京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その354)女性の願いに霊験有る・宗堅寺

2012-09-20 00:37:50 | 京の話題

なんと言ってもここのおてらは、女性の願いに霊験が有る「薬師如来観音座像」別名「乳薬師」が有名です。

Dsc07024 

Dsc07026

「幸雲山」と号する「「曹洞宗」のお寺です。このこのあたりは、禅宗が多いです。

明応元年(1492年)に「長徳寺」として創建されました。寛永12年(1635年)に「菅沼定芳」(さだよし)が近江から入封すると、父の菩提寺として改修し、寺名を「宗堅寺」と改めました。

Dsc07027

Dsc07029

「菅沼氏」は嫡男が無かった為に廃絶して境内には「亀山城」のには菅沼父子殉死した3人の家臣や乳母の墓が残されています。

Dsc07030

Dsc07037 

境内には「薬師如来座像」や女性の願いがかなう「如意輪観音座像」(父薬師・室町期)が祀られておりおおくの参拝者があとを絶ちません。

この「如意輪観音座像」の写真は貴重なものです。

Dsc07042

諸病に霊験あらたかで、像の下から「快慶」の流れを汲む、「安阿流法橋賢清」による永仁6年(1298年)の造像とわかる貴重な墨書があります。

亀岡市西堅町65

(たわごと)

思うままに昔の寺のお役目。

江戸時代の末までは日本人は宗派はともかく何処かの仏教徒に属していました(かくれキリシタンも)。現在でも日本人の95%以上は仏教になにがしの関係が有ります。このような国は世界中で日本だけです。もちろん現在は、憲法第20条で信教の自由はありますが。

さてそこがポイントです、お寺は昔は市役所の戸籍係のような役目でした。各、村々には必ずお寺が有り、その村人の人別が記載されていました。難しく言うと、全ての庶民を寺院の檀家として宗門帳に登録する寺請制度(てらうけせいど)が義務ずけられていました。

村人が亡くなるとすぐにその檀家に属するお坊さんが来て枕教をあげます。それは霊前にお教をあげるほか、その人が死に、宗門帳に死んだ事を記載するのが主な役目でした。(ちゃんと過去帳に記載されます)よって代々その家系が詳細にお寺に残ると言う事になります。昔は、結婚は村々の中々で行われるのが普通でしたため、相手の素性をお寺に聞けば良く分かります。特に、江戸幕府はこのようにして人別を取り締まっていたようです。(その為に、特に寺社奉行の権限は大きな物でした)

また、現在みたいに、地元を離れて移り暮すものもあまりいませんでした。(農家に生まれたものは命を懸けて自分の土地を守りました。一所懸命の言葉のいわれです。別に農民だけには限りませんが)

このお寺の人別から消された者は、無宿者として扱われ差別を受けたのは、時代劇を見ても良く分かります。 お寺の役目は単なる宗教的な物だけなく、このような人別(戸籍)の役目もしていたようです。(とある、ご住職との話に盛り上がりました)

※昨日、日本銀行の10兆円の金融緩和策。焼け石に水。日本航空の株が上場再開したのは良かったです。一株一円の時に一万株位買っておけば、3700万円位になったのかな?その時の株券はただの紙くずですが。


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
如意輪観音坐像。観音様でこのようなお姿を見たの... (さっちゃんです)
2012-09-20 21:22:35
女性の願いがかなうなんて感激。
返信する

コメントを投稿