出典:https://www.voice.charity/events/112
青少年へのワクチン接種を停止せよという運動が全国的に広がってきました。最初は岡山県で始まった小さな動きでしたが、各地の地方紙などで取り上げられるようになってからは、だいぶ認知されてきているようです。
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ここに来て、政府もメディアも若者にシフトしてワクチン接種を進めることに躍起になっています。「若者が広く活動して、そこから感染が広がるから」というのは、一見正論のように聞こえますが、ちょっと考えたら矛盾だらけです。コロナは今やブレイクスルー感染(かっこつけだけの表現にしか聞こえず、危機感が感じられないのは相変わらずです)の頻発でワクチンを2度接種した人にも感染が拡大している現状を見れば、活動的な若者にどれだけ摂取しても意味がないということに気付きませんかね? それよりも重要なのは「無症状の陽性者からは感染しない」という事実を一切公表しないことではないでしょうか?
異物混入のモデルナワクチン接種で亡くなった2人に関しては「偶発的な事由」だそうです。亡くなった男性のお母様の悲痛な声は届いていないのでしょうかね? それとも彼らには人間の血が流れていない真の悪魔なのでしょうか?
「ワクチンさえ打っていなければ、今でも元気だったと思うと後悔の気持ちしかない」
この声を聞いても、モデルナワクチンの全出荷分をリコールするべき、という声がメディアのどこからも出てこないことには絶望感しかありません。そうまでしてワクチンを打って死の危険と対峙したいのか? 相手はウイルスであって、アドベンチャーの意味は全くありません。
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トップの広告を掲載した山陽新聞では少しずつ論調が変化してきました。各地の地方紙でも取り上げられつつあるので、地方でのワクチンに関する多くの疑問点や危機感は広がりを見せてくるでしょう。
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これが全国紙に掲載されれば、山が動くかも知れません。それを期待して待ちましょう。
貴方がワクチンを打ったとしても周りの人を守ることはできません。ワクチンを打った貴方が感染すると、周りの人を更に危険に陥れます。ワクチンは誰も守ってはくれません。命懸けで精神安定剤を接種する必要がありますか?
若者の接種会場での長蛇の列と密状態を見ていると、単に彼らは流行を追っているだけにしか見えません。それを喜んで報道するメディアは、もう完全に終わっています。
全国紙に掲載されることの意味は重大です。これまでのように「恐ろしい死のウイルス」という煽るだけの報道が収まっていくとともに、日本国内でワクチン接種によって多くの方が命を落としている事実が追及されるようになるでしょう。そういう全ての事実が少しずつ認知されるようになってきたところで、ワクチンを打つかどうかは自己判断に委ねられるのではないでしょうか? 今の偏った状況下で自己責任論を持ち出すことにあまり意味はありませんからね。
ワクチンを打つか、打たないかも・・・!?
国内でコロナで命を落とした人が、500万人とか1,000万人とかいうレベルのような煽り方で国を滅ぼそうとしている私利私欲に凝り固まった連中の言うことが、どれだけ出鱈目かということに気付く方が1人でも増えてくれることを心から願っています。
もちろん、ワクチン接種する、しないは個人の判断でよろしいかと思いますが、打つ自由とともに打たない自由がしっかりと保証されるようにならないと世界は滅亡しますよね。
米国で3回目の接種が始まったそうです。そもそも、あの国で2回接種した国民が半数に達していないのに、3回目を打つ意味がどこにありますか? 今こそ、盲目的に劇薬を身体に入れて安心したいという気持ちを捨てる時期だと思いますよ。
ワクチンは厚労省も医薬品とは認めていませんよね。彼らは全く責任を取ることはしないだろうし、補償もしないでしょう。そうやって「因果関係は認められない」として、無駄死にすることだけは避けたいところです。
判断は常に自分自身でしましょうね。
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