アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

謹啓 鳩山由紀夫先生

2009-05-15 05:55:55 | その他

「民主党代表選を通じて、民主党が頼もしいという姿を見せていく。小沢代表と一蓮托生と言ってきたが、この国を新しく出発させるために、党内を結束させなければならない。そうしなければ政権交代はおぼつかないというときだ。自分の身が役に立つなら、一身をささげたい。元気のいい社会にしたい。」(13日の発言)

 http://www.hatoyama.gr.jp/indy_frame.html

(鳩山由紀夫先生のオフィシャル・ページ)

謹啓 鳩山由紀夫先生
 ぜひ、明日16日の民主党代表選、そして衆議院選に勝利され、政権交代を実現されますことを祈願いたします。
 今の日本の政治家の中で、最も信頼できる、総理大臣にふさわしい実力、お人柄をお備えの方だと思います。
「自立と共生の社会」…鳩山先生のご健闘、ご勝利を心からお祈りいたします。

<写真> 「ローカルパーティー東京市民21」
(新宿厚生年金会館・19951127日)

「実際に街を歩くと、車道の横断歩道を横切って歩道に上がる箇所には、必ずといっていいほどその1~2㎝の段差がある。横断歩道を渡る時も、車道に中央分離帯があると、そこには同じような段差がある。それを乗り越えるには、たとえ電動車椅子であっても体が大きく揺れ、後ろに倒れそうになって大変怖い思いをする。私は手が利かないから、チンコントロール式の電動車椅子をあごで操縦するのだが、その段差を越えようとして、あごやのどをレバーにぶつけたことが何度もある。まして、手押しの車椅子でその段差を乗り越えるのはもっと大変だ。慣れない人が押すと、硬い前輪をその段差にぶつけ、乗っている人の体が前の方につんのめる。車椅子利用者にとって、むしろハードルとなってしまうようなその段差を、これから先、わざわざ税金を使って設けるなど、とんでもない話だった。それに、そうした段差を設けずに、点字ブロックだけで平らな街づくりを進めている進んだ自治体も、全国的にはあった。(中略)

 息をつく間もなく、今度は鳩山由紀夫氏と、山花貞夫氏(故人)が目の前に現れた。両氏は、レセプションの短い貴重な時間の中、一障害者でしかない私の話に、十数分も黙って耳を傾けて下さっただろうか。お二人の優しい眼差しと、上品で穏やかな物腰にすっかり甘えてしまった私は、失礼も顧みずに自分の思いをしゃべりまくった。「これから高齢化が進んでいく中で、年配の旦那さんが奥さんを、奥さんが旦那さんを車椅子に乗せて押すようなことも起こり得るでしょう。そんな時に、もし都がこんな条例を作って、地方が追従するようなことにでもなれば、それは何億円という税金の無駄使いにもなりかねないと思います。」
 
以前は、敵対する自民党と社会党のそれぞれ代表格だった両氏が、今、手を携えて共に歩こうとされているようだった。「創ろう!市民(わたしたち)の政治」というキャッチフレーズのままに、市民が主役となる政治の実現を目指して結成されたそのパーティ(政治団体)の輪は、後の民主党結成の大きな力となっていった。
(拙著『アイ!サラマッポ~フィリピン人介護者と生きて~』より)

※ 閲覧数トータルが3万を超えました!(サラマッポ!)


ルセナの「日本人障害者の家」で…ヒロさん(1996)

2009-05-14 12:00:00 | フィリピン-障がい者の「自立生活」

       

<ルセナ市「日本人障害者の家」で-1996年1月1日>
「ヒロさん」こと故向坊弘道氏(左)と私(新年の瞬間に)。

※2006年5月朝日新聞の記事↓
首から下が全く動かない重い障害をもちながら、自立した生活をしたい、とフィリピンにわたった障害者がいる。日本で限界を感じた自立生活を、物価の安いフィリピンで実現しようというのが理由だった。わかっているだけで、日本からフィリピンに移り住んだ重度障害者は10人近いという。
 四肢まひの寺本一伸(かずのぶ)さん(48)。7年前、単身フィリピンに渡った。ミンダナオ島に一軒家を借り、フィリピン人ヘルパー3人に24時間の介護を受けている。
 金沢市出身。小学校教師だった16年前、事故で首から下が全く動かない頸椎(けいつい)損傷になった。
 障害者施設で3年過ごしたが、失禁でベッドを汚した入所者をしかり付ける声などが響くのを聞きながら、耐えられないと思った。買い物のための自由な外出は年1回だった。
 東京都内にアパートを借り、学生ボランティアらの助けを得て一人暮らしをしたこともあったが、自分の思うようにはいかず、落ち込んだ。
 そんな時、フィリピンに日本人の障害者が滞在できるNGO施設「日本人身障者の家」があるのを知り、2カ月間滞在してみた。気候は暖かく、フィリピン人ヘルパーの世話も心地よかった。
 帰国したものの、日本での自立生活は難しいと感じ、かばんと車いす用のアルミ製スロープ板を持ちフィリピンへ移ったのは、99年3月だった。
 雑誌に求人広告を出してヘルパーを雇い、中古のワゴン車を買って週3回は運転手を雇い、買い物や会合に出かける。口にくわえた割りばしで、パソコンを操作し、日本の友人ともメールをやり取りする。ヘルパーらの人件費は月5万~6万円程度。月11万円の障害者年金などでやり繰りする。日本ならば70万~80万円はかかるという。

「一歩間違えると、とんでもないことになる可能性もあるが、施設での生活を考えれば何でもない」と寺本さんは話す。
 寺本さんが日本から出るきっかけになった「日本人身障者の家」は、北九州市で不動産業などを営む向坊弘道さん(67)が79年、フィリピン・ルセナ市につくった。冬の間だけ日本人の重度障害者が泊まれる施設で、向坊さん自身、首から下が動かない障害者だ。設立以来27年間で、日本から訪れて滞在した障害者は延べ200人。
 ここでの滞在を機に、フィリピンに移り住んだ重度障害者は、30代から50代で、寺本さんのほか7人はいるという。

(向坊さんが亡くなられる一週間前、2006/5/8の朝日新聞の記事)


故向坊弘道氏のご命日に…。(合掌)

2009-05-14 05:08:00 | フィリピン-障がい者の「自立生活」

 今日は、三年前に、北九州市の向坊弘道氏(むかいぼう・ひろみちーNGO・福祉団体グリーンライフ研究所代表)が、腎盂がんのためお浄土に旅立たれた日です。
母の日でした…(享年67歳)。

 東京大学在学中の1959年に、交通事故で頚髄を損傷(C5)、四肢まひの障害を負いながら、フィリピンへ中古の車いすを寄贈したり、ネパールで小学校を建設するなどの福祉活動の一方、四肢まひ者向け情報誌「はがき通信」(継続されています。)を発行されました。

 http://glij.shokakuji.or.jp/

 ネパールの首都カトマンズでは、氏のご遺志が受け継がれ、「カトマンズ本願寺が建築中。すでに完成された部分では、様々な活動がされています。

 氏のご生前のご功績を偲び、お参りさせていたします。
 これまでのご指導、ご厚情に感謝します。『歎異抄』忘れません・・・。
「南無阿弥陀仏・・・」(合掌)

「世の中は 鉄あり銅あり 金もあり 皆それぞれに 使命美し」 (向坊弘道)
「迷信と正信の違いを吟味してみると、それは疑いにあります。徹底的に疑えば、正しい信心にたどりつくことができるのです。」 (向坊弘道)

人間の可能性は限りなく無限に広がっている。
そんなかなで、自分はものすごいことをしても、そこには数え切れないほどの他の力がはたらいている。(『よみがえる人生』より)

寺本 様
 今朝は、長距離電話ありがとうございました。私は3ヶ月間Lucenaに滞在していました。ネパールも治安の悪化が報道されていますが、カトマンズ本願寺建設に悪影響はないようです。一度、ネパールにも来て下さい。私は11/6からネパール・インドをまわります。
 ダバオはいいところですね。『南無阿弥陀仏』を唱えながら、感謝しながらの毎日はすばらしいです。
『ダバオ有情-フィリピン人介護者と生きる』(仮題)という手記は私が10冊書いた経験から言うと、180ページ以内がいいです。200ページ以上の難しい本は日本では売れません。自費出版かどうか、樹心社を紹介しましょうか?
 ところで、フィリピン人介護者と一時帰国する方法がありますか?教えて下さい。
)))))))))))))))))))))))
向坊弘道  (グリーンライフ研究所・日本)
((((((((((((((((((((((((()))))))))))))))))))))))))))))))))
提案します。
・東京だけが繁栄する中央集権政治を道州制に改めましょう。
・沖縄を経済自由地域にして、全国の平等な繁栄を計りましょう。

-2006年3月30日 21:19、故向坊さんからののEメール-


南シナ海のサンセット!

2009-05-11 20:55:31 | フィリピン-バギオ

 今日もバギオはお昼過ぎから雨…。バギオに長くお住まいの日本人の方々に伺っても、今年は雨季の到来が例年よりずいぶん早いとのこと。例年、5月中旬の今頃から雨の日が多くなるはずが、今年は3月末から雨の日が多いのです。「雨季」といっても、午前中は晴れ間が広がり、お昼頃から大きな雨となることが多いようです。「女心とバギオの空」(?)とにかく、天候が急に変わったりします。ここグリーン・バレーは、手の届きそうなほど近くを流れる雲の動き・変化を眺めているだけでも飽きません。

 ところが、今日は夕方から空が明るくなり、用事でコンドミニアムの事務所に行ってもらったジェンさんが、戻って来てきれいな「虹」が出ていると言う間もなくデジカメを手に駆け出して行ったのです。

 

<グリーン・バレーの東の空に虹>(午後5時半頃)

 
(5月12日追加)右方向に目をやると…。

 そして、大好きなスポット、反対側(西側)の南シナ海が望める丘から「South China Sea Subdivision」(住宅地)を眺めると、ドンピシャのタイミングで沈みゆく夕日、「サンセット」が見えたのです!(表紙の写真・午後6時頃)

 初めて目にする美しい夕日に大満足。南シナ海は、見えそうで見えませんでしたが、夕日が沈んだ後の夕焼け空にしばしたたずんでいました。↓

 


フィリピン人看護師と介護福祉士候補者が日本入国-母の日に

2009-05-10 22:03:38 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 今日は「母の日」…。(感謝-サラマッポ!)

 当初の日程通り、今日の午前のマニラ-成田便で、フィリピン人看護師と介護福祉士候補者が日本に入国しました!
 日比経済連携協定・EPAでの合意(2006年9月)では、「2年間で1000人・内訳は看護師400人に、介護福祉士候補者600人」を受け入れるという内容でしたが、今年の最終選考時には「看護師200人」「介護福祉士候補者250人」という枠になりました。が、それも、日本側の受入れ施設が予想より大きく下回り、今回入国したのは約270人(273人?うち看護師78人?)ということです。
「看護師は3年以内」「介護福祉士候補者は4年以内」に、日本の国家資格を取得しなければならない、つまり、日本語の、しかも専門用語の多い国家試験に、一度のチャンスでパスしなければならない、という厳しい条件です。パスできなければ否応なくフィリピンに「帰国」となります。

 フィリピン人看護師・介護福祉士候補者の受入れの経緯については、このブログの中でも何度か取り上げてきました。
 http://blog.goo.ne.jp/isshin3_ph/c/1ae6f2406bb8beed3975d057ca1e19c3

 私は、初め日比間の自由貿易協定・FTA協議の中で話題となり始めた2003年初め(フィリピンの新聞の記事を見た時)から、ずっと気になっていた事柄です。一時は、その合意事項の批准をめぐって、フィリピンでは批准反対の声が大勢でした。
 
看護学部の学生が、白衣姿でPrevent us from being abused-私たちを、日本でアビュースされることから守って(防いで)…!」といったプラカードを手に、EPA批准反対を訴えて、ケソン市で集会を開く(2007年9月30日)、などといった事態も起きました。「be abused」は「虐待・酷使される、粗末に扱われる」といった意味です。日本語の国家試験合格や研修を義務付けた同協定を「国家資格を取得するまで日本人看護師の補助をさせられる。」とか「フィリピン人看護師をプロとしてではなく、商品と見なしている。」などと批判、上院に批准を見送るよう訴えたのです。協定の中の「有害廃棄物の日本からフィリピンへの無関税輸出」という内容に関しても、フィリピン国内ではかなりの反発があり、結局、最終的に批准されたのは、2008年の10月8日深夜のことでした。(協定の発効は12月。)
 
この、FTA(EPA)による人材の受入れという画期的な内容について両政府間で論議され始められたのは、フィリピンが初めての相手国でした。それから数年…、ようやくお互いが納得できる合意に至り、いわば何年越しかの恋(初めは相思相愛だった?)が、昨年来の世界的な経済・金融危機により、ずい分日本国内での事情が変わったため、お金がかかり、現場指導にも負担がかかり、また、せっかく育てても3~4年後には、そのほとんどが帰国せざるを得ないであろう外国人看護師・介護福祉士候補者を受け入れよう、という施設や病院が減るのは、自然な流れでしょう。失職した日本人を雇用した方が、受入れ側にとってはよりスムーズに、そして長期雇用も期待できるでしょうから…。

 数千名という多くの応募者の中から選ばれ、今日、日本入国を果たしたフィリピン人看護師と介護福祉士候補者は、母の日に最大の親孝行ができたのではないかと、フィリピンの家庭事情をある程度知る私には…、うん、そう思えてなりません。
 
6か月間の日本語研修等を終えて、実際に医療・介護現場に入るのは10月末から11月上旬…。今年の、初めての日本での「クリスマス」が、彼ら、彼女らにとってどういったクリスマスになるのか、期待感を持って見守りたいと思っています。

 今日は日本各地で真夏日の記録的な暑さ…。初めて成田に降り立ったフィリピン人にとっても、マニラに引けを取らないくらいの猛暑に、さぞ驚いたことだったでしょう。今夜は、思い切り泣いて、明日から、一日も早く「日本」に馴染んでくれることを祈ります。

Good luck sayo!」(あなた方に幸あれ!)

<写真> バギオ市Lourdes Grotoの聖母マリア像

…「100段の階段」(下の写真)を上りつめた所に、この像があります。ちなみに、スロープも整備されていて、私もそこまで行くことができます。(訂正-「110段だそうです。…5月11日)
 

<関連記事>

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090510-OYT1T00672.htm?from=navr


「BCSG石川」 ひまわり・パワー

2009-05-06 15:00:33 | その他

 先日、「BCSG石川」の情報誌がバギオに届きました。
「BCSG」とは「Breast Cancer Support Group」の略で、石川県で、乳がんの患者さんを心身の両面からサポートしている団体で、モットーは「いのちもからだも、あなた自身が主人公」です。

 http://www.bcsg.sakura.ne.jp/

 
情報誌を送って下さったのは、その代表を務められている「山口節枝」さん。私が日本に一時帰国した際、とてもお忙しい中、毎回同行してくれたフィリピン人介護者を、金沢市内、近郊の観光スポットの案内や食事etc.に連れて行って下さいます。私自身は、よきお話し相手、というよりいつも何かと相談に乗っていただいています。サラッマッポ!

 http://hokuriku.yomiuri.co.jp/hoksub10/sukoyaka/ho_s7_05112201.htm

 3年前のこと、その情報誌への寄稿を頼まれました。「乳がんに関する情報が主だけど、『生きること』に関しては誰にも通じるものがあるでしょう?」と…。「障害者の自立とは?」というテーマで、それに「フィリピンでの生活の様子」についても投稿させていただきました。
 
今回の第27号も「緩和ケア」について、また「乳がん患者の声に学び、それに応えようとするがん医療」「がん科外来における哲学」など、中身の濃い内容でした。基本的に、乳がん体験者、患者の側に立った情報を提供し、乳がんと告知された方への心身両面からのサポートの在り方を探りながら、活動を積み上げられています。

 http://mainichi.jp/area/ishikawa/news/20090411ddlk17040593000c.html

 
そして、やはり山口さんが代表を務められている乳がん体験者のための会「ひまわり会」の今年のポスタ-に、私のバギオで撮ったひまわりの写真を使って下さったのです。
 
ポスタ-の内容は、以下のようなものです。レイアウトもすばらしいのですが、ここでは元のひまわりの写真を載せました。日本でよく見られる大輪のひまわりとはちょっと品種が違うようですが、この花とミツバチは光栄だと思います。(昨年11月初めに撮影-今年最初のブログ記事にも使った写真です。)

「乳がん体験者のためのひまわり会のおしらせ」

-同じ体験の仲間と話し合うことは癒しの第一歩。 あなたの参加を待っています。-

 集まってみませんか仲間同士
 
話してみませんか今の悩みを
 
語ってみませんか心の中を

2009年 日 程 と 会 場
日程:
(毎月末最終月曜日)-ここでは略させていただきます。
場所: 金沢大学医学部附属病院内 時間 午後1:003:30 参加費200

 さて、このバギオの人がサン・フラワー・Sunflowerと言う、やや小さい可愛い花をつけるひまわりですが、もう新しい花が咲き始めました。↓  
(昨日5月5日撮影)

 というのは、昨年10月末にバギオに越してきてから、どこへ行ってもそのひまわりの花で街が黄色一色だったのですが、フラワーフェスティバルが終わった3月頃からしばらく、花の少ない時期がありました。次の写真は、種になって枯れつつあるひまわりの写真、ちょうど一か月前の4月5日に撮影したものです。↓

 

 それからまだ1か月…。初々しい若葉に、もう新しい花が咲き始め、かたそうな蕾も次々に開くことでしょう。人間でいえば、この新しい花々は、上の写真、種になったひまわりの甥っ子や姪っ子あたりに相当する?でしょう。この種がもう花を咲かせるのはあまりに早過ぎます。(自分でも混乱してる?)
 それにしても、おそるべき、バギオのひまわり・パワーです!

 これまた余談ですが、先月マニラに行った際、お米どころのターラック等で、田植えが終わったばかりの田んぼ、稲が青々と伸びている田んぼ、稲刈りが目前であろう黄金色に輝く田んぼに、稲刈りが終わった休耕状態の田んぼ…といろいろな状態の田んぼに、これまた頭が混乱しました。フィリピンは、お米は三期作なのです!(一年間に三度収穫できるのです。)


ココナッツ・パワー

2009-05-03 22:02:02 | フィリピン-バギオ

 これはココナッツの木-Coconuts tree(ココヤシ)。中央にたわわに実ったココナッツが見えます。ここバギオにはPine tree(松の木)はあっても、ココヤシの木はありません。写真は、ダバオで撮ったココヤシの木です。
 
ちなみに、フィリピンのNational tree(国木)はココヤシの木かと思ったら、実は「Narra(ナラ)」という家具などに使われる堅い木で、日本では花梨(カリン)と呼ばれるマメ科の広葉樹でした。
 ココヤシの木は、実のココナッツはもちろんのこと、その樹木から葉っぱ…にいたるまですべて利用され、重宝されています。
 先日来、床ずれ(傷)の治療で、熟したココナッツのパワーに驚かされましたが、いつもは若い(緑色の)ココナッツのジュースの利尿作用に感心します。ココナッツミルクはよく料理に使われ、オイルはお肌にも良いようですよ。

 

 そして、今回は「ココナッツ・ジャム」…。まあ、とにかく次のサイトをご覧ください。↓(ブックマークに追加しました。)

 http://ayks.exblog.jp/10829240/

 パンにお菓子に…、Sweetsに目がないグルメの方必見!
「アヤキさん」の美味しいもの探求HPです。

音楽に国境はない…。
美味しいものにも国境はない…。
それにしてもおいしそうなバナナケーキ…。(^0^)


今年のバギオの天候は…ちょっと変?

2009-05-02 14:26:33 | フィリピン-バギオ

<写真> 久しぶりの青天。でも、南シナ海は見えず…。

 昨日は午前中、青空が広がり、私の大好きなスポット「南シナ海が望める丘」へ行ってみましたが、残念ながら雲に隠れていました。思えば、今年はここから一度も南シナ海を見ていない気がします。もし、見えれば、ちょうど夕日がこの風景の真ん中辺りに赤々と沈んでいき、美しい夕焼けも見られることでしょうが…。

 

 そして、午後からはやはりfog(霧)に包まれ、一面真っ白となるのでした(↑)。ここGreen Valley(緑の谷)は、「Foggy Hill」(霧の丘)とも呼ばれ、どうも南シナ海に沈む夕日を見ることはかなわないようです。私には、これは「Fog」(霧)ではなくて、「Cloud」(雲)のように思えます。白い煙のように、フワーッと上の方から下りてきたり、こちらの方に流れるように迫って来たりするのは、何ともファンタスティックで幻想的ですが、その流れの速さには、当初恐怖感すら覚えたものです。

 それから、先月は雨模様の日がとても多く、もう雨季に入ったのでは、と錯覚するほどでした。ネット上で調べると、例年は、バギオの4月の降水量(1か月)はわずか60mm程度なのですが…。ちなみに、雨季(6月~11月)に入ると、ほとんど毎日が雨となるそうです。

 http://weather.jp.msn.com/local.aspx?wealocations=wc:RPXX0046&q=%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3+%E3%83%90%E3%82%AE%E3%82%AA

<つぶやき> fogcloud
in the fog」   「当惑して 途方に暮れて」
in the clouds」 「上の空で 世事に超然として」
on the cloud   「天にも昇るくらいの幸せ心地で」
・・・I want to be on the cloud.^^


床ずれ完治!ココナッツパワー?(ブログ開設6か月記念)

2009-05-01 22:07:25 | フィリピン-バギオ

 昨年11月1日に、このブログ「アイ!サラマッポ in バギオ」を始めて、ちょうど「6か月」…当初の目標を達成することができました。おかげ様で、アクセス数も少しずつ増えてきています。
「アイ!サラマッポ!!」(ありがとうございます。)

 コメントをいただいた方々、お忙しい中、本当にサラマッポ!
 私のような、フィリピンでフィリピン人介護者のケアを受けながら生活ができるかどうか…といった相談をいただいたこともありました。
 人と新しい出会いがあったり、懐かしい人から連絡があったり…と、うれしいことが多々ありました。

 私自身は、このブログを通して、家族や友人にこちらの生活の様子を知ってもらうことで、多少なりとも安心してもらえたら…と思っていました。これからも「元気だよ!」というメッセージを、記事を通して発していきたいと思います。
 そして、ブログの記事の中に、誰かに共感してもらえる、共感し合える部分があれば、それは大変幸せなことだと思います。

 さて、ここ3か月以上も私を悩ませ続けていた「床ずれ(ロウコウ)」ですが、おかげ様で完治した模様です。ずっと、デジカメで患部を撮りながら状態をチェックし、「ロウコウ(穴)」になってからは、主に、例のグアバの葉っぱの煮汁で消毒、熟したココナッツの実を削っては患部に当てる、という処置をしてきました。

 http://blog.goo.ne.jp/isshin3_ph/e/3a30118b04ac3130ebe0a824b646614b

 最後は、頃合いを見計らって「デュオアクティヴ」という日本からの貼り薬(ステッカー)を貼り、実は一週間ほど前にほぼふさがったのでした!幹部の写真は、ひんしゅくを買いそうなのでお見せできませんが、4月初めに開いた直径1cmくらいの穴が見事に治りました。ちょうど、マニラへ用事で行って、バギオに戻ってきた頃に、です。ミラクル(奇跡の起きる)・チャーチと呼ばれるバクララン教会にも行ったのも良かった!?途方に暮れた時は、そうした神がかり的な力を信じて頼ったりもしたいのが人間でしょう。まさに、ミラクルのような回復ぶりでした。ココナッツの実をあてがったのが効いたように思います。
 さぁて、動くぞーっ。(ほどほどに…^^;)

 ところで、昨日は「おけいさん」の、「猫」さんとの金沢ライヴでした。行けなかったのは本当に残念でしたが、おけいさんのオフィシャル・ファン・サイト「OK’s SQUARE」で、今度7月8日に『初恋』というタイトルの、何とソロ・アルバムがフォーライフから発売されることが明らかにされました(^^)。↓ 

 http://www.forlife.co.jp/yosumikeiko/index.html

 これは楽しみです…!

<写真> Green Valleyお隣のサント・トーマス山麓から湧き上がる雲>