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【COGHCC聖書通読】 2018/10/28

2018-10-28 07:15:45 | 一日一章・聖書通読日記
マルコによる福音書 4:1-9

イエスはまたも、海べで教えはじめられた。おびただしい群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわったまま、海上におられ、群衆はみな海に沿って陸地にいた。 イエスは譬で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、 「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。 まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。 ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。 ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。 そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。

イエス様の譬話の中でも有名な種蒔きの譬です。ここで種とは福音の御言葉、種が落ちた4つのタイプの土地は御言葉を聞く人々の心の状態を意味しています。同じ福音の御言葉を聞いても、良い地に落ちた種以外はすべて、実を結ぶことができませんでした。福音が実を結ぶためには、御言葉を聞いて信じ受け入れ、ただ聞くだけに終わらず、その教えを守り行って霊的に成長することが必要です。

http://bible.com/81/mrk.4.1-9.ja1955

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マルコによる福音書 4:10-20

イエスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬について尋ねた。 そこでイエスは言われた、「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。 それは『彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない』ためである」。 また彼らに言われた、「あなたがたはこの譬がわからないのか。それでは、どうしてすべての譬がわかるだろうか。 種まきは御言をまくのである。 道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。 同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、 自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。 また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、 世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。 また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。

ずっとイエス様と行動を共にしていた弟子たちでさえ、譬の意味を解説してもらわなかったらその意味が理解できなかったのですから、まして2000年以上も後に生きる私たちは、正しい聖書解釈を学ばなければ福音を間違って受け止めてしまう危険性が高くなります。御言葉を正しく理解するために、正統的な教会の礼拝に集い、毎週の礼拝を通して信仰を養う私たちでありますようよ。

http://bible.com/81/mrk.4.10-20.ja1955

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マルコによる福音書 4:26-34

また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。 実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」。 また言われた、「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。 それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、 まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」。 イエスはこのような多くの譬で、人々の聞く力にしたがって、御言を語られた。 譬によらないでは語られなかったが、自分の弟子たちには、ひそかにすべてのことを解き明かされた。

からし種の譬は、当時のイスラエルの人々にとって身近な日常生活の中から、福音を体験的にイメージすることができるようにされたイエス様のご配慮に満ちた教えです。そのようにイエス様は聞く人の理解力に応じて譬を語られました。そして弟子たちには譬の意味を解き明かされたのは、正しく福音を伝えることができるように教えてくださったのです。私たちに託された福音の御言葉を人々に伝えることができるように、常日頃から御言葉に学び、いつ何時でも福音を語ることができるように備える私たちでありますように。

http://bible.com/81/mrk.4.26-34.ja1955

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マルコによる福音書 4:35-41

さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われた。 そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。 すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。 ところがイエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。 イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。 イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。 彼らは恐れおののいて、互に言った、「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」。

イエス様は弟子たちと共に船に乗り、夜のガリラヤ湖を渡ろうとされました。弟子たちの中にはペテロやヤコブ、ヨハネなど、元漁師たちがいましたから、船を扱うのは得意中の得意でした。しかしこの夜は突然の激しい突風に難破しそうになり、身の危険を感じてイエス様に救いを求めるほどでした。しかしイエス様はそんな大風に揺られる船の中でも寝ておられました。それはこの世のいのちをすべて神様に委ね切っていたからでした。だからこそ風がやんだ後、「どうして信仰がないのか」と弟子たちに言われたのです。私たちも人生の荒波の中で、沈没しそうになるようなことが多々ありますが、そのとき自分の力や経験にのみ頼る者は、それ以上前に進むことができません。私たちと共にいてくださるイエス様に信頼する者は、何があっても動じることなく、祈りと信仰によって前進させていただくことができますから感謝いたします。

http://bible.com/81/mrk.4.35-41.ja1955
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