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【COGHCC聖書通読】 2019/02/16

2019-02-16 08:45:16 | 一日一章・聖書通読日記
コリント人への第一の手紙 10:1-6

兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、 みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。 また、みな同じ霊の食物を食べ、 みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。 しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。 これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。

パウロは神の民イスラエルの歴史を振り返り、出エジプトによって罪の支配する世界から脱出し、紅海を渡ることによって義とされるバプテスマを受け、天から降ってきたマナを食べることによって正しい霊の食物によって養われてきたと解説しました。にもかかわらず、大多数の人々が荒野の旅路の途中で死に絶えてしまったのは、彼らが神に逆らい、つぶやき、御心に適わなかったからだと結論づけています。神を信じ救われた私たちもまた悪を貪り続けるならば、彼らのように天の御国にたどり着く前に滅ぼされてしまいます。救われたことに慢心せず、日々神の義ときよさを求め続ける私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1820/1co.10.1-6.口語訳

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コリント人への第一の手紙 10:7-11

だから、彼らの中のある者たちのように、偶像礼拝者になってはならない。すなわち、「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。 また、ある者たちがしたように、わたしたちは不品行をしてはならない。不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。 また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。 また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。 これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。

更にパウロは、荒野でイスラエルの民が行った偶像礼拝の事例を挙げ、彼らの結末がどのようであったかを思い起こさせました。聖書の歴史は決して過去の物語で終わるものはなく、現代に生きる私たちに対する警告をも指し示しています。人の振り見て我が振り直せ、との諺のように、過去の失敗の歴史から賢く学び、日々の生活に適用する私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1820/1co.10.7-11.口語訳

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コリント人への第一の手紙 10:12-13

だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。

真の自立は自律する心から始まります。立ち続けるためには、倒れない工夫が必要です。そのためには左にも右にも曲がらず、真っ直ぐ垂直な状態を保つことが立ち続けるための秘訣です。しかし外部から力が掛かるとき、無防備な状態ではいとも簡単に倒されてしまいます。そのようなときのために、基礎をしっかりと地中深く埋めることが必要です。真理の御言葉に基礎を据えた者は、この世の試練が襲ってきても、倒されることはありません。なぜなら聖書には、この世には試練があることが明記されていますし、いかにして試練を乗り越えることができるかあらかじめ記されているからです。更に、神の義に従い自らを正しく律する者のために、主は試練の中から逃れる道さえも用意してくださいますから感謝いたします。

https://www.bible.com/bible/1820/1co.10.12-13.口語訳

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コリント人への第一の手紙 10:14-21

それだから、愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。 賢明なあなたがたに訴える。わたしの言うことを、自ら判断してみるがよい。 わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血にあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだにあずかることではないか。 パンが一つであるから、わたしたちは多くいても、一つのからだなのである。みんなの者が一つのパンを共にいただくからである。 肉によるイスラエルを見るがよい。供え物を食べる人たちは、祭壇にあずかるのではないか。 すると、なんと言ったらよいか。偶像にささげる供え物は、何か意味があるのか。また、偶像は何かほんとうにあるものか。 そうではない。人々が供える物は、悪霊ども、すなわち、神ならぬ者に供えるのである。わたしは、あなたがたが悪霊の仲間になることを望まない。 主の杯と悪霊どもの杯とを、同時に飲むことはできない。主の食卓と悪霊どもの食卓とに、同時にあずかることはできない。

パウロが偶像礼拝を避けるようにと再三勧めているのは、私たちが悪しき霊に仕えて、神の祝福の食卓から漏れることのないようにするためです。一点の翳りもない義なる主は、悪の暗闇と交わることができない、そのようなことはありえないため、偶像礼拝を行う者と共にいることもできません。神に近付きたいならば私たちもまた神に似る者となり、義に忠実に従う志を全うする必要があります。

https://www.bible.com/bible/1820/1co.10.14-21.口語訳

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コリント人への第一の手紙 10:22-24

それとも、わたしたちは主のねたみを起そうとするのか。わたしたちは、主よりも強いのだろうか。 すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。 だれでも、自分の益を求めないで、ほかの人の益を求めるべきである。

パウロは再び「すべてのことは許されている」というコリント教会で放縦生活を行っている人々の言葉を引用して、益にならないこと、人の徳を高めなきことを平然と行っている彼らの主張を真っ向から退けました。自分の益を求める、すなわち自分勝手なライフスタイルを貫く者は、神の御国に相応しい者ではありません。人の益を求める者、すなわち自らの言動を通してキリストの芳しい香りを放つ者こそ、神の国に相応しい者です。

https://www.bible.com/bible/1820/1co.10.22-24.口語訳

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コリント人への第一の手紙 10:25-31

すべて市場で売られている物は、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。 地とそれに満ちている物とは、主のものだからである。 もしあなたがたが、不信者のだれかに招かれて、そこに行こうと思う場合、自分の前に出される物はなんでも、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。 しかし、だれかがあなたがたに、これはささげ物の肉だと言ったなら、それを知らせてくれた人のために、また良心のために、食べないがよい。 良心と言ったのは、自分の良心ではなく、他人の良心のことである。なぜなら、わたしの自由が、どうして他人の良心によって左右されることがあろうか。 もしわたしが感謝して食べる場合、その感謝する物について、どうして人のそしりを受けるわけがあろうか。 だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。

パウロは再び偶像に捧げた肉のことに話題を戻して、私たちの日常生活の中でどのように神の義を証することができるかを説き勧めました。市場に出回っている来歴の知らされていない肉については、逐一調べる必要はなく、神に感謝して食べればよいのです。しかし誰かがその肉が偶像に備えたものだと知らせてくれたならば、その人がわざわざ私たちが偶像に触れることのないようにと知らせてくださったのだから、その配慮に感謝して食べない選択を取るようにと勧めていむす。私たちはこの世の人々の親切にも感謝して、日常生活のあらゆるシーンで、何をするにも神の栄光を証する者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/1820/1co.10.25-31.口語訳

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コリント人への第一の手紙 10:32-33

ユダヤ人にもギリシヤ人にも神の教会にも、つまずきになってはいけない。 わたしもまた、何事にもすべての人に喜ばれるように努め、多くの人が救われるために、自分の益ではなく彼らの益を求めている。

パウロがコリント教会の人々に教えたのは単なる道徳問題ではなく、栄光ある神の御名を冠する教会の名誉のため、そして私たちの関わるすべての人々に躓きを与えないようにするため、自分の益ではなく、公益を求めるべきだということです。私たちはいと高き神の僕であると自認し、私たちの罪を赦すためにその身を十字架につけたキリストに倣い、自我に死に、自己主張に死に、自己満足に死に、ただ神の栄光だけを証する私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1820/1co.10.32-33.口語訳
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【今日の聖句】 2019/02/16

2019-02-16 07:00:38 | 今日の聖句
詩編 37:5-6 新共同訳‬‬

あなたの道を主にまかせよ。
信頼せよ、主は計らい
あなたの正しさを光のように
あなたのための裁きを
真昼の光のように輝かせてくださる。

悪が蔓延するこの世に心悩み、正直者が馬鹿を見る不条理を憂う日々の続く私たちの生涯ですが、己の歩むべき道を主に信頼して委ねるとき、この世のものではないまことの平安が訪れます。正しい裁きをなさる主に寄り頼み、思い煩いから解放される私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/psa.37.5-6.新共同訳
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