伊藤ファミリーBLOG

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【今日の聖句】 2020/09/23

2020-09-23 05:45:45 | 今日の聖句
テモテへの手紙二 2:15 新共同訳

あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい。

パウロは若き愛弟子テモテに対し、教会の指導者に相応しく、誰からも後ろ指を指されるようなことのないように、人々の模範となるように勧めました。福音をまだ知らぬ人々にキリストを証する者として、聖なる神の御名に泥を塗ることのないよう、恥入るところのない練達した働き手となる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/2ti.2.15.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/09/22

2020-09-22 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 31:1-12

「わたしは、わたしの目と契約を結んだ、どうして、おとめを慕うことができようか。 もしそうすれば上から神の下される分はどんなであろうか。高き所から全能者の与えられる嗣業はどんなであろうか。 不義なる者には災が下らないであろうか。悪をなす者には災難が臨まないであろうか。 彼はわたしの道をみそなわし、わたしの歩みをことごとく数えられぬであろうか。 もし、わたしがうそと共に歩み、わたしの足が偽りにむかって急いだことがあるなら、 (正しいはかりをもってわたしを量れ、そうすれば神はわたしの潔白を知られるであろう。) もしわたしの歩みが、道をはなれ、わたしの心がわたしの目にしたがって歩み、わたしの手に汚れがついていたなら、 わたしのまいたのを他の人が食べ、わたしのために成長するものが、抜き取られてもかまわない。 もし、わたしの心が、女に迷ったことがあるか、またわたしが隣り人の門で待ち伏せしたことがあるなら、 わたしの妻が他の人のためにうすをひき、他の人が彼女の上に寝てもかまわない。 これは重い罪であって、さばきびとに罰せられるべき悪事だからである。 これは滅びに至るまでも焼きつくす火であって、わたしのすべての産業を根こそぎ焼くであろう。」

ヨブは自分の正しさを立証するために、これまでどのように地上の生涯を歩んできたか、自らの人生を振り返り、身の潔白を主張しました。最初に語ったことは女性関係です。若い乙女を見ても欲情せず、偽証したり他人の所有を盗んだりしたこともなく、まして自分の妻以外の女性との不倫など心にも思ったことがないと語り、もしそのような事実があったとしたならば、自分の収穫が他人の所有となり自分の妻が他人に寝取られても構わないと誓いました。ヨブは確かに罪を犯しませんでしたが、自分の義を立証するために自らの行いを誇り、必要のない誓約を立てた点は行き過ぎています。過ぎたるは及ばざるが如しとの諺のように、度を超えた自己主張は避けるべきです。

https://www.bible.com/bible/81/job.31.1-12.ja1955

*****

ヨブ記 31:13-23

「わたしのしもべ、また、はしためがわたしと言い争ったときに、わたしがもしその言い分を退けたことがあるなら、 神が立ち上がられるとき、わたしはどうしようか、神が尋ねられるとき、なんとお答えしようか。 わたしを胎内に造られた者は、彼をも造られたのではないか。われわれを腹の内に形造られた者は、ただひとりではないか。 わたしがもし貧しい者の願いを退け、やもめの目を衰えさせ、 あるいはわたしひとりで食物を食べて、みなしごに食べさせなかったことがあるなら、 (わたしは彼の幼い時から父のように彼を育て、またその母の胎を出たときから彼を導いた。) もし着物がないために死のうとする者や、身をおおう物のない貧しい人をわたしが見た時に、 その腰がわたしを祝福せず、また彼がわたしの羊の毛で暖まらなかったことがあるなら、 もしわたしを助ける者が門におるのを見て、みなしごにむかってわたしの手を振り上げたことがあるなら、 わたしの肩骨が、肩から落ち、わたしの腕が、つけ根から折れてもかまわない。 わたしは神から出る災を恐れる、その威光の前には何事もなすことはできない。」

次いでヨブは、自分の奴隷たちの訴えを退けたことがなく、貧しい人々に施しを為し、社会的弱者を虐げたことがあったかと、自らの善行を誇りました。確かに慈善事業に励むことはよいことですが、それを自分の正しさとして自己主張するならば、神の目には尊い行いとして見られるでしょうか。右手の行っていること(善行)を左の手に知らせてはならないとの御言葉の如く、良い業は人目に付かないところで行うことが義人の美徳であり、自らの行いを人の前で誇ることよりも、隠れた行いを見ておられる神の目に喜ばれることの方が最も大切なことです。

https://www.bible.com/bible/81/job.31.13-23.ja1955

*****

ヨブ記 31:24-40

「わたしがもし金をわが望みとし、精金をわが頼みと言ったことがあるなら、 わたしがもしわが富の大いなる事と、わたしの手に多くの物を獲た事とを喜んだことがあるなら、 わたしがもし日の輝くのを見、または月の照りわたって動くのを見た時、 心ひそかに迷って、手に口づけしたことがあるなら、 これもまたさばきびとに罰せらるべき悪事だ。わたしは上なる神を欺いたからである。 わたしがもしわたしを憎む者の滅びるのを喜び、または災が彼に臨んだとき、勝ち誇ったことがあるなら、 (わたしはわが口に罪を犯させず、のろいをもって彼の命を求めたことはなかった。) もし、わたしの天幕の人々で、『だれか彼の肉に飽きなかった者があるか』と、言わなかったことがあるなら、 (他国人はちまたに宿らず、わたしはわが門を旅びとに開いた。) わたしがもし人々の前にわたしのとがをおおい、わたしの悪事を胸の中に隠したことがあるなら、 わたしが大衆を恐れ、宗族の侮りにおじて、口を閉じ、門を出なかったことがあるなら、 ああ、わたしに聞いてくれる者があればよいのだが、(わたしのかきはんがここにある。どうか、全能者がわたしに答えられるように。)ああ、わたしの敵の書いた告訴状があればよいのだが。 わたしは必ずこれを肩に負い、冠のようにこれをわが身に結び、 わが歩みの数を彼に述べ、君たる者のようにして、彼に近づくであろう。 もしわが田畑がわたしに向かって呼ばわり、そのうねみぞが共に泣き叫んだことがあるなら、 もしわたしが金を払わないでその産物を食べ、その持ち主を死なせたことがあるなら、 小麦の代りに、いばらがはえ、大麦の代りに雑草がはえてもかまわない」。ヨブの言葉は終った。

ヨブは自分の頼みとするものについても身の潔白を主張します。自分の金すなわち財産を頼みとしたこともなく、太陽や月すなわちエジプトが最高神とあがめる太陽神やアラブ地方一帯で信奉されている月の神を拝んだこともないと、まことの神だけに仕えてきたと信仰告白しました。更にヨブは、自分に敵対する者の不幸を喜ばず、尋ねてくる者をもてなさなかったこともないと、対人関係についても己の正しさを主張しました。ここまで徹底して義を行ってきた人を、誰が非難し得ましょうか。しかしヨブは、自分の正しさを主張するあまり、神の御前に遜ることを忘れてしまったようです。行いにおいて非の打ち所のない人の犯してしまいやすい過ちは、自らを誇り心に高ぶる高慢の罪です。

https://www.bible.com/bible/81/job.31.24-40.ja1955
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【今日の聖句】 2020/09/22

2020-09-22 06:36:36 | 今日の聖句
マルコによる福音書 11:24 新共同訳

「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」

神は義人の祈りを聞き届けてくださるのですから、私たちが祈った時点でもはや叶えてくださったものと同然です。わたしの名によって何でも父なる神に祈り求めなさいと教えてくださった主イエスの御約束に信頼し、祈りは既に答えられたと確信して神の時を待ち望む私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/mrk.11.24.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/09/21

2020-09-21 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 30:1-14

「しかし今はわたしよりも年若い者が、かえってわたしをあざ笑う。彼らの父はわたしが卑しめて、群れの犬と一緒にさえしなかった者だ。 彼らの手の力からわたしは何を得るであろうか、彼らはその気力がすでに衰えた人々だ。 彼らは乏しさと激しい飢えとによって、かわいた荒れ地をかむ。 彼らは、ぜにあおいおよび灌木の葉を摘み、れだまの根をもって身を暖める。 彼らは人々の中から追いだされ、盗びとを追うように、人々は彼らを追い呼ばわる。 彼らは急流の谷間に住み、土の穴または岩の穴におり、 灌木の中にいななき、いらくさの下に押し合う。 彼らは愚かな者の子、また卑しい者の子であって、国から追いだされた者だ。 それなのに、わたしは今彼らの歌となり、彼らの笑い草となった。 彼らはわたしをいとい、遠くわたしをはなれ、わたしの顔につばきすることも、ためらわない。 神がわたしの綱を解いて、わたしを卑しめられたので、彼らもわたしの前に慎みを捨てた。 このともがらはわたしの右に立ち上がり、わたしを追いのけ、わたしにむかって滅びの道を築く。 彼らはわたしの道をこわし、わたしの災を促す。これをさし止める者はない。 彼らは広い破れ口からはいるように進みきたり、破壊の中をおし寄せる。」

ヨブ記30章は29章との対比として読む箇所です。ユダヤ文学的にはパラレリズムと呼びます。29章ではかつてのヨブの姿、正義に満ち人々の模範的な存在であった、ヨブの人生の中で幸せな日々について記されています。一方、30章では現在のヨブの姿、突然の災いが降りかかり、人々から厭われ、蔑まれ、見捨てられた惨めな人生の日々について描かれています。私たちの人生においても、良いときもあれば悪いときもある、山あり谷ありの連続です。たとい人生のどん底に陥っても、神の御手の内にあることを覚える私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/job.30.1-14.ja1955

*****

ヨブ記 30:15-31

「恐ろしい事はわたしに臨み、わたしの誉は風のように吹き払われ、わたしの繁栄は雲のように消えうせた。 今は、わたしの魂はわたしの内にとけて流れ、悩みの日はわたしを捕えた。 夜はわたしの骨を激しく悩まし、わたしをかむ苦しみは、やむことがない。 それは暴力をもって、わたしの着物を捕え、はだ着のえりのように、わたしをしめつける。 神がわたしを泥の中に投げ入れられたので、わたしはちり灰のようになった。 わたしがあなたにむかって呼ばわっても、あなたは答えられない。わたしが立っていても、あなたは顧みられない。 あなたは変って、わたしに無情な者となり、み手の力をもってわたしを攻め悩まされる。 あなたはわたしを揚げて風の上に乗せ、大風のうなり声の中に、もませられる。 わたしは知っている、あなたはわたしを死に帰らせ、すべての生き物の集まる家に帰らせられることを。 さりながら荒塚の中にある者は、手を伸べないであろうか、災の中にある者は助けを呼び求めないであろうか。 わたしは苦しい日を送る者のために泣かなかったか。わたしの魂は貧しい人のために悲しまなかったか。 しかしわたしが幸を望んだのに災が来た。光を待ち望んだのにやみが来た。 わたしのはらわたは沸きかえって、静まらない。悩みの日がわたしに近づいた。 わたしは日の光によらずに黒くなって歩き、公会の中に立って助けを呼び求める。 わたしは山犬の兄弟となり、だちょうの友となった。 わたしの皮膚は黒くなって、はげ落ち、わたしの骨は熱さによって燃え、 わたしの琴は悲しみの音となり、わたしの笛は泣く者の声となった。」

突然の不幸に見舞われ、自らの肉体も病に冒され、すべてを失ったヨブは、その苦しい心の内を吐露します。何よりもヨブを苦しめたのは、神に祈っても答えがなく、叫んでも顧みられなかったことです。何一つ罪も犯しておらず、神の御前に正しく歩んできたヨブにとって、災いを受ける理由が思い当たらないことが、心に思い乱れ、苦しみをいっそう増し加えたのでした。正しい者が神から裁かれ、叫び求めても何一つ答えもなく、神から見捨てられたかのように扱われたのは、キリストの受難の予表です。主イエスも十字架の上で、わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですかと叫ばれました。しかしキリストは自分の魂の苦しみにより光を見て満足します。私たちの罪の身代わりとして神から裁かれることによって、十字架を信じ受け入れるすべての人に永遠の救いがもたらされます。

https://www.bible.com/bible/81/job.30.15-31.ja1955
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【今日の聖句】 2020/09/21

2020-09-21 05:45:45 | 今日の聖句
ヨハネの手紙一 4:18 新共同訳‬‬

愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。

愛することは、相手を完全に信頼しきることです。全知全能の神、天地万物を統べ治められる主の愛の内にいるならば、私たちは誰を恐れる必要がありましょうか。神に全き信頼を寄せ、心の内から恐れを取り除いて、何事にも勇敢に、正々堂々と罪と悪とに立ち向かい、神の義を証する私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/1jn.4.18.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/09/20

2020-09-20 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 29:1-13

ヨブはまた言葉をついで言った、 「ああ過ぎた年月のようであったらよいのだが、神がわたしを守ってくださった日のようであったらよいのだが。 あの時には、彼のともしびがわたしの頭の上に輝き、彼の光によってわたしは暗やみを歩んだ。 わたしの盛んな時のようであったならよいのだが。あの時には、神の親しみがわたしの天幕の上にあった。 あの時には、全能者がなおわたしと共にいまし、わたしの子供たちもわたしの周囲にいた。 あの時、わたしの足跡は乳で洗われ、岩もわたしのために油の流れを注ぎだした。 あの時には、わたしは町の門に出て行き、わたしの座を広場に設けた。 若い者はわたしを見てしりぞき、老いた者は身をおこして立ち、 君たる者も物言うことをやめて、その口に手を当て、 尊い者も声をおさめて、その舌を上あごにつけた。 耳に聞いた者はわたしを祝福された者となし、目に見た者はこれをあかしした。 これは助けを求める貧しい者を救い、また、みなしごおよび助ける人のない者を救ったからである。 今にも滅びようとした者の祝福がわたしに来た。わたしはまたやもめの心をして喜び歌わせた。」

ヨブは過去を振り返り、神と共に歩んだ日々を回顧します。このときヨブは過去の栄光にすがりついたり誇るために昔話を思い起こしたのではなく、いかに自分が神の御前に正しく歩み、神に用いられていたか、弱い者を助け、人々から称賛を受けていたか、今は友人たちに犯してもいない罪の嫌疑を着せられている現状がいかに不当なことか、自らの正しさを証するために過去を振り返ったのです。私たちが自分の歩んできた道を振り返るとき、神の御前に正々堂々と立つことができるでしょうか。

https://www.bible.com/bible/81/job.29.1-13.ja1955

*****

ヨブ記 29:14-25

「わたしは正義を着、正義はわたしをおおった。わたしの公義は上着のごとく、また冠のようであった。 わたしは目しいの目となり、足なえの足となり、 貧しい者の父となり、知らない人の訴えの理由を調べてやった。 わたしはまた悪しき者のきばを折り、その歯の間から獲物を引き出した。 その時、わたしは言った、『わたしは自分の巣の中で死に、わたしの日は砂のように多くなるであろう。 わたしの根は水のほとりにはびこり、露は夜もすがらわたしの枝におくであろう。 わたしの栄えはわたしと共に新しく、わたしの弓はわたしの手にいつも強い』と。 人々はわたしに聞いて待ち、黙して、わたしの教に従った。 わたしが言った後は彼らは再び言わなかった。わたしの言葉は彼らの上に雨のように降りそそいだ。 彼らは雨を待つように、わたしを待ち望み、春の雨を仰ぐように口を開いて仰いだ。 彼らが希望を失った時にも、わたしは彼らにむかってほほえんだ。彼らはわたしの顔の光を除くことができなかった。 わたしは彼らのために道を選び、そのかしらとして座し、軍中の王のようにしており、嘆く者を慰める人のようであった。」

ヨブの人生は正義を身にまとったような神と人との前に正しい歩みをしていました。人のために尽くし、希望を見失った人に憐れみ深く接し、その言葉には説得力があり、誰一人として異論を唱えることのできないような、完璧な生き様でした。たといヨブの友人たちが罪を探し出そうとしても、何ら咎められることのない、そのような人がこの世に存在するのだろうかと思えるような模範的な日々を送っていました。だからこそヨブは自らの身の潔白を訴え続けてきたのです。しかし私たちは、自身の正しさを主張することはできても、自らの行いによって神に義と認められるものではありません。大切なことは、神の目にどのように映っているか、神が私たちをどのように評価してくださるかなのです。

https://www.bible.com/bible/81/job.29.14-25.ja1955
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【今日の聖句】 2020/09/20

2020-09-20 06:45:45 | 今日の聖句
ガラテヤの信徒への手紙 1:10 新共同訳

「こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。」

キリストの十字架を信じ、神の民とされた私たちは、誰が何と言おうとも、神が味方に付いているのです。常に人の目を気にし、人に取り入ろうとする生き方を捨て、ただ神だけに寄り頼み、神のお気に入りとされた者として正々堂々、自分に自信を持って、神の民に相応しい人生を歩む私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/gal.1.10.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/09/19

2020-09-19 06:36:36 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 28:1-12

「しろがねには掘り出す穴があり、精錬するこがねには出どころがある。 くろがねは土から取り、あかがねは石から溶かして取る。 人は暗やみを破り、いやはてまでも尋ねきわめて、暗やみおよび暗黒の中から鉱石を取る。 彼らは人の住む所を離れて縦穴をうがち、道行く人に忘れられ、人を離れて身をつりさげ、揺れ動く。 地はそこから食物を出す。その下は火でくつがえされるようにくつがえる。 その石はサファイヤのある所、そこにはまた金塊がある。 その道は猛禽も知らず、たかの目もこれを見ず、 猛獣もこれを踏まず、ししもこれを通らなかった。 人は堅い岩に手をくだして、山を根元からくつがえす。 彼は岩に坑道を掘り、その目はもろもろの尊い物を見る。 彼は水路をふさいで、漏れないようにし、隠れた物を光に取り出す。 しかし知恵はどこに見いだされるか。悟りのある所はどこか。」

ヨブは神の知恵、真の悟りを探求することを、地中深くから鉱物を採掘し、精錬して貴金属を得ることにたとえました。人は金銀を得るために危険を顧みず鉱山を掘り、労力を惜しまずに純度を高めます。それは何故でしょうか。金銀にはそれだけの価値があるからです。であるならば、私たちにいのちを与え、人間本来の姿を取り戻させる神の知恵を、どうして求めないのでしょうか。神に喜ばれる者となり永遠のいのちに導く悟りを得るために、私たちはどれほど労力を払っているでしょうか。私たちは力を尽くして神を探し求め、神の知恵と悟りとを全力で真理を慕い求めなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/job.28.1-12.ja1955

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ヨブ記 28:13-19

「人はそこに至る道を知らない、また生ける者の地でそれを獲ることができない。 淵は言う、『それはわたしのうちにない』と。また海は言う、『わたしのもとにない』と。 精金もこれと換えることはできない。銀も量ってその価とすることはできない。 オフルの金をもってしても、その価を量ることはできない。尊い縞めのうも、サファイヤも同様である。 こがねも、玻璃もこれに並ぶことができない。また精金の器物もこれと換えることができない。 さんごも水晶も言うに足りない。知恵を得るのは真珠を得るのにまさる。 エチオピヤのトパズもこれに並ぶことができない。純金をもってしても、その価を量ることはできない。」

高価で美しく希少価値のある貴金属や宝石よりも、神の知恵と悟りの方が比較にならないほど素晴らしいと、ヨブは様々な貴金属や宝石類を引き合いにして賞賛しました。しかし神の知恵は人には隠されており、どれほど努力を積み重ねたとしても、悟りを得ることも見つけ出すこともできません。少なくともヨブの生きていた旧約聖書の時代にはそうでした。それは神が人間とは次元の異なる、圧倒的で絶大な存在であるからです。しかし現代に生きる私たちには、それがどこにあるか明かされています。それが生ける神の御言葉である聖書です。私たちのすぐ手元に聖書があることに感謝します。もっともっと聖書に親しみ、御言葉の中なら神の知恵と悟りとを発見する私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/job.28.13-19.ja1955

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ヨブ記 28:20-28

「それでは知恵はどこから来るか。悟りのある所はどこか。 これはすべての生き物の目に隠され、空の鳥にも隠されている。 滅びも死も言う、『われわれはそのうわさを耳に聞いただけだ』。 神はこれに至る道を悟っておられる、彼はそのある所を知っておられる。 彼は地の果までもみそなわし、天が下を見きわめられるからだ。 彼が風に重さを与え、水をますで量られたとき、 彼が雨のために規定を設け、雷のひらめきのために道を設けられたとき、 彼は知恵を見て、これをあらわし、これを確かめ、これをきわめられた。 そして人に言われた、『見よ、主を恐れることは知恵である、悪を離れることは悟りである』と」。

神の知恵、真の悟りがどこにあるのかと探し求めるヨブに対し、神は主を恐れることこそ知恵であり、悪を離れることこそが悟りであると答えられました。まさに主を畏れることは知恵のはじめです。人の目には見えない神の存在を否定し、神を探し求めることなく、自分の欲望を満たすために時間も労力もお金も惜しまずにふんだんに使う現代人たちに対し、わたしを捜し求めよと神は問い続けておられます。この世のいのち尽きるとき、私たちはこの世で得たものは何一つ携えてゆくことはできず、すべてを地上に残してゆかねばなりません。永遠に残る真理の宝、神の知恵と悟りとを身に付け、神と共に永遠に生きる希望に真の喜びを得させていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/job.28.20-28.ja1955
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【今日の聖句】 2020/09/19

2020-09-19 05:05:30 | 今日の聖句
マタイによる福音書 4:4 新共同訳

イエスはお答えになった。 「『人はパンだけで生きるものではない。 神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』 と書いてある。」

言葉を理解し神と親しく交わることのできる存在として造られた私たちは、空腹を満たすための食物だけでなく、神の御言葉によって心も満たされなければ、真に人間らしく生きることはできません。生ける神の御言葉である聖書を心の糧とし、身も心も生き生きとした人間本来の姿を取り戻す私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/mat.4.4.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/09/18

2020-09-18 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 27:1-7

ヨブはまた言葉をついで言った、 「神は生きておられる。彼はわたしの義を奪い去られた。全能者はわたしの魂を悩まされた。 わたしの息がわたしのうちにあり、神の息がわたしの鼻にある間、 わたしのくちびるは不義を言わない、わたしの舌は偽りを語らない。 わたしは断じて、あなたがたを正しいとは認めない。わたしは死ぬまで、潔白を主張してやめない。 わたしは堅くわが義を保って捨てない。わたしは今まで一日も心に責められた事がない。 どうか、わたしの敵は悪人のようになり、わたしに逆らう者は不義なる者のようになるように。」

ヨブは終始一貫して自らの潔白を訴えています。そして、苦境に立たされているのは何か罪を犯したからだとヨブを責め立てる友人たちの主張を、自分は決して認めることはできないと語ります。自分には何一つ罪がないと断言できるヨブの信仰生活は立派なもので、私たちには到底真似ができません。しかし私たちは、主イエスの十字架によってすべての罪は赦されていると、自信を持って断言することができますから感謝いたします。

https://www.bible.com/bible/81/job.27.1-7.ja1955

*****

ヨブ記 27:8-12

「神が彼を断ち、その魂を抜きとられるとき、神を信じない者になんの望みがあろう。 災が彼に臨むとき、神はその叫びを聞かれるであろうか。 彼は全能者を喜ぶであろうか、常に神を呼ぶであろうか。 わたしは神のみ手についてあなたがたに教え、全能者と共にあるものを隠すことをしない。 見よ、あなたがたは皆みずからこれを見た、それなのに、どうしてむなしい者となったのか。」

これまでのヨブの生活態度が神の前に落ち度がなかったことは、ヨブだけでなく友人たちも見てきたはずでした。それなのにヨブの身に災いが及ぶと、何か罪を犯したのではないかと探るのは何故か、神を信じていないのかとヨブは友人たちを責めました。自分たちの主張や信念を曲げようとしないために相手のあら探しをする態度は、信仰者には相応しくありません。真実は真実として謙虚に受け止め、自分たちの理解を超えることはその都度、神に尋ね求めることが、信仰者の取るべき姿勢です。

https://www.bible.com/bible/81/job.27.8-12.ja1955

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ヨブ記 27:13-23

「これは悪人の神から受ける分、圧制者の全能者から受ける嗣業である。 その子らがふえればつるぎに渡され、その子孫は食物に飽きることがない。 その生き残った者は疫病で死んで埋められ、そのやもめらは泣き悲しむことをしない。 たとい彼は銀をちりのように積み、衣服を土のように備えても、 その備えるものは正しい人がこれを着、その銀は罪なき者が分かち取るであろう。 彼の建てる家は、くもの巣のようであり、番人の造る小屋のようである。 彼は富める身で寝ても、再び富むことがなく、目を開けばその富はない。 恐ろしい事が大水のように彼を襲い、夜はつむじ風が彼を奪い去る。 東風が彼を揚げると、彼は去り、彼をその所から吹き払う。 それは彼を投げつけて、あわれむことなく、彼はその力からのがれようと、もがく。 それは彼に向かって手を鳴らし、あざけり笑って、その所から出て行かせる。」

神を信じようとしない者、持論にこだわるばかりに真実に目を向けようとしない者は、神から災いを嗣業として受けるとヨブは語ります。嗣業とは先祖代々受け継ぐ相続財産を意味します。災いを嗣業として受けるとは、その家系が神から呪われることを意味します。子孫繁栄が神の祝福の現れと考えられていた当時の思想からすれば、神の呪いを代々受け継ぐとは、極めて厳しい断罪の言葉を、ヨブは友人たちに投げかけています。それは彼らがヨブの潔白を認めようとせず、何か罪を犯していたのではないかと、あらぬ疑いを掛け続けたことに起因します。私たち人間には人の欠点や悪事を暴こうと血眼になってあら探しする傾向がありますが、罪人の一人に過ぎない私たちに人の罪をあげつらう資格はありません。むしろ自らの罪深さを素直に認め、神の御前に赦しを請う者とならなければ、私たちは末代まで神の厳しい裁きを受ける他ありません。

https://www.bible.com/bible/81/job.27.13-23.ja1955
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【今日の聖句】 2020/09/18

2020-09-18 05:25:00 | 今日の聖句
ローマの信徒への手紙 12:21 新共同訳

悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。

悪をもって悪に報いるならば、自らも悪に手を染めるのですから、結果的に悪に負けたことになります。悪に対しては神が必ず報いられると信じて仕返ししたい気持ちを忍耐し、むしろ善を行うことによって悪に打ち勝つ私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/rom.12.21.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/09/17

2020-09-17 19:00:00 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 26:1-5

そこでヨブは答えて言った、 「あなたは力のない者をどれほど助けたかしれない。気力のない腕をどれほど救ったかしれない。 知恵のない者をどれほど教えたかしれない。悟りをどれほど多く示したかしれない。 あなたはだれの助けによって言葉をだしたのか。あなたから出たのはだれの霊なのか。 亡霊は水およびその中に住むものの下に震う。」

何の慰めにもならない一般論を語るビルダデに対してヨブは、あなたはどれだけ人を助け、教えてきたのか知らないが、あなたの語る知恵の言葉は誰の霊によって出てきたのか、と問いかけました。ヨブはビルダデの語る言葉が神から授かった知恵ではなく、自分の考え、人伝てに教えられてきた人間的な見解の域を脱していないと諭したのです。私たちは時折、自分の考える物事の判断基準を、神の御心であるかのように人に語ってしまう危険性がありますから注意が必要です。

https://www.bible.com/bible/81/job.26.1-5.ja1955

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ヨブ記 26:6-14

「神の前では陰府も裸である。滅びの穴もおおい隠すものはない。 彼は北の天を空間に張り、地を何もない所に掛けられる。 彼は水を濃い雲の中に包まれるが、その下の雲は裂けない。 彼は月のおもてをおおい隠して、雲をその上にのべ、 水のおもてに円を描いて、光とやみとの境とされた。 彼が戒めると、天の柱は震い、かつ驚く。 彼はその力をもって海を静め、その知恵をもってラハブを打ち砕き、 その息をもって天を晴れわたらせ、その手をもって逃げるへびを突き通される。 見よ、これらはただ彼の道の端にすぎない。われわれが彼について聞く所はいかにかすかなささやきであろう。しかし、その力のとどろきに至っては、だれが悟ることができるか」。

ヨブは全地全能なる神の絶大な権威と知恵、森羅万象をも従える圧倒的な御業の素晴らしさ、罪に対する報いの徹底的な様について、言葉の限りを尽くしてほめたたえました。その上で、人が神に対して知るところはごく一部分に過ぎず、全容を悟ることなど到底できないと語りました。有限の存在に過ぎない人間には、無限の存在であられる神様のすべてをわかるはずもないのですから、神の不可侵の領域に人が踏み込むことは、分不相応かつ高慢なことです。これが神の知恵だと言いながら自らの知恵を語るビルダデに対し、ヨブは自ら神に成り代わろうとする危険性を指摘したのです。

https://www.bible.com/bible/81/job.26.6-14.ja1955
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【今日の聖句】 2020/09/17

2020-09-17 05:50:35 | 今日の聖句
詩編 51:1-4 新共同訳‬‬

神よ、わたしを憐れんでください 御慈しみをもって。 深い御憐れみをもって 背きの罪をぬぐってください。 わたしの咎をことごとく洗い 罪から清めてください。

取り返しのつかない過ちを犯してしまったとき、潔く罪を認めて心から悔い改めるならば、神は私たちの罪をことごとくぬぐい去り、雪よりも白くきよめてくださいます。いかなる罪をもきよめる力のあるキリストの十字架の血潮に感謝し、罪を放置することなく神の憐れみに寄り頼む私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/psa.51.1-4.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/09/16

2020-09-16 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 25:1-6

そこでシュヒびとビルダデは答えて言った、 「大権と恐れとは神と共にある。彼は高き所で平和を施される。 その軍勢は数えることができるか。何物かその光に浴さないものがあるか。 それで人はどうして神の前に正しくありえようか。女から生れた者がどうして清くありえようか。 見よ、月さえも輝かず、星も彼の目には清くない。 うじのような人、虫のような人の子はなおさらである」。

この世の不幸が罪によるものならば何故罪を平然と犯す悪人が裁かれずこの世の人生を謳歌するのか?というヨブの反論に、ビルダデは返す言葉を失い、人は神の御前に正しくあり得ようか、という一般論を手短に語る他ありませんでした。しかも全身皮膚病に冒されたヨブのことを「うじのような人」と揶揄するような発言をしています。ビルダデの過ちは、神は正しく人には罪があるという一般論をすべての人に当てはめて、そこから外れた人を罪ありと断定して裁き、人の苦しみに寄り添わなかったことです。この世で起こり得るすべてのことが一般論で説明できるならば、何の苦労もありません。しかし私たちは一人一人、それぞれ異なる問題を抱えて生きています。大切なことはそれぞれの問題に対して個別に神に尋ね求め、そこから神の真意を探し出す努力を怠らないことです。

https://www.bible.com/bible/81/job.25.1-6.ja1955
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【今日の聖句】 2020/09/16

2020-09-16 05:30:30 | 今日の聖句
コリントの信徒への手紙一 13:1 新共同訳

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。

いかに優れた知恵の言葉や格言、更には天上の世界で通用する言葉を語ることができたとしても、それが愛に基づくものでなければ、銅鑼やシンバルを打ち叩く騒音と何ら変わらず、人に益をもたらすものではありません。神の愛に満ちた、人を生かし、希望を与える言葉を語らせていただく者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/1819/1co.13.1.新共同訳
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