多摩平通信

多摩平の森でのんびり暮らすシニアの日記です。

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日本人抑留者日本人墓地へのお墓参り

2011年08月14日 16時07分18秒 | 日記・エッセイ・コラム
ヤッカサライ日本人抑留者日本人墓地へのお墓参りに行った。
場所はバブール公園を右に見ながらそのままUsman Nasir通りを約2.5kmほど直進すると左手に10階建てぐらいのAstoria Mir Hotelが見えるので、その信号で右折してYakkasaray通りに入る。道なりに200mほど行くと、左手にモスクの入り口のようなヤッカサライ地域合同墓地入口の門がある。
太平洋戦争終戦後、中国東北地方(満洲)や樺太にいた日本兵約65万人がソビエト連邦により強制的にシベリアや中央アジアへ連行され、強制労働を強いられた。ウズベキスタンにも2万数千名が連行され、その間に亡くなった抑留者の共同墓地がヤッカサライ公営墓地内にある。ここには、87名の日本人が眠る。
永遠の平和と友好の誓いの碑、1995年10月1日、福島県ウズベキスタン文化経済友好協会という文字が読める。
 
<ウズベキスタンでの本格的な日本人墓地整備は、1983年に福島県ウズベキスタン文化経済友好協会親善使節団がウズベキスタンを訪問したことに始まる。その10年後の1990年、交流10周年記念共同事業として福島県ウズベキスタン文化経済友好協会親善使節団が再訪し、タシケント日本人墓地に鎮魂碑が建立された。>
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JICAボランティアは私一人だけだった。皆、一時帰国や旅行中でタシケントにいない。
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ソヴィエト時代は土を盛っただけであったがウズベキスタン独立後、遺族関係機
関の支援やウズベキスタン政府の協力により、現在のような戦没者名と出身県を刻印した墓石が設けられ、日本人抑留者墓地の共同慰霊碑が設営されている。
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周りはウズ人の墓地。偶像崇拝を否定するイスラム教だが、何故か墓石には顔写真
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