一会一題

地域経済・地方分権の動向を中心に ── 伊藤敏安

ポスト団塊ジュニア世代の覚悟

2018-07-05 22:22:22 | トピック

● 団塊世代が70歳台に移行つつつあります。団塊世代の人たちだって苦労したに違いありません。とはいうものの、「明日は今日より必ずよくなる」という時代を経験している点で、その後の世代に比べて恵まれているのではないでしょうか。原田泰・鈴木準『2007年団塊定年』(2006年)によると、団塊世代というのは「戦後の日本型雇用慣行を完全に歩んだ“最初で最後の世代”であり、悪くない退職金を受け取る見込み」だそうです(すでに過去形で表現すべきでしょうが)

● もう10年以上も前のことです。そのような団塊世代に対する問題提起が相次いで提示されました。たとえば荷宮和子『若者はなぜ怒らなくなったのか』(2003年)。1963年生まれの著者は、団塊ジュニアが怒るべきときに怒らないのは親の団塊世代が優柔不断だからだと怒っています。あるいは立木信『世代間最終戦争』(2006年)。同じく1963年生まれです。著書の題目も物騒なら、「少老化政策」という提案はさらに過激です。両人は団塊世代と団塊ジュニアにはさまれた「くびれ世代」に当たりますが、これに続くのが団塊ジュニア。たとえば城繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか?』(2006年)。1973年生まれの著者は、年功序列に代表される「昭和的価値観」が崩壊したにもかかわらず、それを取り繕うとしたせいで若者にツケが回されていることを憤慨するとともに、若者が「昭和的価値観」に惑わされないよう奮起を促しています。

● では、団塊ジュニア以降の世代についてはどうかと思っていたら、このほど宇佐美典也『逃げられない世代』(2018年)が刊行されました。「逃げられない世代」というのは、1979~1998年生まれの世代のこととされます。著者自身1981年生まれです。団塊ジュニアまでは人口の「塊」があり、問題を先送りしても受け止めてもらえたけれども、団塊ジュニアが高齢者の仲間入りをする2030年代後半になると、人口が急速にしぼみ込んでしまいます。そのため社会保障制度のような世代間にまたがる問題については、先送りしようにも先送りすることができません。しかも国際環境の変化に伴い、やはり先送りにしてきた日本の安全保障問題を根本から立て直さなくてはいけない時期と重なるとのこと。同著は、これらの問題に敢然と、いやむしろ否応なしに立ち向かおうとする、ポスト団塊ジュニア世代の決意表明ともいえます。悲壮感すらします。

● となると、私のような団塊世代のすぐあとの「くびれかけ世代」に何ができるかといえば、さしあたり租税と社会保険料をきちんと納め、健康に留意しながら、公的年金の受給開始を遅らせることくらいでしょうか。そのほかに何ができるか──。同著は、少し冗長な箇所もあるのですが、どうにか逃げきれそうな世代にも逃げようにも逃げられそうもない世代にも、ぜひ読んで考えてもらいたい1冊だと思いました。