伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2017/09/08

2017-09-08 07:40:04 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 78:1-8
「わが民よ、わが教を聞き、わが口の言葉に耳を傾けよ。 わたしは口を開いて、たとえを語り、いにしえからの、なぞを語ろう。 これはわれらがさきに聞いて知ったこと、またわれらの先祖たちがわれらに語り伝えたことである。 われらはこれを子孫に隠さず、主の光栄あるみわざと、その力と、主のなされたくすしきみわざとをきたるべき代に告げるであろう。主はあかしをヤコブのうちにたて、おきてをイスラエルのうちに定めて、その子孫に教うべきことをわれらの先祖たちに命じられた。 これは次の代に生れる子孫がこれを知り、みずから起って、そのまた子孫にこれを伝え、 彼らをして神に望みをおき、神のみわざを忘れず、その戒めを守らせるためである。 またその先祖たちのようにかたくなで、そむく者のやからとなり、その心が定まりなく、その魂が神に忠実でないやからとならないためである。」

聖書に記されている内容は、人がいくら考えても謎としか思えないイスラエルの歴史です。世界の片隅で起きた、しかも国の滅亡と民族断絶の危機に何度も瀕しながら現代に至るまで生き残ったイスラエルの数千年にも渡る歴史が、なぜ今まで存在し全世界に知れ渡っているのか?その理由は、後の世代の人々に対する戒めとして伝えられてきた神様の大いなる愛と憐れみの記録だからです。それがマスキール、教訓という言葉の意味です。現代に生きる私たちが聖書を紐解くとき、それは決して過去の出来事で終わることなく、今の自分と将来の人生の選択において教訓となり、進むべき道を照らします。今も生きて働かれる神様の愛の御言葉を、自分事として受け止め、実生活に適用して、道を見誤ることなく、主の御心に適うさいわいな人生を送る私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.78.1-8.ja1955

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詩篇 78:12-18, 22-29
「神はエジプトの地と、ゾアンの野でくすしきみわざを彼らの先祖たちの前に行われた。 神は海を分けて彼らを通らせ、水を立たせて山のようにされた。 昼は雲をもって彼らを導き、夜は、よもすがら火の光をもって彼らを導かれた。 神は荒野で岩を裂き、淵から飲むように豊かに彼らに飲ませ、 また岩から流れを引いて、川のように水を流れさせられた。 ところが彼らはなお神にむかって罪をかさね、荒野でいと高き者にそむき、 おのが欲のために食物を求めて、その心のうちに神を試みた。

これは彼らが神を信ぜず、その救の力を信用しなかったからである。 しかし神は上なる大空に命じて天の戸を開き、 彼らの上にマナを降らせて食べさせ、天の穀物を彼らに与えられた。 人は天使のパンを食べた。神は彼らに食物をおくって飽き足らせられた。 神は天に東風を吹かせ、み力をもって南風を導かれた。 神は彼らの上に肉をちりのように降らせ、翼ある鳥を海の砂のように降らせて、 その宿営のなか、そのすまいのまわりに落された。 こうして彼らは食べて、飽き足ることができた。神が彼らにその望んだものを与えられたからである。」

イスラエルの歴史は、神様が豊かに注がれる限りない恵みと救い、そして人間の欲望による裏切りの繰り返しです。神様は人が生きるために必要なものはすべて与えてくださいました。しかし人は感謝するどころか、欲望の赴くまま好き勝手な要求ばかり繰り返し、挙げ句の果てには神様の戒めを自ら破って恩を仇で返すかたちとなり、神様の怒りを買って懲らしめを受ける歴史を、何度も何度も繰り返してきました。にもかかわらず神様が何故ここまでイスラエルに対して恵みを注ぎ続けてくださったのか? それこそが神様の大いなる愛の現れです。こんなどうしようもない私たちを見捨てることなく、今まで生かしてくださっているのは神様の限りない愛と憐れみの故です。イスラエルの姿と今の自分を重ね合わせてその事実に気がついたならば、直ちに悔い改め、感謝を捧げて神様に立ち帰る者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/psa.78.12-18,22-29.ja1955

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詩篇 78:37-42
「彼らの心は神にむかって堅実でなく、神の契約に真実でなかった。 しかし神はあわれみに富まれるので、彼らの不義をゆるして滅ぼさず、しばしばその怒りをおさえて、その憤りをことごとくふり起されなかった。 また神は、彼らがただ肉であって、過ぎ去れば再び帰りこぬ風であることを思い出された。 幾たび彼らは野で神にそむき、荒野で神を悲しませたことであろうか。 彼らはかさねがさね神を試み、イスラエルの聖者を怒らせた。 彼らは神の力をも、神が彼らをあだからあがなわれた日をも思い出さなかった。」

この箇所から学ぶキーワードは、神様は真実で思い出されるお方、それに対して人は不真実で思い出さない者である、ということではないでしょうか。繰り返し繰り返し神様に背いては懲らしめを受けてきたことを思い出さずに何度も神様を裏切った人間の不真実さと、何度裏切られてもアブラハムやダビデなどの信仰の父祖たちと交わした契約を思い起こして約束を果たされた神様の真実さとの対比が、際だって心に突き刺さります。今日の通読箇所から学んだことを自らの信仰生活に適用し、神様の真実に対して真実な信仰をもって応える私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.78.37-42.ja1955

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詩篇 78:67-72
「神はヨセフの天幕をしりぞけ、エフライムの部族を選ばず、 ユダの部族を選び、神の愛するシオンの山を選ばれた。 神はその聖所を高い天のように建て、とこしえに基を定められた地のように建てられた。 神はそのしもべダビデを選んで、羊のおりから取り、 乳を与える雌羊の番をするところからつれて来て、その民ヤコブ、その嗣業イスラエルの牧者とされた。 こうして彼は直き心をもって彼らを牧し、巧みな手をもって彼らを導いた。」

イスラエルの歴史は不真実の繰り返しでしたが、唯一真実を尽くした王がダビデでした。それゆえ神様はダビデを人々を正しく導く牧者と定め、ダビデの建てた幕屋のあったシオンの山をその栄光ある御名を永遠に置く場所と定められました。ですから救い主はダビデの家系から生まれ、救いはシオンの山から始まるのです。それがダビデの子として生まれた主イエス様と、シオンの山に立てられた十字架です。これ以外に私たちを救う道はありません。世の罪を取り除く神の子羊イエス・キリストを救い主と信じ、十字架の購いを受け入れて神様との関係を修復し、永遠の祝福の約束に導き入れられる私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.78.67-72.ja1955
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【今日の聖句】 2017/09/08

2017-09-08 06:35:04 | 今日の聖句
使徒行伝 20:35
「わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。

受けるさいわいに甘んじていてはクリスチャンとして何一つ成長はありません。受ける価値のない私たちに数々の恵みを賜る神様に倣い、与えるさいわいを実践してキリストの徳の高さに一歩でも近付く私たちでありますように。

http://bible.com/81/act.20.35.ja1955
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