桓武天皇が都を、奈良から、長岡京の移され色々なじこが続いたため、和気清麻呂は狩りにことよせて天皇をこの山に朝疎石京都盆地を見下ろしながら、都の場所にふさわしい旨を進言しました。
天皇はその勧めに従い延暦13年(794年)に整然とした区画の大規模な都の建設に着手されました。
ここ将軍塚のいわれは、長くこの都を護るようにとの祈りを込めて、高さ2.5mの武将像を土で作り、これに、鎧甲えお着せ鉄の弓矢を持たせて、太刀を帯させてここに埋めるように命じられました。その事から、ここの塚を将軍塚と言われています。
この将軍塚に「精連院門跡 将軍塚大日堂」があります。
「大日堂」はここ将軍塚一帯の山頂にあり、現在の堂宇は明治に寄進されたものです。
ご本尊は平安時代に作られた石作りの「胎臓界大日如来像」です。石像の為かなり風化して、そのお顔は見えませんが、ふくよかなお顔と創造出来ます。
平安期作の石仏です。一般的には、古来将軍塚の「大日さん」として信仰され、幕末勤王の志氏士は、その身の安全を謝する事が多かったと言う事です。
東山区粟田口粟田山南町
(たわごと)
少し、趣きを変えて。アジアで唯一植民地になっていない国の事。勿論それは、我が誇るべき「日本国」です。今の若者達はこの日本国に生まれ育って誇りを持っているのかと、つくづく思います。別に私は「右」では無いですが(少し右寄りかな?)
後、ここへは訪れた事は無いすが、このような名所が出来ているとは思いませんでした。
また折をみて訪れんす(自動車では行けないと思います)