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【COGHCC聖書通読】 2018/04/17

2018-04-17 07:50:10 | 一日一章・聖書通読日記
エレミヤ書 22:1-5
主はこう言われる、「ユダの王の家に下り、その所にこの言葉をのべて、 言いなさい、『ダビデの位にすわるユダの王よ、あなたと、あなたの家臣、および、この門からはいるあなたの民は主の言葉を聞きなさい。 主はこう言われる、公平と正義を行い、物を奪われた人を、しえたげる者の手から救い、異邦の人、孤児、寡婦を悩まし、しえたげてはならない。またこの所に、罪なき者の血を流してはならない。 もしあなたがたがこの言葉を真実に行うならば、ダビデの位にすわる王とその家臣、およびその民は、車と馬に乗って、この家の門にはいることができる。 しかしあなたがたがこの言葉を聞かないならば、わたしは自身をさして誓うが、この家は荒れ地となると、主は言われる。』」

神様はエレミヤにユダの王家について預言せよと命じられました。王たる者は、国民を正しく導くリーダーとしての資質を備えなければなりません。それが公義を行うこと、社会的弱者を助けること、罪のない人を冤罪に陥れてはならないこと、この戒めを守るならば王家は安泰であると主は言われます。しかしユダの王家を継いだ者は、これらの主の戒めに耳を貸そうともせず、神様に反逆し続けてきました。そこで神様は、ユダの王家断絶を決定的なものとして実行に移されたのです。神様の御前にさいわいを得るためには、御言葉に聞き従い、公義を行うことの他にありません。

http://bible.com/81/jer.22.1-5.ja1955

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エレミヤ書 22:6-9
「『主はユダの王の家についてこう言われる、あなたはわたしに対してギレアデのようであり、レバノンの頂のようである。しかし、わたしは必ずあなたを荒れ地にし、人の住まない町にする。 わたしは滅ぼす者を設けて、あなたを攻めさせる、彼らはおのおのその武器をとり、あなたの麗しい香柏を切り倒し、火に投げ入れる。 多くの国の人はこの町を過ぎ、互に語って、「なぜ主はこの大いなる町をこのようにされたのか」と言うとき、 人は答えて、「これは彼らがその神、主の契約を捨てて他の神々を拝し、これに仕えたからである」と言うであろう』」。

ダビデとソロモンが建てた王の家は、砂漠地帯のエルサレムにあるにもかかわらず、木々が生い茂る、緑豊かな場所でした。おそらく神様はそのことを指して、あなたはギレアデの高原のようであり、レバノン杉の生い茂る山々の頂のようだとたとえました。しかしその麗しい場所をも主は荒れ廃れた街にすると宣告されました。その理由こそが、まことの神を捨て、その契約を一方的に廃して偶像の神々に仕えたためであると主は告げられました。私たちもまた主の祝福に与るには、まことの神をわが神とし、御言葉に聞き従い、忠実に仕える姿勢を保たなければなりません。

http://bible.com/81/jer.22.6-9.ja1955

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エレミヤ書 22:13-17
「不義をもってその家を建て、不法をもってその高殿を造り、隣り人を雇って何をも与えず、その賃金を払わない者はわざわいである。 彼は言う、『わたしは自分のために大きな家を建て、広い高殿を造ろう』と。そしてこれがために窓を造り、香柏の鏡板でおおい、それを朱で塗る。 あなたは競って香柏を用いることによって、王であると思うのか。あなたの父は食い飲みし、公平と正義を行って、幸を得たのではないか。 彼は貧しい人と乏しい人の訴えをただして、さいわいを得た。こうすることがわたしを知ることではないかと主は言われる。 しかし、あなたは目も心も、不正な利益のためにのみ用い、罪なき者の血を流そうとし、圧制と暴虐を行おうとする」。

私たちの生きる価値、ステータスとなるものはどこにあるでしょうか。世の人々は豊かな暮らし向きや、充実した毎日を過ごすことに生き甲斐を感じます。当時のユダの王族たちや支配者階層の人々もまた、自分たちの優雅な生活ぶりをステータスシンボルとして、特権意識に酔いしれていました。しかしそれは本末転倒なことです。王は王としての務めに、国の高官たちはその職務に忠実であるからこそ、その地位に相応しい人と呼ばれるはずなのに、自分たちだけの繁栄を追い求めた彼らに、もはや存在価値などありません。これは聖書の時代だけの話でなく、今の日本や世界の国々もまた同様です。私を私たらしめるものは、自分の外側を飾りたてるものによるのではなく、自分自身の内面から溢れ出る輝きに依るもので、それこそが信仰の賜物です。

http://bible.com/81/jer.22.13-17.ja1955

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エレミヤ書 22:28-30
この人コニヤは卑しむべき、こわれたつぼであろうか、だれも心に留めない器であろうか。なぜ彼とその子孫は追いやられて、知らない地に投げやられるのか。 ああ、地よ、地よ、地よ、主の言葉を聞けよ。 主はこう言われる、「この人を、子なき人として、またその一生のうち、栄えることのない人として記録せよ。その子孫のうち、ひとりも栄えて、ダビデの位にすわり、ユダを治めるものが再び起らないからである」。

エコニヤとも呼ばれた南ユダ王国最後の直系の王エホヤキンについて、すでに彼の子孫からは王家を継ぐ者は生まれないと預言されました。その御言葉の通り、エホヤキンは王となってたった3ヶ月後にバビロンに捕らえ移され、彼の叔父にあたるゼデキヤがバビロンの傀儡政権として立てられました。そして主イエス様も、エホヤキンの子孫ではなくダビデの子ナタンの子孫マリヤの子としてお生まれになりました。神様の御言葉に聞き従わず、己の欲望に身を任せて私利私欲に走る生き方を送る者には希望が途絶えることを忘れてはなりません。

http://bible.com/81/jer.22.28-30.ja1955
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