさらにだめにする政策を行なっていて、その政策を変えたかったのだそうです。

そして理由の二つ目はマスコミが若者たちの行動を批判していて、特に市議会に40代、50代の市議会議員たちしかおらず、若者の声をちゃんと聴いて代弁してくれる議員がいなかったそうです。その40代50代の市議会議員たちは、シイナさんが子どもの頃から、若者の意見も聴かずに批判していて、これはフェアではないとずっと思っていて、なんとかこういう状況を変えたいとずっと思っていたそうです。その原因に若者の代表が市議会にいないと判断したシイナさんは議会を進歩させるために、自分が立候補することを決意したそうです。

デンマークでは1908年に女性の地方選挙権が与えられ、1915年に女性の国政への被選挙権が与えられましたが、全体に女性議員が占める割合は2%だったそうです。それが、1070年代に起きた、レッドソックス運動というのがあって、女性の社会運動が活発化し、1977年には国会議員の25%を占めるようになったそうです。現在は国会議員の40%が女性で、国の大臣の40%が女性なんだそうです。

シイナさんは女性の代表として議員になろうとしたのではなく、若者の代表として議員になったとのこと。じかし、デンマークでは女性が議員になることで、幼稚園や小学校の充実や、女性の社会進出が当たり前のことになったと思うとのこと。 

でも、日本はデンマークの真似をする必要は無いとも思う。日本は日本人がやりたいように進化させていけばいいと思うとのことでした。

シイナさんは現在大学の修士課程で政治学を学んでいて、いずれ国政に関わりたいと思っているとのこと。そこで学んだことの基本は「民主主義は民が行なう政治」であり、政治は民が自分のこととして行なわなければならない。デンマークでは18歳で参政権があり、18歳には18歳の政治的役割があり、自分はそれを果たそうとしてきただけですとのこと。

2週間日本に滞在して、日本の若い女性と対話して、それぞれの方が希望(夢)を持っていることを感じたので、10年後の日本が観てみたいとのことでした。

 

やはり、シイナさんが人前で演説をすることに慣れていらっしゃるので、ゆっくり落ち着いて、参加者の目を観ながら話される様子に、大きなオーラを感じましたし、若いけどしっかりした覚悟を感じました。

 

 

次に演壇に上がったのは18歳の高校3年のときに市議会議員に当選して現役の北フェン市の市議をしているラッセ・H・ピーダゼン君でした。

ラッセ君が市議会議員に立候補するようになったのには、子どもの頃の経験が大きく影響しているようでした。

ラッセ君が8歳のときご両親が離婚されたそうです。離婚の原因がラッセ君のお母さんが同性愛者であったためで、自分と妹さんはお母さんに引き取られたそうです。母が同性愛者であることで、ラッセ君は学校でイジメられることは無かったが、妹はイジメにあって疲れ果てたようになったそうです。そのことで、母親は学校側にイジメを無くしてくれるよう要望したが学校は何もしてくれなかったそうです。それで、学校側の理不尽さにに憤慨したラッセ君はいろいろ考えて、小学校の生徒会に入って生徒会の活動を通してイジメを無くす活動をしたり、学校の理事の一人になり理事会に参加して不当な扱いを子どもにする人々と対決していったそうです。

これは以前のデンマークを学ぶ会で聞いたことですが、デンマークでは幼稚園から小学校以上の学校を運営している理事会において、9人の理事のなかに2名の生徒の代表が生徒たちの選挙で選ばれてなり、生徒たちの意見や要望を学校の運営に反映させていくことが決められているそうです。幼稚園でも園児が2名の理事を務め、自分たち園児の要望を出すのです、例えばウサギが飼いたいと要望すればウサギ小屋を作る予算や1年分のえさ代を幼稚園の予算に組み込むよう提案するのだそうです。

ラッセ君はそういう子ども時代を過ごし、政治に関心を持つようになり、17歳のとき社会民主党のある人の話に自分の考えに近い考え方を感じて、同等の青年部に入党したそうです。他の政党からの勧誘もあったが、自分には社会民主党が自分に合うと判断したそうです。そこで、政治的なことをもっと学び30代、40代の同党の市議会議員と話してみると、自分の住む北フュン市の市政に若者の意見が反映していないし、子どもたちへの政策が薄いと感じ始めたそうです。それで高校3年の18歳のとき自分が若者の意見を市政に反映させたいと市議会議員に立候補したそうです。

今年の1月1日から市議の任期が始まりましたが、実際に議会に参加してみて、高齢の市議が若者の意見を理解しているし、若者たちのこともちゃんと考えて政治をしていることも知ったそうです。

話の途中、ラッセ君は演壇から降り、若い参加者に「あなたは議員に立候補したいですか?」と質問してまわって、直接の反応を聞いていました。

彼は市議になることで北フュン市が自分の町、自分の市という気持ちがより強くなったし、市が若者を経済的にも支援することが大切だと感じているそうです。そうしないと、若者が自分の市や町だと感じなくなり、市や町から離れていくことになると思ったそうです。

 

イベント最後はシンポジウム方式で講演されたお三方と糸島市民代表の江頭昌子さんと若者代表の鈴木未来さんを交えて、長阿彌先生の司会でトークセッションが行なわれました。

市民代表の江頭さんが「デンマークの20代の若者が自分たちの意見を政界に届けようと行動していることに日本との差を感じた。そこに教育の差があるのだろうと投げかけていました。

学生代表の鈴木さんは「デンマークと日本の若者の政治に対する意識の違いを感じた。」と述べらていました。

ラッセ君によると、自分の市の市議会議員の給与は無く、社会民主党からの月17万円の手当てで生活しているとのこと。市議会議員に立候補したときもポスターと資料の制作費に6万円かかったが、4万円を自分で出して残りの2万円を党が援助してくれたそうです。政務上何かを調べるために移動する交通費はすべて自腹だそうです。日本の兵庫の県会議員とは大違いですね。

またラッセ君によると、自分は自分の住んでいる町が好きで、しかも学校の生徒会活動なんかをしていると、高校生くらいになると、市の政治が市民のためになっているのか関心が高まっていったそうです。しかも月に1回小学生、中学生の代表が集まって市側の人とミーティングをして、自分たちの町の問題点やどうしていったらいいかを話し合うプログラムが市の仕組みの中に組み込まれているそうです。ラッセ君はそのプログラムに参加したことがあるそうです。

また、シイナさんへの「なぜ国会議員になりたいのか?」という質問に対して彼女は、市議会議員時代に国会議員たちと意見交換をする機会があり、その体験を通して、自分が国会議員になって通したい法案が見えてきて、それが通るときっと地方を良くすると感じたからだそうです。

また、シイナさんによると、「専業主婦」という言葉はデンマークでは一般的ではなく、1970年代のレッドソックス運動以降、男も女も働くのが当たり前なんだそうです。

シイナさんから「日本人は25才になれば被選挙権が与えられ、議員に立候補できるそうですが、日本の人はなぜ立候補しないのですか?」という質問がなげられました。

それに対して、江頭さんが「日本の選挙にはものすごくお金がかかり、ハードルが高いことや政治的問題を自分の問題としてとらえているひと(若者も大人も)があまりにも少ないのでは。」と答えてくれました。

最後に長阿彌先生から、デンマークの教育で「〇〇についてどう思う?」と言うことがとても多いということが伝えられました。自分で考え、自分の言葉で意見を発表し、それを聴き合い、意見や考えを交換する教育、つまり話し合いが意見のぶつかり合いだけではなく、ちゃんと受けとめられる経験をどれだけ多くしているかが教育にとって大切なことだと思いました。

そういえば、今回の若いデンマーク人のゲストお二人はシイナさんが保守党で、ラッセ君が社会民主党で対立する党らしいのですが、このイベント中お互いの意見をちゃんと最後まで聞いて意見を言って、誰かの話の腰を折るようなことは一度もありませんでしたし、同じ意見であるとうなずかれることが多かったように思いました。

 

イベント後ラッセ君と少し話をしてみると、聴衆の目を観てゆっくり話す言い方や大事なことを伝える意見のの言い方などは社会民主党の青年部で訓練を受けたそうです。そして、ラッセ君の後にはさらに17歳の次の市議会議員候補の若者が党の青年部に控えていて、彼らのほうが頭がいいと謙遜していました。

糸島のイベントに若者が参加することは珍しいのですが、しかもこの日は平日の午後でした。それでも大学生くらいの人が5~6人参加されていて、強い刺激を受けたのではないかと思いました。

 

日本は世界で一番の借金国で、軍事力も外交も弱く、外国任せで、政治家の人たちを見ても全くただ足の引っ張り合いをする創造性の無い人たちに見えます。ある意味国民の能力の反映でありアバターなのだと思います。

政治的なことをこのブログでは意識的に避けてきましたが、社会を良くするのに政治抜きではできません。今回は日本の教育が無駄な受験というもので終わり、デンマークの教育の考え方が個人の自立と他人との共生と創造力を育てることにポイントを置いていることを伝えかったので、長い話になりました。

最後まで読んでくれた方に感謝します。