アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

たくましきかな、フィリピーナ!Good luck Jen!

2009-05-29 15:26:08 | フィリピン-バギオ

  昨年来、半年にわたって専従介護者として関わってくれた、看護課程出のジェンさんですが、当初の予定通り、先週イザベラ州カワヤンの実家に戻っていきました。今月末に、弟さんの結婚式があり、ずっとサウジアラビアで仕事をしているお父さんも帰ってきて、一か月ほど滞在されるそうです。家族に、巻き寿司に玉子巻etc.を作って、みんなを驚かせたと連絡がきました。そういえば、日本の味噌やカレーも買って行ったなあ…。お父さんは、彼女がまだ幼い時分からサウジに出稼ぎに出ていて、フィリピンには、休暇でたまに帰って来るだけだそうですが、彼女は明るく前向きで、マナーの良さにも好感が持てました。
 
ジェンさんはイザベラに戻った後、お父さんと相談のうえ、今後の身の振り方を決めるそうですが、おそらくまたマニラへ出て、お父さんの元、わりと行きやすいサウジの病院にアプライ(求職)するだろうと言います。フィリピンの看護資格を未取得でも、サウジに渡れば、2年間に3度、サウジの看護国家試験(英語)を受けることができ、合格すれば正看護師として、そこで働き続けることができるそうです。でも、お父さんは、彼女のサウジ行きにはずっと反対し続けているらしいです。お父さんの、複雑な心境が読み取れる気がします…。
 フィリピンの看護課程は通常4年間で、その学費だけでも日本円で100万円はかかると言います。彼女はもうすぐ27歳になりますが、その学費を負担してくれた家族、ジェンさんの場合はお父さんが彼女の進路についても大きな発言力を持つのが普通です。ハイスクールを卒業後、メディカルの課程を選んだ(選ぶように言われた)時点で、家族からの期待も大きいものとなるのです。
 別れ際、もし海外行きが難しくなったら、いつでも戻ってくるように伝えました。

<写真> 先日の「ジャパン・祭・デー」で折鶴作りに熱中するジェンさん…「グッド・ラック!」

 現在、病院勤務の知人(フィリピン人)から紹介してもらった二人の応募者に、二週間以内の試用期間を設け、ケアの練習をしてもらっています。一人は二十歳代の正看護師、もう一人は三十歳代の助産師です。
 私が練習で提供するのは、リフトを使ったベッドから車いす、車いすからベッドへの移乗の仕方、電動車椅子の扱い方、体位交換の仕方等で、通常一週間もすれば十分にできるようになります。でも、私が大切にしているのは、その期間にお互いの信頼関係がある程度築けるか(相手が信頼できるか)、またお互いが心地よく過ごせるか、といった点です。介護(ケア)の知識や技術等は、何日か過ごすうちに自然と身についてくるものです。

 そういえば、一年前半ほど前に、マニラでしばらく関わってくれたチャームさんという介護者…。大学の看護課程卒業後、すぐに6月の国家試験にパスし、正看護師になったものの、看護師過剰の国内事情で就職が厳しく、私がバギオに来る直前までパートタイムでケアに来てくれていました。そして、彼女が言っていた通り、それから数か月後、看護師の道を諦め、別の職種でドイツに渡りました。先日、ドイツでの元気そうな写真が数枚送られてきました。
 また、
彼女の前に、ほぼ二年前に日本からマニラに戻って来た時、一か月ほど私の介護に関わってくれた別の正看護師、ちょっとした問題が起きてすぐに辞めてもらいましたが、その彼女からも最近連絡があり、来月サウジアラビアの病院に行くとのことです。看護師としては優秀な人材でしたが、それでも、欧米行きは諦めざるを得なかったようです。サウジアラビアの病院の看護師としての月給は5~6万円と聞きます。欧米の約3分の1です。
(エッ?どうやって介護者を探すかって?それは、マニラでは何と言っても新聞広告で、ですよ。)

いつも思うけど「たくましきかな、フィリピーナ!」
(「フィリピーナ」は、女性、フィリピン人女性です。)

 ちなみに、バギオへ来た当初、時々車を運転してくれたレオさん(40歳・男性)も、やはり念願かなって、3週間前に、UAE(アラブ首長国連邦)のドュバイへと、料理関係の仕事で渡っていきました。

 それでも、みんな慣れない初めての土地で、当初は苦労の連続だと思います。その雇用契約期間中、違反があれば、違約金(ペナルティ)も取られます。彼らの、ご健康と幸運を祈りたいと思います。