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【COGHCC聖書通読】 2019/02/18

2019-02-18 07:55:10 | 一日一章・聖書通読日記
コリント人への第一の手紙 12:1-3

兄弟たちよ。霊の賜物については、次のことを知らずにいてもらいたくない。 あなたがたがまだ異邦人であった時、誘われるまま、物の言えない偶像のところに引かれて行ったことは、あなたがたの承知しているとおりである。 そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。

コリント教会は賜物の豊かな人々が集っていましたが、それがかえって混乱を来していたようです。そこでパウロは霊の賜物に関する教えを語りました。そして賜物の働きのまず第一に挙げたことが、イエスを主と告白する聖霊の働きです。 世の人々は十字架に死なれたイエスを人生の敗北者と見なすように、イエスをわが救い主と信じることは、人の知識や思考回路では到底できないことで、神の霊が働かなければ到達できない真理です。巷にあふれる神々と呼ばれるものを、人の手によって造られた単なる偶像に過ぎないと理解することもまた然りです。神の霊を受けた者だけが、この真理に到達することができるとは、何とさいわいなことでしょうか。

https://www.bible.com/bible/1820/1co.12.1-3.口語訳

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コリント人への第一の手紙 12:4-13

霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。 務は種々あるが、主は同じである。 働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。 各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。 すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、 またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、 またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。 すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。 からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。 なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。

まことの神をわが神と信じ、キリストを主と告白する霊の賜物以外は、全員共通に与えられるものではなく、一人一人の個性として、それぞれの分に応じて授けられます。しかしその他の霊の賜物もまた一つの霊の働きによるものです。そして個別に与えられた賜物を持ち寄り、互いに用い合ってはじめて、教会全体の益となり、神の働きは前進します。私たちは一人がすべてではなく、全体で一つなのです。

https://www.bible.com/bible/1820/1co.12.4-13.口語訳

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コリント人への第一の手紙 12:14-20

実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。 もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。 また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。 もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。 そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。 もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。 ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。

パウロは各人に与えられた賜物、そして個性を、体を構成する肢体にたとえました。手も足も目も耳も、それぞれ形態も機能も全く異なりますが、それらが調和してはじめて一つの肉体を構成し、一人の生きた人となるのです。

https://www.bible.com/bible/1820/1co.12.14-20.口語訳

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コリント人への第一の手紙 12:21-27

目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。 そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、 からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが、 麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。 それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。 もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。 あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。

私たちの肉体に不必要な臓器がないように、キリストの体なる教会にも誰一人として不必要な人などいません。肉体を構成する臓器の一つが不調をきたすならば体全体が痛みを覚えるように、主の教会を構成する誰か一人が悩むならば教会全体で痛みを分かち合うことが大切です。互いの欠けを補い合い、弱い部分を強め合い、苦しみを共にし、教会全体が一体となって健全な信仰の共同体を形成する私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1820/1co.12.21-27.口語訳

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コリント人への第一の手紙 12:28-31

そして、神は教会の中で、人々を立てて、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、次に力あるわざを行う者、次にいやしの賜物を持つ者、また補助者、管理者、種々の異言を語る者をおかれた。 みんなが使徒だろうか。みんなが預言者だろうか。みんなが教師だろうか。みんなが力あるわざを行う者だろうか。 みんながいやしの賜物を持っているのだろうか。みんなが異言を語るのだろうか。みんなが異言を解くのだろうか。 だが、あなたがたは、更に大いなる賜物を得ようと熱心に努めなさい。そこで、わたしは最もすぐれた道をあなたがたに示そう。

8節から10節に挙げられた聖霊の賜物、すなわち知恵の言葉、知識の言、 信仰、いやしの賜物、 力あるわざ、預言、霊を見わける力、異言、そして異言を解く力などが正しく用いられるために、教会内に様々な役割分担が生まれます。それぞれが尊い主の働きであり、神の御前に優劣はありません。もし甲乙つけられるとしたら、それはもはや神の霊の働きではなく、人の力、肉の欲、この世の悪しき霊の働きです。神は私たちの信仰に応じた霊の賜物が授けられることを覚え、もしもっと多くの賜物をいただきたいと願うならば、賜物に見合った信仰を磨くことが先決です。神から授かった賜物を管理運用する私たちは、この世の基準ではなく、神の視点に立つ者としての自覚を備えなければなりません。

https://www.bible.com/bible/1820/1co.12.28-31.口語訳
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【今日の聖句】 2019/02/18

2019-02-18 06:40:24 | 今日の聖句
エレミヤ書 17:10 新共同訳

心を探り、そのはらわたを究めるのは
主なるわたしである。
それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。

心の奥底で何を考えているか、人にはわからなくとも、全知全能の主なる神にはすべてお見通しです。その人の歩む道と成せる業に応じて報いられる主を畏れ、永遠の義に至る道を神に尋ね求めつつ生きる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/jer.17.10.新共同訳
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