今日は「母の日」…。(感謝-サラマッポ!)
当初の日程通り、今日の午前のマニラ-成田便で、フィリピン人看護師と介護福祉士候補者が日本に入国しました!
日比経済連携協定・EPAでの合意(2006年9月)では、「2年間で1000人・内訳は看護師400人に、介護福祉士候補者600人」を受け入れるという内容でしたが、今年の最終選考時には「看護師200人」「介護福祉士候補者250人」という枠になりました。が、それも、日本側の受入れ施設が予想より大きく下回り、今回入国したのは約270人(273人?うち看護師78人?)ということです。
「看護師は3年以内」「介護福祉士候補者は4年以内」に、日本の国家資格を取得しなければならない、つまり、日本語の、しかも専門用語の多い国家試験に、一度のチャンスでパスしなければならない、という厳しい条件です。パスできなければ否応なくフィリピンに「帰国」となります。
フィリピン人看護師・介護福祉士候補者の受入れの経緯については、このブログの中でも何度か取り上げてきました。
http://blog.goo.ne.jp/isshin3_ph/c/1ae6f2406bb8beed3975d057ca1e19c3
私は、初め日比間の自由貿易協定・FTA協議の中で話題となり始めた2003年初め(フィリピンの新聞の記事を見た時)から、ずっと気になっていた事柄です。一時は、その合意事項の批准をめぐって、フィリピンでは批准反対の声が大勢でした。
看護学部の学生が、白衣姿で「Prevent us from being abused-私たちを、日本でアビュースされることから守って(防いで)…!」といったプラカードを手に、EPA批准反対を訴えて、ケソン市で集会を開く(2007年9月30日)、などといった事態も起きました。「be abused」は「虐待・酷使される、粗末に扱われる」といった意味です。日本語の国家試験合格や研修を義務付けた同協定を「国家資格を取得するまで日本人看護師の補助をさせられる。」とか「フィリピン人看護師をプロとしてではなく、商品と見なしている。」などと批判、上院に批准を見送るよう訴えたのです。協定の中の「有害廃棄物の日本からフィリピンへの無関税輸出」という内容に関しても、フィリピン国内ではかなりの反発があり、結局、最終的に批准されたのは、2008年の10月8日深夜のことでした。(協定の発効は12月。)
この、FTA(EPA)による人材の受入れという画期的な内容について両政府間で論議され始められたのは、フィリピンが初めての相手国でした。それから数年…、ようやくお互いが納得できる合意に至り、いわば何年越しかの恋(初めは相思相愛だった?)が、昨年来の世界的な経済・金融危機により、ずい分日本国内での事情が変わったため、お金がかかり、現場指導にも負担がかかり、また、せっかく育てても3~4年後には、そのほとんどが帰国せざるを得ないであろう外国人看護師・介護福祉士候補者を受け入れよう、という施設や病院が減るのは、自然な流れでしょう。失職した日本人を雇用した方が、受入れ側にとってはよりスムーズに、そして長期雇用も期待できるでしょうから…。
数千名という多くの応募者の中から選ばれ、今日、日本入国を果たしたフィリピン人看護師と介護福祉士候補者は、母の日に最大の親孝行ができたのではないかと、フィリピンの家庭事情をある程度知る私には…、うん、そう思えてなりません。
6か月間の日本語研修等を終えて、実際に医療・介護現場に入るのは10月末から11月上旬…。今年の、初めての日本での「クリスマス」が、彼ら、彼女らにとってどういったクリスマスになるのか、期待感を持って見守りたいと思っています。
今日は日本各地で真夏日の記録的な暑さ…。初めて成田に降り立ったフィリピン人にとっても、マニラに引けを取らないくらいの猛暑に、さぞ驚いたことだったでしょう。今夜は、思い切り泣いて、明日から、一日も早く「日本」に馴染んでくれることを祈ります。
「Good luck sayo!」(あなた方に幸あれ!)
<写真> バギオ市Lourdes Grotoの聖母マリア像
…「100段の階段」(下の写真)を上りつめた所に、この像があります。ちなみに、スロープも整備されていて、私もそこまで行くことができます。(訂正-「110段だそうです。…5月11日)
<関連記事>
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090510-OYT1T00672.htm?from=navr
ダバシューさんの身近にも、どなたかいらっしゃいますか?日本へ行った看護師かケアギヴァーの方…?
新しい環境への順応性が高いといわれるフィリピン人ですが、やはり心配…。
Good luck…と祈るのみですね。
(ダバシューさん、朝早いね^^;)