コメント
 
 
 
おめでとうございます (kazuou)
2012-01-06 18:58:20
あけましておめでとうございます。
少し遅くなりましたが、ご挨拶まで。

「魂の文章術」面白そうな本ですね。文章読本は過去にいくつか読みましたが、著者によって主張が違いすぎて、正直あんまり参考になりません。「ひたすら書く」というのが、上達の早道なのかも…。
 
 
 
おめでとうございます (タナカ)
2012-01-06 23:27:10
あけましておめでとうございます。
お忙しいのにすいません。

「ひたすら書く」という目標を設定すると、さまざま困難が襲ってきます。気が乗らないとか、書くことがないとか、こんなことか書いたって仕方がないとか、バカみたいだとか。
「魂の文章術」は、著者がこの困難をいかに回避(乗り越えるのは不可能)しようとしたかというエセーとしても読めます。だから面白いし、再読が可能です。装いを改めて再版される文章読本なんて、ほんのひと握りだと思いますが、そのひと握りになっているのはこんな理由からではないかと思います。

ちなみに上記の困難に対しては、十時になったら書く(と自分にいいきかせる)とか、窓からさしこむ光について書いてみるとか、「書いたって仕方がない」なんて酔っ払いのたわごとだとか、私はバカだ文句あるかとか…。
創造力豊かな怠け心に対し、著者は懸命にやり返しています。
 
 
 
ぼくもまた (タナカ)
2012-02-14 21:06:11
「魂の文章術」にこんな一節がある。
著者がデトロイトの黒人ばかりの高校に、代用教員として教えにいったときのこと。
ろくに席にもつかない生徒にたいし、著者は自分の好きな詩を朗読した。
すると、生徒のひとりが、ラングストン・ヒューズの詩集を著者に押しつけてきた。
「これも読んでよ」
その日の授業は、リクエストのでた黒人作家の詩をみんなで朗読することに終始したそう。

その「ラングストン・ヒューズ詩集」(木島始訳 思潮社 1969)を、最近読んだ。
この本のなかから、「ぼくもまた」という詩をメモしておきたい。
ホイットマンの「草の葉」を念頭においた、こんな詩だ。

「ぼくもまた」

《ぼくもまた、
 アメリカをうたう。

 ぼくは色のくろい兄弟だ。
 お客がくると、
 台所で食事をしろと
 かれらはぼくを追いやるが、
 ぼくは笑い、
 よく飯をくい、
 強くなるんだ。

 明日は
 お客がきても、
 ぼくはテーブルに坐るんだ。
 きっとだれも、
 「おまえ台所で食事をしろ」と
 そのときあえて、
 言いうるものはいないだろう。

 そのうえ、
 かれらはどんなにぼくが立派かわかり、
 恥ずかしくさえおもうだろう、――

 ぼくもまた、
 アメリカなのだ。》

 
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