itchy1976の日記

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米澤穂信『さよなら妖精』

2010年09月03日 23時49分41秒 | 書評(その他著者)
さよなら妖精 (創元推理文庫)
米澤 穂信
東京創元社

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今回は、米澤穂信『さよなら妖精』を紹介します。高校生達とユーゴスラビア人のマーヤとのふれあいを描く青春ミステリーというべきか。第1章と第2章はマーヤとのふれあいについて振り返る。マーヤは日本の文化に興味を持ち、その都度「哲学的意味はありますか」とたずねる。第3章になってマーヤがどこから来てどこへ帰ったのかという謎解きが始まる。手がかりはマーヤの過去の発言である。

大枠は残された高校生達にはユーゴスラビアの6つの共和国(スロベニア、クロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ)のうち、マーヤがどこから来てどこへ帰ったのか謎解きをはじめるというミステリーですね。

最初は退屈だなと思ったが、第3章になってやっと謎解きが始まるのかという感じだった。謎が解決したときは切ない印象を持った。こういう結末なのかってね。守屋の無念さということもそこでわかる。ミステリー色は少ないかもね。

守屋がユーゴスラビアに行きたいといって、マーヤがそれをとめたのは当たり前ですよね。ユーゴスラビアの現実を実感しているのと実感していないのは違いすぎるからね。守屋がユーゴスラビアに行かなくてもマーヤと会ったことで何かが変わればいいのではないかとは思った。

マーヤを代表するキーワードを挙げる。
・カールがかった黒髪
・「哲学的意味はありますか」
・白い首筋
・覗き込んでくる目
・紫陽花

○ユーゴスラビア紛争(ユーゴスラビアふんそう)(wikipediaより一部引用)

ユーゴスラビア紛争(ユーゴスラビアふんそう)は、ユーゴスラビア連邦解体の過程で起こった内戦である。1991年から2000年まで主要な紛争が継続した。

1980年にチトーが後継者を定めないまま死去すると、カリスマのないユーゴスラビア体制は、徐々に崩壊していく。全ての始まりは、チトーの死の3ヶ月後に、クロアチア-セルビアで大規模な独立暴動が起こったことだった。その衝撃は、クロアチアにいるセルビア人、セルビアにいるクロアチア人、それぞれを恐怖せしめた。かくしてユーゴスラビア人は、自らがユーゴスラビア人であることと、ユーゴスラビアの存在をついに疑い始めることになるのだった。

1990年近くになると、ソ連国内においてはゴルバチョフ指導による民主化が進み、ルーマニアにおけるチャウシェスク処刑に代表される東欧民主化で東側世界に民主化が広がり共産主義が否定されると、ユーゴにおいても共産党による一党独裁を廃止して自由選挙を行うことを決定し、ユーゴを構成する各国ではチトー時代の体制からの脱却を開始する。また、各国ではスロボダン・ミロシェヴィッチ(セルビア)やフラニョ・トゥジマン(クロアチア)に代表されるような民族主義者が政権を握り始めていた。ユーゴの中心・セルビア共和国では大セルビア主義を掲げたスロボダン・ミロシェヴィッチが大統領となり、アルバニア系住民の多いコソボ社会主義自治州の併合を強行しようとすると、コソボは反発して1990年7月に独立を宣言し、これをきっかけにユーゴスラビア国内は内戦状態となる。

1991年6月に文化的・宗教的に西側に近いスロベニアが10日間の地上戦で独立を達成し(十日間戦争)、次いでマケドニア共和国が独立、ついで歴史を通じてセルビアと最も対立していたクロアチアが激しい戦争を経て独立した(クロアチア紛争)。ボスニア・ヘルツェゴビナは1992年に独立したが、国内のセルビア人がボスニアからの独立を目指して戦争を繰り返した(ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争)。セルビア国内でもコソボ自治州が独立を目指したが、セルビアの軍事侵攻によって戦争となった(コソボ紛争)。


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