たねまきびより ~いとえのバイオダイナミック農場日記~

小さな1つぶのたねから
ぐんぐん伸びていくその姿
ずっとながめていたくなる

脱都会!いとえ、英国の農場へ行く!

6月のコミュニティーライフ

2011年07月10日 | 振り返り

◆コミュニティーライフ◆

~100人100色と、棒っきれ~

 

美しいノースヨーク国立公園内にあるBotton Village(以下Botton)。

一つの谷の中に約45のお家があり、300人を超える人が住んで村になっている。

住人は110人以上がLearning Difficultiesの方々(直訳すると学習障害。この村ではVillagerと呼ばれている)、各家に住むハウスペアレンツ50人超、それとワーカー(世界各国から集まるボランティア含)、Eurythmyの生徒やBiodynamicのトレーニーたち。

 

この村の中には仕事場がいくつかあり、Eurythmyの生徒以外は皆この村の中で働いている。

・製本

・木工

・人形作り

・機織り

・キャンドル製造

・ガラス細工

・製パン

・乳製品製造

・食品加工

・タネの生産

・複数のファーム(牛、羊、鶏)

・複数のガーデン

・ケアハウス

・各家でのハウスワーク

・カフェ

・本屋

・土産屋

 

それぞれで与えられた場所で働く。

大半の人たちが午前と午後で働く場所が違う。

 

この村での生活は基本的に個人的な収入はない。

 

週末遊びに行きたい。おやつ買いたい。お茶したい。服買いたい。

そういった普通の欲求は満たされる程度のお金は、上限はあるが申請すればもらえるシステムになっている。

 

みんな平等。

 

3食の食事も基本的にはお家で皆で揃って食べる。

←とある日曜日の夕食。

このコミュニティーライフを送りながら、感じている事。

・「平等とはなにか」

・「時間の共有&感情表現」

 

まず「平等とはなにか」

こんなたとえ話がある。

賞金1億があり、10人で何かを競う。

順位が出たとき、どう賞金を分配するのが平等か。

1 上位3位までに差額をつけて分配する

2 参加者全員に均等に分配する

3 1~10まで順に差額をつけて分配する

4 1位だけに全額を与える

とある先進国では「4」を良しとし、世の経済に競争を与え、経済成長をもたらした。

同時に貧富の差も広がる。それが良いとも悪いともいとえにはわからない。

でも、この村は確実に「2」である。

基本的に労働時間は決まっているが、それ以上に働いても、それ以下でも、

その時間内にどれだけハードに働いても、ヌボ~っとしていても、みんな同じ食事をとり、みんな同じ条件で生活に必要な金額を受け取る。

これが、平等なのか。

とある仲間に「おかしくない?」となげかけられ、このたとえ話を思い出し、考え始めてしまった。

みんな同じ。これってよいこと?それとも成長につながらない非効率なこと??

やはり、いとえにはわからない。

「みんなおなじ分配でそれでよい。個人の能力に差はある。それぞれがそれぞれの程度で頑張ればそれでよい。頑張れないのも能力のうち。」

そう思う人が納得して生活できる環境なのかもしれない。

「頑張ったら頑張った分だけ自分に利益が欲しい。」

そう思う人にはこのコミュニティーは難しいのかもしれない。

 

一つの単語に向き合うにしても、正解とか不正解とかないんだろうな。

100人100色。

 

つぎに「時間の共有、感情表現」

24時間365日、谷の中のに一つの村でのコミュニティーライフ。

朝から晩まで、誰かが必ず周囲に居る。

個人の部屋はあるにしても、隣から独り言や歌声、話し声が聞こえてくる。

我々は普段の社会生活を送る際、どう感情をコントロールしているのか。

会社での自分。友人の隣での自分。恋人の隣での自分。家庭での自分。自室での自分。

意識するにせよ無意識にせよ、それぞれは大概にして違うはずだといとえは思っている。

それが1面のみになってしまった場合。それはもろく、倒れやすいものになってしまう気がする。

イメージとしては、こう。

会社での自分が1枚の板。友人との自分が1枚の板。恋人と。家庭。自室。ここでは5つにしぼってみるけど、この5枚の板で5角柱ないし、5角錐を描く感じ。

それぞれに見えない面を持って、組み合わさって、やっと立ってる。

でも、家庭での自分も、友人との自分も、仕事上での自分も全て全て筒抜けで、常に誰かの存在がすぐ横にある場合。それって1枚板な気がする。

1枚の、たったの1面で、そこに何かが押しかかってきた場合、倒れやすくなる。

それをつっぱねるために、感情が攻撃的になる。そして、それが1面のみだから、それが全面。

やはり、人間、逃げ場が必要だと。1本の棒でもかまわない。その1枚板を後ろから支えてあげれるものがあれば違うのではないかと。

自身に余裕があってこそ、柔和な感情表現は可能であって、自身が必死に立とうとしているときは、どうしても荒立たしい表現になってしまう。

それが人ってもんなのだと。

身近な人が、倒れそうでトゲトゲ。前から向かうと、私が怪我をしそなので、後ろの棒っきれになるように、方向転換をしようと思っている。

 

 

そんなことを考えている、コミュニティーライフの1ヶ月後のいとえ。

次の日記では、障害者について考えた事を振り返ります。



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6 コメント

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Unknown (べっきぃ)
2011-07-13 20:24:03
まるでオーウェルは目指したハーモニー村のような初期社会主義を思わせる村ですね。国家のような権力によりこの村に押しとどめられるのならともかく、いとえさんの言う4番・資本主義の競争社会に疲れ果てた人たちの憩いの場としてこのようなところがあってもいいかとは思います(もっとも『動物農場』のような支配者が現れれば元も子もありませんが)
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社会主義 (いとえ)
2011-07-16 16:30:10
>べっきぃさん
そう。「おかしくない?」と私になげかけた友人は経済、経営を大学で学んでいたらしいのですが、同じ事を言っていました。
障害を持った方々との共同生活だから、なりたっているような気がします。
「彼らのために」の精神がたとえ微々たる時があったとしても、常にどこかにあるので。

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理想の生活って何だろうね。 (Toru)
2011-07-17 00:54:41
資本主義によってほとんど成立しているといえる
この世界にあって、
社会主義のお手本のように、
お金の均等分配がこの村で行われているとは、
かなり驚きました。
各国にあるシュタイナーの村でも、このルールは適用されているのでしょうか。

ロゼッティやウィリアム・モリスが始めた、
Arts & Crafts運動をちょっと思い出しました。
ロンドンの郊外、モリスのRed Houseと呼ばれる
屋敷に芸術家や工芸家が集まり、家具や焼き物、
手工芸品を作って売り、対価を得る生活を一時期、営んでいました。
(Red Houseは当時のまま、Bexley Heath駅に近い場所にあります)

彼らが行ったことは、もちろん純粋な芸術家として
生きていくための生活スタイルだったわけですが、
工業製品や労働者への搾取に対しての、
理想の形態でもありました。
(でも、彼らがつくったファブリックや家具は逆に
コストがかかりすぎて、労働者は買えなかったとい
うオチがつきます)。

19世紀からのイギリスの社会主義は、ちょうど産業
革命の最中に起こったムーブメントでしたから、
むしろ社会全般の問題だったのだろうと思います。

シュタイナーはこのような理想の生活をどう実現しようとしたのでしょう。
たしか、すべての人が平等に働き、生きていくこと
を理想に掲げていたと思います。障害者の方を受け
入れることも、彼の理念の現れでしょう。
ただし、お金の均等分配をシュタイナーが提唱して
いたのかは、私にはわかりません。

流通に乗っかったモノを消費するばかりの現代社会
で、僕らが生産(一次産業といえばわかりやすいで
しょうか)に携われる機会はほとんどありません。
都市で生きている僕は、それをもどかしくも感じています。
そんなことをこのブログで教えてもらっています。

いとえさんが、この素敵な村に住んで、ものづくり
に携わる素晴らしい体験を伝えてくれる一方で、
人間のあり方を含めて、
理想主義的な世界を維持すること、生きていくこと
の難しさも感じています。

ありゃりゃ、なんだか、思いつきばかりを並べてし
まいました。オイラの芽キャベツ脳では、ちょっと
わかんなくなってきたから、今日はこの辺で。
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理想の生活 (いとえ)
2011-07-20 02:14:27
>Toruさん
「理想」って人それぞれ違いますもんね。
「生活」ってなると、必ず他者が関わってくるから、自分の「理想」だけかなえば良いってわけにはいかなくなりますし。
価値観が全く一緒の人たちが集まって、それだけで生活が成り立てば良いのでしょうが、なかなかそういうわけにはいかないですもんね。
実際、現在この村も英国の不景気の影響で障害者への援助金など、政府のチェックが厳しく入り、この村のセンターの人たちはストレスがたまっています。

ウィリアムモリスって、センスオブワンダーの人でしたよね?
同じような空気の人が同じような事しようとするんですねぇ。

Toruさんの文中のいわゆる「シュタイナー村」ですが、シュタイナー自身が作ったのではなく、彼の考えに基づいてKarl Konigというオーストリア人が障害児童のための施設(教育機関)を作ったのがはじまりです。
この村はその障害児教育施設を卒業し、大人になった方々の生活の場&仕事のできる場としてつくられたものだそうです。
このKarl Konigという人はシュタイナーには会ったことはないようです。

おいらの3kbの脳みそも、シュタイナーの考えは容量オーバーでごいす。。。
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ウィリアム・モリスいいよ。 (Toru)
2011-07-21 00:35:43
人が集まれば、必ずコミュニティーがつくられ、ルールが生まれますよね。
人は一人では生きていけないから、お互いに助け合っていかなければならない。
どんな理念があっても、societyをつくらなければ実現もできないですからね。
社会をつくるのは、人間の基本行動だから、いい方にも悪い方にも向かうのでしょうか。

>実際、現在この村も英国の不景気の影響で障害者への援助金など、政府のチェックが厳しく入り

そうでしたか。20世紀前半だったら、まだ余裕で維持できるシステムだったのかもしれません。
税制の優遇など格別な措置がないかぎり、
現代社会では難しいんでしょうね。

Karl Konigさん、知りませんでした。勉強になります。

モリスの屋敷ですけど、家具や焼き物など、人間が手で「物」を作るということの素晴らしさを教えられます。
モリスが営んだライフスタイルは、
柳宗悦(園芸家・柳宗民先生のお父さん)が始めた日本民藝運動にも影響を与えました。
機会があったら、行ってみてください!
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Unknown (べっきぃ)
2011-07-23 15:13:17
難しいのはこの村そのものが資本主義社会のど真ん中で経営を成り立たせねばならないことでしょうねえ。たとえ英国が福祉制度が篤い国だとしてもトラクターを買い、農作物を売り、村の人の生活を維持できるように黒字を保ちながら、各人の村への貢献度とは別に「平等」を保って勤労意欲を「競争」「私欲」以外の方法で維持しなくてはならない。非常に難しい問題です
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