殺人の門角川書店このアイテムの詳細を見る |
今回は、東野圭吾『殺人の門』を紹介します。本書を読んでも、ぱっと明るくなることはありません。むしろ、ずっと心の中で悶々としているようなもどかしさを感じます。主人公の田島和幸がいつ倉持修を殺すという殺人の門をくぐることになるだろうか?本書に関していえば、好き嫌いが分かれる作品だと思います。
本書は、人が殺しに至るまでの過程を田島和幸を通して思い描くことになる。つくづく、憎しみというものの動機だけでは人が殺せないということを思い知ることになる。動機だけでなく、臨界点を超えた衝動であり、環境やタイミングというものが兼ね備えていないとなかなか殺しまでには至らない。そのため、田島和幸は、倉持修にだまされ続けていて、殺意を抱くのであるが、なかなか殺人の門をくぐることができないでいる。一線を越えないということだろうか。
本書の感想は、はっきりいって好きではないですね。倉持修は、田島和幸が幸せをつかもうとしたときに現れ、また、結果的に転落するというという繰り返しで邪魔やつなんだろう。田島和幸が倉持修にだまされたということであるが、ねずみ講みたいなやつにだまされたりということは、身から出たさびという感じもするし、自分が愚かだから損をしたり、人にだまされるということではなかろうか。田島和幸の悶々とした暗さというものが、この作品を好きではなれないなあという原因ですね。
ちなみに本作品はitchyさんのコメントにより読まないだろうと思います。
わたしもこの作品は好きか嫌いかで言えば好きではありません(笑)。
この作品が好きだという人はどんな人なんだろう?と考えると、想像もつきません……。
>今後も東野作品の批評を多めに掲載してください。よろしくお願いします
今は全作品を読破したいと思っています。了解しました。
それでは失礼します。
○深田いぶき様コメントありがとうございます。
>この作品が好きだという人はどんな人なんだろう?と考えると、想像もつきません……。
私も想像できませんね。東野作品で一番好きな作品が、本書だという人にあってみたいような気がする。
それでは失礼します。
この作品を読んでいるときは、当然のように田島目線でストーリーを追っていたので倉持のことをなんて嫌な奴だろう、と思って読み進んでいましたが、もし私の周りに倉持と田島二人がいたとしたら、私はどっちと友達になるんだろう?と思ったら…倉持かもしれない、と思ってしまった。
田島っていろんなことを人のせいばっかりにして、周りに本当にいたらうっとうしいと思うタイプかもしれません…
倉持と田島はどちらと友達にになりたいかといえば、私も倉持かな。だますほうも悪いけど、ねちねちと人のせいにするのもどうかなとおもいます。
田島和幸の悶々とした暗さというものが人をイライラさせるのかなとおもいますね。
また、気長に書評をアップしますので、またよろしくお願いします。