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【COGHCC聖書通読】 2018/06/14

2018-06-14 07:50:47 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 23:1-10

主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、ここにふたりの女があった。ひとりの母の娘である。 彼らはエジプトで淫行をした。彼らは若い時に淫行をした。すなわちその所で彼らの胸は押され、その処女の乳ぶさはいじられた。 彼らの名は姉はアホラ、妹はアホリバである。彼らはわたしのものとなって、むすこ娘たちを産んだ。その本名はアホラはサマリヤ、アホリバはエルサレムである。 アホラはわたしのものである間に淫行をなし、その恋人なるアッスリヤびとにこがれた。 すなわち紫の衣をきた軍人、長官、司令官、すべて好ましい若者、馬に乗る者たちである。 彼女は彼らに淫行を供えた。彼らはすべてアッスリヤのえり抜きの人々である。彼女はまた、そのこがれたすべての者のもろもろの偶像をもって、おのれを汚した。 彼女はエジプトの日からおこなっていた、その淫行を捨てなかった。それは彼女の若い時に、彼らが彼女と寝、その処女の乳ぶさをいじり、その情欲を彼女の上に注いだからである。 それゆえ、わたしは彼女をその恋人の手に渡し、そのこがれたアッスリヤの人々の手に渡した。 彼らは彼女の裸を現し、そのむすこ娘たちを奪い、つるぎをもって彼女を殺した。こうして彼女に対するさばきが行われたとき、彼女は女たちの間の語り草となった。」

神様はイスラエルの犯した偶像礼拝と忌まわしき行いの歴史を、淫行を重ねる二人の姉妹にたとえて語られました。この世の者である私たちは、神の義や罪と言われても漠然としてピンと来ないことがありますが、あえて人間が良いことではないと思っていることでたとえることによって、その罪の重さが理解できるように神様は語られたのです。節操もなく不品行を重ねる淫婦の姿は、多くの人が忌まわしいことだと感じるでしょう。神様は神の義から遠く離れた人にもわかるように、あえてそのような表現で語られたのです。1節から10節までは、北イスラエル王国の犯した罪を示しています。彼らはイスラエル王国の南北分裂直後から偶像礼拝を始めたため、南ユダ王国よりも先にアッスリヤによって滅ぼされてしまいました。そのことが当時の人々の語り草となったように、神の民たる者は彼らを反面教師として教訓を得なければならなかったのです。私たちも聖書に記されたイスラエルの過ちの歴史から賢く学ぶ者でありたいと願います。

http://bible.com/81/ezk.23.1-10.ja1955

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エゼキエル書 23:11-21

「その妹アホリバはこれを見て、姉よりも情欲をほしいままにし、姉の淫行よりも多く淫行をなし、 アッスリヤの人々に恋いこがれた。長官、司令官、盛装した軍人、馬に乗る者たちで、すべて好ましい若者たちである。 わたしは彼女が身を汚したのを見た。彼らは共に一つの道をたどったが、 彼女はさらにその淫行を続け、壁に描いた人々を見た。すなわち朱で描いたカルデヤびとの像で、 腰には帯を結び、頭にはたれさがったずきんをいただいていた。これらはみな官吏のような姿で、その生れた国カルデヤのバビロン人に似ていた。 彼女はこれらを見て、これに恋いこがれ、使者をカルデヤの彼らのもとに送った。 そこでバビロンの人々は彼女のもとに来て、恋の床につき、情欲をもって彼女を汚したが、彼女は彼らに汚されるにおよんで、その心は彼らから離れた。 彼女がその淫行を公然と続け、その裸をさらしたので、わたしの心は彼女から離れた。これはあたかもわたしの心が、彼女の姉から離れたと同様である。 しかし彼女はなおエジプトの地で姦淫をしたその若き日を覚えて、その淫行を続け、 その情夫たちに恋いこがれた。その人の肉は、ろばの肉のごとく、その精は馬の精のようであった。 このようにあなたは、かのエジプトびとが、あなたの胸に手をつけ、あなたの若い乳ぶさをおさえた時の、若い時の淫行を慕っている」。

北イスラエル王国が滅ぼされた様子を見ながら、妹分である南ユダ王国はさらにひどい罪を犯すようになりました。まことの神、主に頼ることをやめ、大国アッスリヤに貢ぎ物を送り、新興国のバビロンの圧力に屈したかと思えば、きびすを返してエジプトに援軍を要請するような無節操な政策に走りました。風見鶏のような南ユダ王国を、誰が信用するでしょうか。私たちはただまことの神、主にのみ寄り頼み、揺るがない信仰を保って、世の人々と一線を画すべきです。

http://bible.com/81/ezk.23.11-21.ja1955

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エゼキエル書 23:22-27

それゆえ、アホリバよ、主なる神はこう言われる、「見よ、わたしは、あなたの心がすでに離れたあなたの恋人らを起して、あなたを攻めさせ、彼らに四方から来てあなたを攻めさせる。 すなわちバビロンの人々およびカルデヤのすべての人々、ペコデ、ショア、コア、アッスリヤのすべての人々、好ましい若者、長官、司令官、官吏、軍人など、すべて馬に乗る者たちである。 彼らは戦車、貨車、および多くの民を率いて、北からあなたに攻めて来る。大盾、小盾、かぶとを備えて、四方からあなたに攻めかかる。わたしが彼らにさばきをゆだねるゆえ、彼らは、そのおきてに従って、あなたをさばく。 わたしはあなたに向かってわたしの憤りを起すゆえ、彼らは怒りをもってあなたを扱い、あなたの鼻と耳とを切り落し、そして残りの者はつるぎに倒れる。彼らはあなたのむすこ娘たちを奪い、生き残った者を火で焼く。 彼らはまたあなたの衣服をはぎ取り、あなたの美しい飾りを取り去る。 こうしてわたしはあなたの淫乱と、エジプトの地から持って来た淫行とを取り除き、重ねてあなたの目を、エジプトびとに向けて上げさせず、彼らの事を思わないようにする。」

神様を忘れ、その場しのぎの政策で右往左往する南ユダ王国を、神様はバビロンを用いて徹底的に滅ぼし尽くすことを決意しました。肉体が滅びれば、もはや情欲に身を任せて淫行を働くことができなくなるように、不信仰は私たちの内から根絶やしにしてしまわなければなりません。神の民としてのアイデンティティーを確立するためには、自らの身をきよく保つことが必要です。

http://bible.com/81/ezk.23.22-27.ja1955

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エゼキエル書 23:36-42

主はわたしに言われた、「人の子よ、あなたはアホラとアホリバをさばくのか。それならば彼らにその憎むべき事を告げよ。 彼らは姦淫を行い、血が彼らの手の上にある。彼らはその偶像と姦淫を行い、またわたしに産んだ子らを、食物のために彼らにささげた。 さらに彼らは、わたしに対してこのようにした。すなわち、彼らは同じ日にわたしの聖所を汚し、わたしの安息日を犯した。 彼らはその子らを、偶像にささげるためにほふった同じ日に、わたしの聖所にきて、これを汚した。見よ、彼らがわたしの家の中でしたことはこれである。 さらに彼らは使者をやって、遠くから来るように人々を招いた。見よ、彼らはきた。あなたは、この人々のために身を洗い、目を描き、飾り物を身につけ、 尊い床に座し、食卓をその前に設け、わたしの香と、わたしの油とを、その上に供えた。 こうして、のんきな群衆の声は彼女と共にあり、また、荒野から連れて来た通りがかりの酔いどれも、彼らと共にいた。彼らは女たちの手に腕輪をはめさせ、頭に美しい冠をいただかせた。」

神様の裁きの言葉を聞いても何が悪いのか悟ることのできないほどに堕落したエルサレムの民に向かい、神様はエゼキエルに、神様の忌み嫌われる偶像礼拝の忌まわしき行いを具体的に例示して告げるようにと命じられました。当時エルサレムで行われていた偶像礼拝の姿は、偶像の神々の前で乱交パーティーのような不品行を公然と行い、その結果妊娠して生まれてきた子どもを、モレクと呼ばれる鉄でできた偶像を赤くなるまで火で熱して、その手の形の上に生きたまま赤子を置いて焼き殺すことで、子孫繁栄、五穀豊穣を祈願するという内容だったようです。このようなおぞましい殺人行為を、よりによって聖なる神殿の中で行っていたユダの人々を、愛なる神様が黙って見過ごすことができるでしょうか。人間の情欲に身を任せ、宗教行為と称して勝手に行う偶像礼拝のもたらす結果は、なんと恐ろしいものでしょうか。私たちは偶像礼拝の恐ろしさをリアルに捉え、このような罪に陥らないように注意を払わねばなりません。

http://bible.com/81/ezk.23.36-42.ja1955

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エゼキエル書 23:43-49

「そこでわたしは言った、彼女と姦淫を行う時、人々は姦淫を犯さないであろうか。 人が遊女の所にはいるように、彼らは彼女の所にはいった。こうして彼らは姦淫を行うために、アホラおよびアホリバの所にはいった。 しかし正しい人々は淫婦のさばきと、血を流した女のさばきとをもって、彼らをさばく。それは彼らが淫婦であって、その手に血があるからである」。 主なる神はこう言われる、「わたしは軍隊を彼らに向かって攻め上らせ、彼らを恐れと略奪とに渡す。 軍隊は彼らを石で打ち、つるぎで切り、そのむすこ娘たちを殺し、火でその家を焼く。 こうしてわたしはこの地に淫乱を絶やす。すべての女はみずからいましめて、あなたがたがしたような淫乱を行わない。 あなたがたの淫乱の報いは、あなたがたの上にくだり、あなたがたはその偶像礼拝の罪を負い、そしてわたしが主なる神であることを知るようになる」。

先に述べたようなおぞましい偶像礼拝を正当化していたエルサレムの人々の罪に報いるために、神様は残忍な国民性を持つバビロンを用いて徹底的に裁かれました。彼らの殺戮行為は情け容赦なく徹底的なもので、まさに滅ぼし尽くすという表現がぴったり当てはまりますが、それは神様の罪に対する態度と同じです。どんな小さな罪であっても、徹底的に、根こそぎ絶ち滅ぼし尽くさなければ、神様の御前にきよい者となることはできません。聖なる者とは、この世の罪汚れから完全に分離された、一点の翳りもない状態を示します。神様は一度エルサレムの罪を徹底的に裁くことを通して、残された神の民が二度と同じ過ちを犯さないように、教訓を与えられました。私たちはその教訓から賢く学び、聖なる神の民として自らの身をきよく保ち続けなければなりません。

http://bible.com/81/ezk.23.43-49.ja1955
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