サムエル記下 9:1
『時にダビデは言った、「サウルの家の人で、なお残っている者があるか。わたしはヨナタンのために、その人に恵みを施そう」。』
イスラエルに平和が訪れ、王国が安泰になっても、ダビデには心残りがありました。それは信仰の友であり自分のいのちよりもダビデを愛したヨナタンとの約束でした。そこでダビデはヨナタンの血族を捜し、恵みを施そうと決意しました。
この世の歴史では、すでに滅んだ王朝の一族は、次の王族からいのちを狙われ、隠遁生活を送ることを余儀なくされ、再び表舞台に出てくることはありません。しかし神様の憐れみを知るダビデは、ヨナタンとの友情と約束のゆえに、恵みを施そうとしました。
私たちもまた信仰の友との約束を決して忘れず、自分が神様から受けた憐れみを周囲の人々にも惜しみなく施す、寛大な心を持つ者とならねばなりません。
http://bible.com/81/2sa.9.1.ja1955
*****
サムエル記下 9:3, 5
『王は言った、「サウルの家の人がまだ残っていませんか。わたしはその人に神の恵みを施そうと思う」。ヂバは王に言った、「ヨナタンの子がまだおります。あしなえです」。
…
ダビデ王は人をつかわして、ロ・デバルのアンミエルの子マキルの家から、彼を連れてこさせた。』
ダビデはサウル王に仕えていた僕ヂバを呼び、サウルとヨナタンの血族に恵みを施そうとする意向を打ち明けました。するとヂバは、ヨナタンの子メピボセテが生きていることを伝えました。
しかしメピボセテはまだ幼子であったとき、サウル王が倒されたときの混乱の最中、乳母の手から落ちて両足が麻痺してしまい、身体障害者となっていました。
しかしダビデ王はメピボセテをすぐに連れてくるようにと命じます。当時は身体障害者は人前に出ることができないほど差別されていましたから、これは常識的には到底考えられない破格の扱いです。しかしダビデはヨナタンとの約束を果たすために、メピボセテを王宮に召し寄せました。
私たちもまたダビデのように、常識や固定観念にとらわれたり人目を気にすることなく、友との約束を果たし、神様の憐れみと恵みとを施すために全力で取り組む者でありたいと願います。
http://bible.com/81/2sa.9.3,5.ja1955
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サムエル記下 9:6-8
『サウルの子ヨナタンの子であるメピボセテはダビデのもとにきて、ひれ伏して拝した。ダビデが、「メピボセテよ」と言ったので、彼は、「しもべは、ここにおります」と答えた。 ダビデは彼に言った、「恐れることはない。わたしはかならずあなたの父ヨナタンのためにあなたに恵みを施しましょう。あなたの父サウルの地をみなあなたに返します。またあなたは常にわたしの食卓で食事をしなさい」。 彼は拝して言った、「あなたは、しもべを何とおぼしめして、死んだ犬のようなわたしを顧みられるのですか」。』
これまでサウル家の落人として人目を避け、身体障害者として差別の目を向けられて生きてきたメピボセテは、突然ダビデの王宮に召し出されて、これからどうなることだろうか、もしかしたらサウルの故に殺されるのではないかと、どれほど不安か気持ちであったでしょうか。
しかしダビデはメピボセテに「恐れることはない」と優しく声を掛け、父ヨナタンとの約束の故に恵みを施して、サウル家の再興を約束し、王宮で共に生活するのだと告げました。
想像だにしなかった破格の恵みを聞いたメピボセテは、ダビデ王に「死んだ犬のような私を顧みられるのですか」と答えました。これは本来、罪赦されて神の子とされた私たちが、神様に向かって感謝と共に答えるべき言葉と同じです。私たちもメピボセテのように、神様の御前にへりくだり、畏れと感謝の心を表す者でありますように。
http://bible.com/81/2sa.9.6-8.ja1955
『時にダビデは言った、「サウルの家の人で、なお残っている者があるか。わたしはヨナタンのために、その人に恵みを施そう」。』
イスラエルに平和が訪れ、王国が安泰になっても、ダビデには心残りがありました。それは信仰の友であり自分のいのちよりもダビデを愛したヨナタンとの約束でした。そこでダビデはヨナタンの血族を捜し、恵みを施そうと決意しました。
この世の歴史では、すでに滅んだ王朝の一族は、次の王族からいのちを狙われ、隠遁生活を送ることを余儀なくされ、再び表舞台に出てくることはありません。しかし神様の憐れみを知るダビデは、ヨナタンとの友情と約束のゆえに、恵みを施そうとしました。
私たちもまた信仰の友との約束を決して忘れず、自分が神様から受けた憐れみを周囲の人々にも惜しみなく施す、寛大な心を持つ者とならねばなりません。
http://bible.com/81/2sa.9.1.ja1955
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サムエル記下 9:3, 5
『王は言った、「サウルの家の人がまだ残っていませんか。わたしはその人に神の恵みを施そうと思う」。ヂバは王に言った、「ヨナタンの子がまだおります。あしなえです」。
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ダビデ王は人をつかわして、ロ・デバルのアンミエルの子マキルの家から、彼を連れてこさせた。』
ダビデはサウル王に仕えていた僕ヂバを呼び、サウルとヨナタンの血族に恵みを施そうとする意向を打ち明けました。するとヂバは、ヨナタンの子メピボセテが生きていることを伝えました。
しかしメピボセテはまだ幼子であったとき、サウル王が倒されたときの混乱の最中、乳母の手から落ちて両足が麻痺してしまい、身体障害者となっていました。
しかしダビデ王はメピボセテをすぐに連れてくるようにと命じます。当時は身体障害者は人前に出ることができないほど差別されていましたから、これは常識的には到底考えられない破格の扱いです。しかしダビデはヨナタンとの約束を果たすために、メピボセテを王宮に召し寄せました。
私たちもまたダビデのように、常識や固定観念にとらわれたり人目を気にすることなく、友との約束を果たし、神様の憐れみと恵みとを施すために全力で取り組む者でありたいと願います。
http://bible.com/81/2sa.9.3,5.ja1955
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サムエル記下 9:6-8
『サウルの子ヨナタンの子であるメピボセテはダビデのもとにきて、ひれ伏して拝した。ダビデが、「メピボセテよ」と言ったので、彼は、「しもべは、ここにおります」と答えた。 ダビデは彼に言った、「恐れることはない。わたしはかならずあなたの父ヨナタンのためにあなたに恵みを施しましょう。あなたの父サウルの地をみなあなたに返します。またあなたは常にわたしの食卓で食事をしなさい」。 彼は拝して言った、「あなたは、しもべを何とおぼしめして、死んだ犬のようなわたしを顧みられるのですか」。』
これまでサウル家の落人として人目を避け、身体障害者として差別の目を向けられて生きてきたメピボセテは、突然ダビデの王宮に召し出されて、これからどうなることだろうか、もしかしたらサウルの故に殺されるのではないかと、どれほど不安か気持ちであったでしょうか。
しかしダビデはメピボセテに「恐れることはない」と優しく声を掛け、父ヨナタンとの約束の故に恵みを施して、サウル家の再興を約束し、王宮で共に生活するのだと告げました。
想像だにしなかった破格の恵みを聞いたメピボセテは、ダビデ王に「死んだ犬のような私を顧みられるのですか」と答えました。これは本来、罪赦されて神の子とされた私たちが、神様に向かって感謝と共に答えるべき言葉と同じです。私たちもメピボセテのように、神様の御前にへりくだり、畏れと感謝の心を表す者でありますように。
http://bible.com/81/2sa.9.6-8.ja1955