京の話題

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資本主義を批判した「マルクス」の思想で国つくりをした「ソ連」「中国」でも「キリスト教」はあります。

2013-06-27 00:16:53 | うんちく・小ネタ

ごく普通に考えると、一見「社会主義国」(共産主義国)においては「宗教」は否定されます。

著名な西洋哲学者であり共産主義者の「カール・ハインリヒ・マルクス」の有名な言葉で「宗教はアヘンだ」と極端なことを言いました。これを吸うと人間は人格を失い、自己の主張をしなくなります。アヘンから遁げられなくなった人々は、「宗教」を信じることによって、、この世のさまざまな矛盾を解決しようとしなくなります、そして次の世に期待をもつようになります、と論じました。

 そうなると、「この世」の支配者を脅かす「宗教活動」が起こらなくなり、支配者にとっては至って好都合になります。「マルクス」は、「宗教」がそのような役割をはたしていると批判しました。そのために、「マルクス」の思想に基づいて国造りをしたのが「旧ソ連」や「中国」では、「宗教」が否定されました。全く恐ろしい思想で、国造りが行われたのです。

「カール・ハインリヒ・マルクス」(1818~1883年)

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「社会主義国家」といえども、やはり「宗教国家」なのです。かつての「社会主義革命」も、「ロシア革命」は「アレキサンドル 皇帝」を暗殺して、「レーニン」「スターリン」の「共産党」がとって代わって「皇帝」の座についただけのことでした。特に地方では顕著です。「共産党」(当時の名称は社会主義労働党)が、それぞれの地方にやってきて、この地区で一番の権力者を尋ねると、当然、大地主の名前が挙がります。それらの大地主を集めて、いっきに虐殺します。それで革命の成宗就になります。これからは「共産党」が支配すると宣言します。ただのトップが交代したにすぎません。権力が集中したにすぎません。(これが、共産主義の実態です)

 しかし、精神構造、中身は何も変わったわけではないのです。ですから、「ロシア正教」は生き延びました。「ソ連」が崩壊したあとになって、「ゴルバチョフ」は実は幼児洗礼を受けていたと告白しました。「共産党」の幹部たちも、みんなそれにならって「正教会」に通い始めました。一体どこが「唯物論」の国だったかという話の象徴です。あくまでも。

 ソビエト連邦初代大統領「ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフ」

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「唯物論」とは精神に対する物質の根源性を主張する立場で、古くはインド・中国・古代ギリシア等にあり、哲学者のマルクス主義などの根源を経て、「宗教」などを一切否定する「哲学論」です。観念論や唯心論ともいいます。(もう、ここまでくると頭はゴチャゴチャです。ダイラケ、のボヤがポー・青火がポー状態です。これはあくまでも昭和中期の関西の漫才です)

 「ソ連」の一部だった「タジク共和国」「カザフスタン共和国」でも、独立して「タジキスタン」「カザフスタン」になった途端に、それまで影をひそめていた「イスラム教」が一挙に表に出てきました。

「ソ連」は、「共産党政権」のもと、表向きは「無宗教」と言っていましたが、内実は「無宗教」では無く、やはり「宗教国家」という証です。

中国もおなじことです。「儒教」や「道教」の教えが「共産主義」というものに代わっただけのことです。

「毛沢東語録」の「共産主義」も内実は「宗教国家」です。中国には、いまの「ローマ法皇」公認の「キリスト教=カトリック」と、「中国共産党」公認の「キリスト教=プロセスタント」との、二つの「キリスト教」があります。考え方はどちらも同じですが、「ローマ法皇」公認の「キリスト教=カトリック教」は「地下教会」です。非合法組織として弾圧されいます。それは「キリスト」の弟子のトップが「ローマ法王」で、一番偉い人になります。(それを、認めると”毛沢東”のメンツは丸つぶれです)それを認めることは「共産党」に忠誠を誓わない組織を認めることになります。よって、中国では「カトリック」が弾圧されているのです。(これは、解かりやすい表現です。私でもこれはいける!!!)

この仕組みは、「江戸時代」に「徳川幕府」が「キリスト教」を禁教した事と、形態こそ違いますが、よく似ているかもしれません。(あくまでも、総論ですが)

中国共産党公認の上海の「中国基督教協会」(当然、プロセスタントです)

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しかし、一応信教の自由を認めざるおえない為に「キリスト」は信じてもよいが、地上においては「中国共産党」公認の「キリスト教=プロセスタント」は公認というややこしい構造になっいています。つまり中国が「共産党教?」を「国教」とするおかしな「宗教国家」にすぎないという事です。その矛盾も若者のあいだで次第に崩壊しつつあります。

※「プロテスタント」は「ローマ・カトリック教会」から16世紀になって、「カトリック教会」の資金集めの方法などを批判した人々が破門され別の教会を作ったものです。「カトリック」は、「ローマ法王」のもと、縦の一つの系列にまとまっているのに対して、「プロテスタント」はそのような上下関係はありません。

次回は、「アメリカ大統領」は、「プロセスタント」でなければ、なれない不思議な構造を記載します。


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