いすみ鉄道ファン

皆様方のご来訪をお待ちしています

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

祈・NHK大河ドラマ「本多忠勝、本多忠朝」 第24話

2010年04月15日 | 本多忠勝 本多忠朝(大多喜城)

久我原さん作の今までのお話は こちら

ドン・ロドリゴ漂着~日墨交流400周年記念ドラマ 第二十四話 

慶長十五年十月十八日、生涯無傷の戦鬼、本多忠勝の一生は終わった。激動の時代、その生涯のほとんどを戦場で過ごした猛将も老いと病には打ち勝つことができなかった。天下は大御所家康と二代将軍秀忠のもとに治められているように見えても、大坂の豊臣の勢力は不気味に温存されている。家康は将軍の座を息子秀忠に譲ったとはいえ、対豊臣の政治活動を精力的に行っていた時、まだまだ家康のために働きたかったであろう。さぞ無念であったとも思われる。

死にともな
まだ死にともな
死にともな
御恩を受けし
君を思えば

 忠勝の辞世にはまだ生きて働きたいと言う心情が素直に表されている。飾りのない気持ちを詠った辞世である。

大多喜観光本陣忠勝像(奥村さん作)

 忠朝は父の無念を心に刻んだ。
(父上、安心してお眠りください。父上の遺志は私と兄上で立派に継ぎ、徳川を支えて天下の平安に力を尽くします。)
 人には必ず死が訪れる。それがわかっていても、やはり尊敬する父の死は悲しかった。父と家老の中根忠実の黄泉への旅立ちを見送り、憔悴しきって大多喜に戻ると、中根忠古を呼び出した。

「殿、お帰りなさいませ。このたびは残念なことでございました。さぞ、お疲れでございましょう。」
「忠古、、、」
 忠古に挨拶を受けると、忠朝は忠古の名を呼んで絶句した。主従は見つめあったまま、無言のうちに悲しみを分かち合っているようだ。
「知らせは来ていると思う。我が父の事もさることながら、お前の父、忠実もあの様な事になるとは、、、まことに、、、、まことに、我が父に命を持って仕えていただいた。こんな事を言うとお前には申し訳ないが、父はじいのような家臣を持って幸せだった。いまごろ二人、馬をそろえて三途の川を渡っているころだろう、、、、父の黄泉への旅路につき従ったじいは、じいは、、、」
 忠朝はそこまで言うと、涙をこぼした。兄の忠政よりも忠勝の血を濃く継いだといわれる忠朝は、豪快な性格だが、情にあついところがある。忠古はそんな主が好ましく思えた。父、忠実は、主忠勝の後を追ったのであり、自分も父も悔いは無いと思っていたが、忠朝は父のために泣いてくれる。自分も父の様にありたいと思った。
 そう思った時、忠朝は意外な事を言った。
「忠古、お前は死んではならん。わしに何があろうと、死んではならん。」
「と、殿。」
「わしの亡きあとも、本多を支えてくれ。頼むぞ。殉死ばかりが忠義ではないぞ。」
「何を縁起でもないことを。殿はまだお若い、私が先に逝くかもしれません。」
「いや、人の一生とは何が起こるかはわからない。本多は幸せだ。中根という臣を得た。幸せだ。」
「殿、、、、」
 中根忠古はひれ伏した。その肩がふるえている。普段の忠朝なら、
「ほお、石のような忠古にも涙と言うものがあるのかのう。」
とからかうところだが、この時は黙って、ただ忠古を見つめていた。

 しばらくの間、ひれ伏して泣いていた忠古が顔をあげると、忠朝が言った。
「死ぬなよ。わしが死んでもお前は死ぬなよ。」
「またそのような事を。殿が大殿のもとに参られのはまだまだ、先のことです。そんなことをおっしゃらないでください。」
「忠古よう、、二人ともててなしご(父無児)になってしまったなあ。そうじゃな。生きられるところまで供に生きよう。似たもの同士、父上たちのように老いても、供に生きていきたいものじゃ。」
 しかし、この時、二人にはそのわずか五年後の大坂の陣での運命は知る由もなかった。

 数日後、行元寺の僧定賢が伊三をつれて、大多喜城を訪れた。忠朝は居間で書物を読んでいたが、定賢と伊三の来訪を聞くと客間に向かった。
「忠朝様、お忙しいところをお邪魔しまして、申し訳ありませんが、一言お悔やみを申し上げに参りました。このたびは誠、御愁傷様でござる。」
「定賢殿、わざわざのお越し、いたみいる。」
「いやいや、なんの、死者の霊を慰めるのが我が仕事。知らせを受けて、私も伊三も先代の殿の霊をお慰め申した。」
「伊三、お前も父の死を悼んでくれるか。ありがたいぞ。」
「と、とんでもねえ。先代の殿は命の恩人ですから、、」
 伊三が忠勝を命の恩人と言ったのは、二十年前に忠朝に手を挙げた時に死を覚悟した伊三を助けてくれたことを言っているのであろう。
「まあ、そのことは言わんでくれ。今、思いだしてもわしの方が恥ずかしくなる。」
 忠朝は幼いころのわんぱくぶりを思い出し、顔が赤くなる事を感じた。そんな忠朝をかわいらしいと思いながら定賢が言った。
「忠朝様、伊三は先代の殿の死を聞いて、どうしても自分も直接殿にお悔やみを申し上げたいと申します。まあ、伊三も忠勝様には大きな恩を受けているのでその気持ちは良くわかるので、勝手につれてまいりました。しかし、伊三が忠朝様にお会いしたかったのは、他にも用事があってのことと思います。」
 今年の稲刈りも終わり、伊三が耕した田んぼでとれた新米は忠朝のもとに収められていたが、伊三の今後の沙汰はまだ下されていなかった。
「うん。わかっている。国吉原の開発も順調の様じゃな。伊三の作った米はうまかったぞ。」
「ありがとうござんす。」
 伊三はひれ伏した。
「そこでだ。今度は万喜原で新田開発を行いたいと思っている。伊三にはそちらで働いてもらおうと思っている。伊三も大分大人になったようだから、そろそろ家に帰してやっても良いと思っていたところだ。定賢殿はどう思われる?」
 伊三が十歳も年下の忠朝から大人になったと言われたので、定賢は思わずニンマリとして、答えた。
「はい。大分、大人になりました。やっと、大きな体にあった心持になってきたようでございます。」
 以前の伊三なら、こんな二人の会話を聞いてむっとした顔をするところであるが、神妙な顔つきで頭を下げた。
「新田の開発に伊三を使うのもよろしいかと思いますが、私は伊三を殿のそば近くで働かせた方が良いと思います。伊三には意外な能力があります。今まで自分でも気付かなかったようですが、一度会った人の事を長く記憶にとどめる力があります。」
「会った人の記憶をとどめる?別に珍しい力とも思えぬが、、、」
「いやいや、普通、人と言うものは、会ったその人の印象が強ければ覚えているものですが、伊三の場合は印象が薄くても顔と名前を覚えているようです。」
「どういうことだ?」
「例えば、顔は見ていなくても、ふすま越しに聞いた声を覚えていたり、後ろ姿や遠目に見た歩き方などでその人の事を覚えているのです。寺を訪れてくる人々のなかには、会ったことも無い伊三が自分の名前を知っていると気味悪がるものもいますが、遠くで野良仕事をしている人の会話を聞いて、顔はわからなくてもその時の聞いた名前と遠目に見た仕草を覚えてしまうのです。伊三に遠くから見られているとは知らずに、後で伊三に名前を呼ばれて驚くと言うこともありました。」
「ふうん。確かに、それは特別な力かもしれないが、それがなにか役にたつかの。」
「わかりません。」
「わからない?」
「はい。どんな役には立つかはわかりませんが、そばに置けば何かの折に役立つかと。」
「忍びでもさせてみるか?」
「ははは、それはむりでございましょう。ご存じのとおり、伊三は力はありますが、動きは緩慢ですから。」
「がははは、そうであったな。そうか。まあ、考えてみよう。しかし、とりあえずは家に帰してやれ。そして来年も国吉で田んぼで仕事をさせて、再来年には万喜原の新田開発に働いてもらおう。伊三、いいな?」
 以前の伊三なら、「いや、俺は殿さまの家来になりてえ。」というところだが、よほど定賢の教育が行き届いているのだろう。子どもの様に駄々をこねることはなく、
「わかりました。」
と言った。半年の間に伊三は大きく成長したと言っていいだろう。いや、体のことでは無く、心のことだが、、、半時ほど、三人で忠勝の死を偲んでから、定賢と伊三は国吉に帰って行った。

 その夜、忠古が忠朝のもとに相談があるとやってきた。国吉原の新田開発は成功したが、思いのほか金がかかった。新田開発に従事した農民たちの年貢を免除したうえ、開発の費えは惜しまなかったから、先行投資のもとがとれるような状態ではない。まだ一年目だから、先を考えればそれでも良いのだが、新たな開発となると資金不足である。それに、今度の新田開発では種もみを貸し与えようと言う計画もある。忠古はその資金をどうするかで悩んでいた。
「そうか。何か始めるには金がかかることよ。しかし、何としても再来年には開発を始めたいが、どうしたものか。」
 忠朝は腕を組んで考え込んだ。しばらく、目をつぶり考え込んでいた忠朝が目を開き、手をたたいた。
「そうだ。うん、そうしよう。父上もそれを望まれよう。」
「何か、名案でも?」
「そうか、父上は何もかもおわかりだのだ。」
「殿、なんの事でしょう?」
「父上はわしに一万五千両という大金を残して下さった。初め、何に使うべきかを考えていたが、使い道がわかったぞ。」
 忠朝は父の遺産を新田開発の資金に使おうと考えているのである。
「早速、兄上に問い合わせてみよう。」
 忠古はほっとした。
(これで、万喜原のことはめどがついた。)                 続く   

-------------------------------------------------- 

著者の久我原さんからのメッセージです。

第2部の忠朝の運命はきまっているのですが、伊三がどう動くが僕にもわかりません。このまま、大多喜では百姓を続けるか、忠朝の家来になって隠密になるのか、足軽(旗持ち)になるのか、それとも幕府の密命で仙台の伊達を探りに行くのか、まさかメキシコにはいかないと思いますが、、、 

大多喜町の観光スポット
http://www.town.otaki.chiba.jp/kankou/spot/

ジャンル:
ウェブログ
コメント (10)   この記事についてブログを書く
« ムーミン「あの人が知ってい... | トップ | 千葉パルコ 千葉鉄道フェス... »
最近の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ジャンヌ)
2010-04-15 23:16:31
久我原さん、お疲れさまです。
忠勝公の晩年はちょっと寂しい感がありますが、それも人間臭くていいわ。
戦国BASARAでは強すぎて戦闘ロボで登場していましたが、心の中は身近にいるおじさんと同じだったのかもしれませんね。


忠朝公は、今のいすみ鉄道沿線の方達のされていることを同じですね。
地域活性の江戸時代ヴァージョンね。ふむふむ
忠朝公が〇〇さんで、伊三さんがだんだん〇〇さんに思えてきました。

歴史に残っている方の結末は変えられないので、伊三さんには思いっきりハチャメチャにお願いします!(^^)!
隠密がいいわ♪ うっかり八兵衛さんみたいな。

次回で第一部は終了です。



  -----ご案内-----

4月25日(日)は、大多喜城下商店街では葵の会さん主催の「二十八市」が開催されます。
http://blog.goo.ne.jp/aoi20090302
大多喜城観光や観光本陣の忠勝像見学にもご注目ください。

4月24日(土)25日(日)は、東総元駅近くでレンゲ祭りも開催します。
http://www.town.otaki.chiba.jp/kankou/event/rengematsuri.html
*大多喜レンゲまつり実行委員会
TEL:0470-80-1146(イイシロ)


大多喜名物「たけのこ堀り」も、今が旬です!!

大多喜町の観光スポット
http://www.town.otaki.chiba.jp/kankou/spot/


いすみ鉄道をご利用ください
いすみ鉄道車内から、大多喜城がよく見えます。
お疲れ様です♪ (moka☆maru)
2010-04-16 18:00:20
第24話♪
久我原さん、ジャンヌさんお疲れ様でした♪
この後じっくり読ませていただこうと思います~!!

>>忠朝公が〇〇さんで、伊三さんがだんだん〇〇さん

フムフム!!?
快調ですね (ノジャ)
2010-04-17 11:51:58
伊三さんが密使だなんてわくわくしますね。
maruちゃんとノジャさんへ (ジャンヌ)
2010-04-17 12:12:32
maruちゃん、またまた久我原さんの小説を縦にして製本してるって聞いて、びっくりしました
久我原さん、ねじり鉢巻でよろしくお願いしま~す
小説はやはり縦にして読みたいですよね。


ノジャさん、すご~く遅くなっちゃいましたが、久我原さんにノジャさんのエッセイ集を贈らせていただきました。
すごいプレッシャー
ノジャさんと久我原さんにはご対面して欲しいです。
そこで、このお話のことなど話せたら楽しいですね。お二人はお互い旅好き、乗り鉄?、物書きさん同士ですから!(^^)!

ありがとうございました (久我原)
2010-04-20 11:02:05
ジャンヌさん
いつも編集御苦労様です。第一部は次で終わりです。わずかな情報をもとに僕のつけたしでここまで長くなるとは思いませんでした。
>>忠朝公が〇〇さんで、伊三さんがだんだん〇〇さん

気になりますねえ。

maruちゃん
引き続き、お読みいただきありがとうございます。しかも、縦書きで印刷していただけるとは「おぬしやるのう。」と思いました。僕が数字は漢数字を使っている意図を見抜いていますね。

のじゃさん
先日、ジャンヌさんからエッセイ集を送っていただきました。早速読ませていただいています。定期的に掲載したもののようですが、本格的で驚きました。僕は気まぐれにこちらに投稿しているだけですから、、勉強させていただきます。
いつか、どこか(大多喜かな?)でお会いできることを願っています。
 (kaneda)
2010-05-09 13:45:50
小説まであるとはすごいですね。
さて、当時の武将達が何歳まで生きたのか?
上杉謙信 49歳
織田信長 49歳
武田信玄 53歳
豊臣秀吉 62歳
前田利家 62歳
伊達政宗 70歳
徳川家康 75歳

「人生50年」と言ってた時代としては、本多忠勝公も長生きとしましょうか。

家康は麦めし主義だったそうですが。

忠勝や忠朝達の強い武将の食事の再現もありかな。以前ジャンヌ様が希望してましたね。

タケノコやとろろ飯もあったのか、興味があります。
大多喜特産品は、カロリーが低いことを売りにしてはどうだろう。

時折拝見させていただいており、たまたま武将の寿命を知ったものでコメントいたしました。
かぐやご飯 (ジャンヌ)
2010-05-10 01:07:56
kanedaさま、ありがとうございます。

本多忠勝公の時代には何を食べたのか知りたいです。今でもその気持ちは変わりがありません。覚えていてくださってビックリしました\(^o^)/

たけのこはありました!!

こんな民話があります。
久我原さんにも読んでいただきたいと思いますので記しておきます。

---こまつ姫とかぐやご飯(大多喜町の民話)---


大多喜城主本多忠勝様に一人の姫君がいました。名前をこまつといい忠勝様はたいそう可愛がっていました。

利発な姫君でみんなからたいそう可愛がられすくすく育っていきました。

いつの頃からか「えーい」・「やあー」とお城の庭から元気なかわいい声が聞こえてくるようになり

「おお、こまつ姫様の声がするぞ。」

「姫様が剣術好きだとはなあ。」

「あの声を聞くと、今日も元気でいるなと安心する。」

と城下の人々はこまつ姫様の話でもちきりでした。

ある日のことです。城下に遊びに出かけた姫様があぜ道を歩いていると

「たいへんだ、狂いジシだ。」

「逃げろ、逃げろ。」

大声を出しながら走ってくる者がいました。大きな猪がものすごい勢いで駆けてくるではありませんか。

「だれか、こどもを。こどもを。」

畦には竹篭に入った赤ん坊が見えました。

姫は赤ん坊を抱えると母に手渡し、腰の刀を振り上げると猪に一太刀あびせました。

猪は叫び声を上げると近くの竹やぶに逃げ込みました。姫様もその後を追って竹やぶに飛び込み猪をわなに追い込み、みごとに捕まえました。

姫様は、

「もう大丈夫。心配しなくてもいいよ。」

と村人に優しく声をかけました。

その時竹やぶごしに、姫様に日の光があたり、きらきら輝いて見えました。

「なんてきれいなんだ。本当に輝くように美しいとはこのことだ。」

城下の人々は、この日よりこまつ姫様のことを語り合う時、「かがやく姫様」と呼ぶようになりました。 そして、「かがやく姫様」が人々の口から口へと語られるうちに、「かぐや姫」と呼ばれるようになったのです。

こまつ姫様は城下の人々から慕われ、信州上田の真田信幸(幸村の兄)との結婚が決まり大多喜を離れる時には、城下の人々が見送ったということです。

それからここ大多喜では、こまつ姫様のことを忘れないように竹の子をつかった炊き込みご飯を「かぐやご飯」と呼ぶようになりました。

おしまい

http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/e_bunka/bunkajyouhou/minwa/ootaki24.html
(浅井清恵 ふるさと民話さんぽ「広報おおたきNo.427」より)

ありがとうございました (久我原)
2010-05-13 19:54:51
KANEDA様、ありがとうございます。

忠勝もさびしい晩年ではありますが、63歳は当時としては長生きですよね。

さてさて、食事のシーンは難しいですね。
赤穂浪士の時代には握り鮨も、ウナギのかば焼きもなかったようなので、大石内蔵助が握り鮨を食べるシーンはあり得ません。そばもいつ頃から食べられるようになったかよくわからない。当時の人が何を食べていたかって、当たり前のことなのであまり記録が残っていないようです。珍しい事件は語り継がれますが、日常の出来事は記録されない。だから、歴史って普通のことのほうがよくわからないですよね。
食事のシーンの名手は何と言っても池波正太郎だと思います。

僕は忠朝にそうめんを食べさせましたが、これはそうめんを送った寺への礼状が残っているので、事実だと思います。酒好きの忠朝が飲んでいたのはおそらくにごり酒。ドンロドリゴが忠朝にワインをごちそうしたというのは僕の想像です。

言葉使いも気をつけなければいけないところです。例えば「自由」とか「主義」という言葉は幕末にできた言葉だそうですから、戦国時代の人はそんな言葉は使いません。、、、といいつつ僕の作ったセリフも嘘だらけのような気がしてきました。

ジャンヌさん、貴重なお話をありがとうございました。小松姫は大多喜に住んでいたことがあるんですね。これは伊三の若き日を番外編で書きたくなってきました。
ところで、第一部の最終回を以前、送っておきましたので、気が向いたら掲載してやってください。一応ひと段落したので、全体的に見直して若干の修正をして大人のコラムに投稿してみようと思いますが、いかがでしょう?
久我原さんへ (ジャンヌ)
2010-05-13 21:07:17
小松姫のお話をみつけた時はビックリでした。
大多喜城下のみなさんはご存知でしたでしょうか?

それから! 最終話・・・届いてないと思って、首が2メートルになっていました。 どこに・・・? 

しかも「めどはついた」のに? じらしているのかと思っていました(汗)

申し訳ありません。お手数ですが、もう一度お願いしますm(__)m 


にごり酒ですか!! わたしもとろ~り甘いにごり酒をここのところ4ヶ月ほど毎晩・・・
そうと知ったら、気合を入れて呑もうと思います。
Unknown (久我原)
2010-05-13 23:30:19
了解しました。

コメントを投稿

本多忠勝 本多忠朝(大多喜城)」カテゴリの最新記事