ピンコロ往生伝

ピンコロで逝った方々のエピソードを集め、ぜひ自分もピンコロで逝きたいと願うブログ。

「アイスクリーム、食べたいからちょうだい」

2016-08-29 02:15:33 | 日記
 20年ほどの前、伊豆の八丈島で78歳で亡くなったMさん(女性)。
 もともと京都の老舗染物屋の娘さんだったというMさんは、典型的な「お嬢様」。若いころは、皇室の方がしめていたのと同じ帯を使っていたくらい、ものすごい裕福な家柄だったという。
 だから性格もおっとり。何があってもクヨクヨしたりはせず、マイペース。
 結局、実家は婿に入ったご主人の代で倒産、それで知人を頼って八丈島まで引っ越すはめになったものの、本人はさほど痛手に感じていた様子もない。
 ずっと専業主婦で外の社会に出ることもなく、趣味は「着物」。家で暇があったら着物を縫ったりしていた
 細身で背は高く、タバコは好きだが、酒は飲まなかった。
 近所の人には、よくお金持ちで、たくさんの着物を買い集めていたころの思い出話をしていたという。
 息子夫婦と同居していていたが、炊事洗濯は、自分でやっていた。

 亡くなったのはちょうど節分の日。
 2~3日前から身体の具合が悪くなって、寝たり起きたりしていたMさん、それでも、
「アイスクリーム、食べたいからちょうだい」
 と夜の7時くらいには、息子の嫁に食べさせてもらったという。ただ、嫁の方は、2人の孫に、
「きょうは寝ちゃいけないよ。おばあちゃんが亡くなりそうだから」
 と声をかけていたようなので、わずかな間に、相当、衰弱していたのかもしれない。
 息子は外に出ており、嫁がMさんの寝ている部屋の隣で、何が起きてもいいように待機していた。
 午後11時くらいには入り口をノックした上でMさんの部屋に入っていくと、少しのどぼとけを苦しそうにはしたものの、ほとんど眠っているようだった。
 それでまた20~30分くらいして、また見に行くと、静かに目を閉じ、「苦しい」ともいわずに、すでに亡くなっていた。
 さっそく地元の病院の医師を呼ぶと、死因は「老衰」といわれた。
 80歳にもなっていないのに「老衰死」なんて、やはり表面はおっとりしていても、家が破産して八丈島に移り住んできたころなどは、目に見えない苦労をたくさんしてきたのだろうな、と息子夫婦は思った。

(Mさんから学ぶピンコロへの道)
 調べてみると、「老衰」で亡くなるのは男性が1%余りなのに対して、女性は約5%。つまりそれだけ女性の方が、全身がバランスよく衰えて死に至る確率が高い。
 しかし、意図して「老衰死」を遂げようとするのは、非常に難易度は高いだろう。もはや自分では体のコントロールができなくなったころに、ジワジワとやってくるのだから。
 ややネガティブな話だが、さて、現代日本、「老衰死」するほど長生きして、果たして晩年、嬉しいことや幸せに感じたことがどれくらいあるのかな、と考えてしまう。あんまり、ありそうな気がしないのだな。






「おかしいな、一応、救急車呼んでくれんか」

2016-08-21 21:45:55 | 日記
 一昨年、70代半ばで亡くなったSさん(男性)。
 不動産業をまだ現役でやっていて、地元・静岡では手広く商売をやっていた。いたって元気。膝の手術はしたことはあるが、それ以外は持病もなく、ほとんど病院とは縁がなかった。
 日常生活も現役そのもので、よく食べ、よく働き、このままなら90になっても現役でい続けるのではないか、と周囲も噂していたくらい。
 体調を崩したのは、その年の大晦日の晩だった。
「ちょっと調子が悪い」
 と、とりあえずは横になった。それで、翌日の元旦は初詣に行く予定が、どうも行けそうにない。寝ても、かえって体調は悪くなっていたのだ。
 そこで自分なりに身体の異変を感じたのか、普段は強気で、病院にもあまり行きたがらないSさんが、
「おかしいな、一応、救急車呼んでくれないか」
 ひどく弱気な一言。家族もいつもとは違うSさんの言葉に驚いて、さっそく救急車を呼んで病院に運んでもらったところ、そのわずか30分後に息を引き取ったという。
 あまり苦しんだ様子もなく、最後は眠るような亡くなり方だったらしい。病名はどうやら心筋梗塞。
 正月の3日がお通夜で、4日が葬式。不思議なことに、当然起きるはずの死後硬直があまり進まず、お通夜の時でさえ、死体はまだ柔らかかったとか。どうしてそうなったのかの原因はわからず、お通夜にやってきた周囲の人たちは、
「まだSさんは、自分が死んだのに気づいてないからじゃないか」
 などと言い合ったという。

(Sさんから学ぶピンコロへの道)
この人も「元旦死」の一人だ。
 年末年始は、ことに中高年の皆さんにとっては、今でも1年で一番気分が高揚する「ハレ」の日だ。それだけに普段から高血圧体質だったりすると、テンションが高まるあまり、血管の異常が出てしまうケースが多いのかもしれない。
 正月、酒を飲んで風呂に入るだけでなく、酔ってこたつに入ったまま寝たら、そのまま亡くなってた、なんて例も少なくない。
 これもまあ、狙って出来る死に方ではない。
 それに、70代で現役でバリバリやっている最中の死は「ピンコロ死」というより、「突然死」に当たるかもしれない。

初コメントへのお答え

2016-08-21 21:44:10 | 日記
 この「ピンコロ往生伝」のブログ、まったく人気がなく、訪問者も少なかったのですが、初めて「コメント」が入っていました。
 内容はこんな感じでした。

「「ピンコロ死」か「突然死」更に
「自然死」か「寿命死」と区別がつかない
教えて!
私は病死や介護死だけは嫌だ」


 コメント、ありがとうございます。で、さっそく私なりにお答えします。
 「ピンコロ死」と「突然死」に明確な境界線があるとはいえません。
私なりの解釈では、すでにそれなりの年齢(最低でも70代くらい)になって、仕事もリタイア、ないしセミリタイア状態だが、心身ともに元気。寝たきりではなく、認知症の症状もほぼなく、トイレ、お風呂をはじめ、自分の力で日常生活をおくれる。そんな状態が続く中で体調を崩し、最大で一週間以内くらいで息を引き取る。
 これが「ピンコロ死」。
 一方の「突然死」は、まだ年も60代以下で、仕事も現役バリバリ。まさか急に死が訪れるなんて想像もしていなかったような人が突然倒れて逝ってしまうケース。
 こんな感じで分けて考えてます。

 「自然死」と「寿命死」については、さらに明確な境界ははっきりしません。
 どちらも無駄な延命治療などをせず、自然に任せて死を迎えた状態、と考えられます。

 ちなみに私は、人にシモの世話までされる「介護されながらの死」はイヤですが、「病死」はたぶん避けられないな、と覚悟はしています。


「ちょっと、お風呂に入りたんだけど」

2016-08-14 23:07:20 | 日記
 印刷会社をご主人と一緒に経営していたOさん。年は80歳。
 印刷所は住居と隣接していて、跡を継いだ息子さんも通いで仕事に来ていた。その住居も数十年前からずっと住み続けた古いつくりの一軒家だった。
 くたびれていたのはご主人の方。がんで、手術もして、どうにか生きのびた状況だ。
 それに対してOさんはすこぶる元気。ずっと股関節が悪くて、病院に通ったりはしていたものの、命にかかわるような病気になったことはない。江戸っ子で、威勢のいい話しっぷりで、みんなに元気を分け与えているような存在。

 数年前、亡くなる前の年の年末でも、
「あったかくなったら、ウチに来なさいよ」
 と昔の知り合いに電話で声をかけたりもしていた。
 日常生活も、すべて自分で処理できたし、認知症の兆候も一切なし。というか、年の割に外見もわかく見えて、60代のオバサンみたいな感じであった。

 突然倒れたのは、正月明け。いあわせた息子さんによれば、急に朝、
「ちょっと、お風呂に入りたいんだけど」
 と言い出した。普段そんなことは言わない人なのに、どういう風の吹き回しなのか、けげんな気持ちではあったが、本人が入りたいのを止めるわけにもいかず、好きにさせた。
 ところが、いつになっても風呂から出てこない。
 おかしいな、と息子さんが風呂場に行ってみたら、なんとOさんは倒れたまま息が絶えていたという。どうやら脳溢血だったらしい。まさにポックリ。
 ショックを受けたのは、まだ生きていたご主人だった。
「順番が逆だろ・・・」
 と唖然としていたという。

(Oさんから学ぶピンコロへの道)
元気だったのに、お風呂に入ったら突然発作が起きて亡くなってしまった例は少なくない。血管系の病気が出やすいシチュエーションなのだろう。正月で、みんなと酒を飲んで、
酔ったまま風呂に入ったら亡くなってた、なんてこともしばしばある。
 それに家が古く、冬、冷たい外気が入ってくるような環境だと、ますますこうなる危険は高まっていく。
 冬、酒、風呂は、ポックリ死のための、重要な三要素なのかもしれない。
 確かに残されたご主人や息子さんにとっては、衝撃的な出来事だろう。だが、息子さんたちに介護の辛さを一切味わわせないで亡くなっていったのだから、「理想的な母親」だったといえるだろう。

「お父さん、お母さんには内緒よ」

2016-08-07 21:24:33 | 日記

 平成5年に82歳で亡くなったSさん(女性)は、ある宗教団体の熱烈な信者だった。嫁いだ先が信者だったために、そのまま入信したという。
 おかげで、その団体をあまり好まない兄弟や親戚とは折り合いが悪くなり、ほとんど付き合いはなくなっていた。ただ、甥っ子や姪っ子などのところにはしばしば顔を出して、
「お父さん、お母さんには内緒よ」
 と言いつつ、入信を勧めたという。
 口八丁手八丁、「ばっかじゃないの!」といいながらガハガハ笑うのがトレードマーク。
元気はつらつで声も大きく、こまねずみのようにちょこまか動き回る。精力的に知り合いや、時に初対面の人にも入信を勧め、数多くの人を団体に引き入れた。そのため、死ぬ前には地区のほぼトップにまで上り詰めていった。
 酒、たばこはやらないものの、食べるのは大好きで,体形も小柄ながら相当なデブ。高血圧と糖尿病のケはあった。が、日常生活に影響が出るほどの重症ではなかった。
 ご主人はとうに亡くなっていて、子供は男女二人ずつ。末娘だけが離婚していて、生命保険の外交員をやっていたその末娘と同居。家も、その娘が自分のおカネで建てた横浜の一戸建てのマイホームだった。
 
 倒れる前も、まったくいつもと変わらない。
 親しい友人、知人、といってもほぼ所属する宗教団体の仲間たちなのだが、その人たちの家に行ったり、相手がやってきたり。大きな声も相変わらずだった。
 ところが、ある晩、何の前触れもなく、「胸が痛い」とおさえだし、ビックリした娘は救急車を呼ぶ。結局、病院に運ばれて二日後、息を引き取った。
 「急性心不全」との診断だった。
 葬式の際、なぜか同じ宗教団体に入信していたはずの末娘が、団体をやめていたのを参列者たちは知った。
「いったい何があったんだろう?」
 みんな密かにささやき合ったという。

(Sさんから学ぶピンコロへの道)
 自分の信じた宗教の道を貫き通して死んだのだから、それは本人にとっても満足な一生だったろう。自分たちの家を持ち、娘と同居していたのだし、家庭的にも恵まれた部類に入る。
 ただ、少し気になるのが、その娘が母親の入信する宗教団体をやめていた点だ。家では毎日激論を闘わせていたか、あるいは口もきかない冷戦状態にあったか。「信じる人」と「信じない人」との同居は、それだけでトラブルのもとになる。
 もしもそのストレスが原因で突然の発作につながったとしたら、「幸せな最期」とはいえないかもしれない。