元・喪女のこづくり記録

喪女のお見合い記録でしたが結婚後、小作り記録に。H22.2に出産、未熟児で軽いPVL持ち男児。二人目希望でまた記録開始!

お願い、昼寝して

2010-08-23 22:25:41 | 子育て(6ヶ月~)
理太郎はあんまり昼寝してくれないんだよー
寝ても30分で起きちゃったりするんだよー

ひとり遊びは出来ないで泣きだす子なので、起きたらそばに付きっきり。
今日は
朝、豚の生姜焼き作ったところでタイムリミット。
昼、鮭を焼いたところでタイムリミット。

野菜食ってねぇ!

さらに旦那の弁当作る時間を捻出するのがシンドイ。
全部冷凍食品でもいいスか?
でもそうすっと、野菜が壊滅的にとれないんだよね。
ああ…そろそろおんぶ紐買うかなぁ。

生後半年

2010-08-17 23:34:51 | 子育て(6ヶ月~)
よく見に行ってた不妊ブログは出産と同時に終了ってことが多くて、
私もブログを止めるべきなのか?とちょっとだけ悩んだけど、
不妊症って騒ぐほどでもなかった子作り期間の短さだったので
あんまり気にせず続行とします。

さて、理太郎は生後半年経ちました。
予定日からの修正月齢では4ヵ月児です。

最近の理太郎は、
・お母さんの顔を見るといつもニッコリしてくれる
・お父さんにあやされてもニッコリ
・テンションが上がってくるとキャーーーッと甲高い叫び声をあげる
・たまーに「げへっげへっ」と笑う
・宇宙語での会話が大好き
 理「まうぁあ」
 母「うまぁ?」
 理「うきゃーあ」(大喜び)
・背中スイッチはまだまだ精密。抱っこで寝る→置く→泣く→抱っこで寝る→置く→泣く…
 今日はこれを4セットほどやったけど結局寝なかったので諦めて車で買い物行った。
・肌着の裾を持ってしゃぶる。毛布代わりのタオルもしゃぶる。当然自分の指もしゃぶりまくる。
・うつぶせは嫌いじゃないけど、長くやると顔の下によだれの海をつくる。
・授乳はおっぱいで2時間半~3時間おき
・夜は5時間くらい続けて寝ることもある。でも2時間おきに起きて口をチュパチュパいわせてることもある。
・頭の毛が薄い
・頭の形が壊滅的に悪い
・でべそはなおった

という感じ。
なんでも上手に握れるようになってきたけど、
おもちゃはまだおもちゃと認識出来ない模様。
ガラガラ持たせたら降るけど、それが楽しいとかウルサイとか何も感じてなさそう。
はやくおもちゃで遊んでくれるようになればいいなぁ…

はじめてのこそだて

2010-08-04 23:38:16 | 子育て(~5ヶ月)
息子の名前は旦那が考えてくれました。
画数重視です。いくつか候補を出され、その中で私の気に入った名前を取りました。
呼び辛いとか、堅苦しいとか言われたけど、私は良い名前だと思ってます。
理●くんです。●の部分は比較的よくある漢字が入ります。
理という漢字が好きだった私は、一目で気に入りました。
理論、理知、理解…インテリに憧れがあるのですな…

ということで息子を理太郎と書くことにします。

理太郎が退院して1カ月ほどは私の実家に帰省しました。
実家には私の父母と未婚の姉がいます。
母と姉がいて大助かり。
しょっちゅう抱っこしてもらったり、お薬を飲ませてもらったりしました。

理太郎は泣いても抱っこすればぴたりと泣きやむのでその点は有難いんですが
抱っこしないと寝ないので、腕が悲鳴を上げました。
しかも、3ヶ月コリックとかいうの?とにかく腸がコロコロとかグルッとか音を立てて動くと泣いて目を覚まします。
そのたびに抱っこで寝かしつけです。割と頻繁です。
背中スイッチもなかなか精密で、抱っこでやっと寝た―と思ってベッドに寝かすとふえ~と泣きだします。

実家に帰っていても、夜は私が一人で世話をしていたので、かなり寝不足になりました。
夜中の2時3時にずっと抱っこでゆらゆら1時間とか思いだしてもシンドイ。
若い時に産めば良いって言うのはホントだよな~とつくづく思いました。
体力がついていきません!

でも、2ヶ月くらいたったころ、お腹がコロコロ言って夜中に泣いて起きることが
なくなったことに気がつきました。
お腹が張ってしょっちゅうウンウン唸っていますが、眠気が勝るようになったのかな。

お母さんの顔を見て笑顔になったり、おしゃべりしてくれたり、
だんだん楽しいことが増えてきました。
これからおもちゃを握って遊ぶようになったり、寝返りやお座りが出来るようになったり
さらに楽しいことが待ってます。
動きまわるようになるまでが天国ですよね、きっとw


さて、7月の眼科の検査でも網膜症の進行はなく、安定しているので次は3ヶ月後に検査となりました。
内科の検診は1カ月おきですがね…。
でも検診いって、そこで会った未熟児のママさんとお話するのが案外楽しいので良いのだー。

GCU

2010-08-02 09:42:59 | NICU~GCUを経て退院まで
GCUに異動後は退院まで早いよーと看護士さんに言われ、
それまで何も用意してなかったのであわてて肌着やおくるみを通販しました。

保育器から出て嬉しかったのは抱っこし放題になったこと。
ほっぺチョンチョンやお手々にぎにぎも気楽にできるようになった!
沐浴や直母での授乳の練習も始まりました。
どんどん赤ちゃんに触れられるようになって嬉しかった。

ただ、それまでは1週間に3回程度しか通ってなかったんですが、
できるだけ長く、多く通うように言われ、一気に忙しくなりました。
直母での哺乳量をばらつきも含めて見たいので、2回続けて授乳できるように
だいたい4~5時間くらい病院に詰めます。
私は火曜日と金曜日に仕事を入れてたので、そのどちらかはお休みにして、
週5~6日通いました。
ガソリンが高くなっていたころできつかったなぁ。

ちょうどそのころ、引っ越しも決まっててんやわんや。
子供の退院がゴールデンウィーク開けと予想していて、そのゴールデンウィークに
引っ越し作業をしようと計画していたんだけど、
こどもの退院がもう1週間後だったので助かった!
ちょっと余裕をもって引っ越しと、退院前の準備ができました。
退院後は私は実家に帰ってたので、部屋の中はロクに片付いてません。
引っ越し後3カ月たったいまでもグチャグチャです。


息子の退院は5月16日になりました。
心配だった未熟児網膜症も落ち着いて1か月ごとの検査になりました。
だいたい3時間おきくらいの授乳で80~100ccの母乳を飲めるようになり、
GCUに移ってからコロコロと肥えて、退院する頃にはほっぺたが落ちそうなくらい
ポッチャリ赤ちゃんになりました。体重は3300gくらいでした。

貧血予防とクル病予防のお薬を毎日飲ませること。
ウンチは1日1回出るように、綿棒刺激や浣腸をしてあげること。
以上のことに気をつけて、退院です。

3ヶ月続いた通院生活もおしまい。
看護士さんに「長かったね」と言われ、忙しかった3ヶ月を思い出して泣けてしまいました。
看護士さんも釣られ泣き。

素敵な看護士さんたち、息子もいっぱい可愛がってもらって、
ほんとうにありがとうございました。お世話になりました。

NICU

2010-08-02 09:42:42 | NICU~GCUを経て退院まで
息子はNICUには2ヶ月近くいました。
口にチューブを入れ、そこから母乳を直接胃に送り込みます。
鼻には酸素マスク。
黄疸の放射線治療の為、目にはガーゼを当てています。
酸素マスクの固定の為に、頭に帽子をして、その防止にマスクの紐を通してあります。

そんな状態なので、酸素マスクが外れるまで子供の顔がほとんど分かりませんでした。

たくさんの赤ちゃんを並べて、「さあ、あなたの赤ちゃんはどれ?」と聞かれたら
絶対わからない自信がある、と旦那と話してました。

点滴は3つ。

本当に痛々しい姿です。
腕は私の指ほどの太さしかありませんでした。
このころの写真は、旦那の両親が「可哀想で見てられない」ってことで見てもらえなかったくらいです。
でも実際はいろいろごてごてついてるだけで、痛くて辛いのは点滴くらいなんですが。

母乳を飲む量は1ccから初めて
次の日には2cc、その次は4cc…と順調に増えていきました。
とにかく飲んで大きくなって欲しいので、哺乳量が増える度に拍手でお祝いです。

ただ、我が子は未熟児網膜症であったため、血管の急激な成長を抑える目的で
急激には哺乳量を増やさなかったようです。

未熟児網膜症てのは、目の血管が異常な方向に伸びて成長し、網膜を押し上げてしまうことで
網膜剥離を起こしてしまい、失明の危険がある病気…かな?
詳しい説明を受けましたが、ハッキリ理解してません…。
この血管をやっつけるレーザー治療も3回受け、今のところ安定しています。
未熟児網膜症が落ち着いたころに哺乳量も増えました。

黄疸治療の為の目のガーゼが外れて、ごくたまに目が開いているのを見ることができるようになり、
鼻の酸素マスクを外す頃にはNICUの卒業が近いと言われました。
酸素マスクを外して初めて赤ちゃんの顔の全貌が明らかに!
1ヶ月半ほどかかってようやく我が子の顔を見ることができました。

経口で哺乳瓶を使って飲むようになると、
オムツの交換や、哺乳瓶での哺乳などをさせてもらえるようになりました。
そしてようやくカンガルーケア。
ちっちゃくて軽い赤ちゃんが胸の上に乗って「あ…あ…」と小さな声でお話ししています。
なんともいたいけで涙が滲みました。

酸素マスクを外したことで顔のむくみが取れて、ほとんど閉じっぱなしだった目が
良く開くようになりました。
垂れ目です。
息子は人の良さそうな、害のまったくなさそうな、平和な顔の赤ちゃんでした。
NICUの看護士さんには癒し系と言われ可愛がっていただきました。
(これはGCUに行っても言われました。垂れ目効果でしょうか?)

会る日、面会に行くと、
「明日新しい未熟児の赤ちゃんが入ってくるので息子くんはGCUに行きますね」
と言われました。
というわけでNICUは追い出し式での卒業でしたw
体重は2100g前後だったようです。


出産まとめ

2010-08-02 09:42:19 | 出産まとめ
超久しぶりの更新です。
私の退院後、時間的に余裕ができるかと思っていましたが、
そんなことはなかったぜ。

実家ではパソコンで細かい字を見ちゃダメだとチクチク言われ、
アパートに帰ればそれなりに忙しく…。

そんなこんなで産後5ヶ月が経ってしまいました。
赤ちゃんは元気ですが、やっぱり手がかかるもんですね。


さて、簡単にこれまでの経過をまとめておきます。

出産については前に経過を書いてますがもう一度。



2月15日に妊婦検診に行き、前よりも胎動が弱いことを告げると
一応ということでNSTをつけて検査。
どうもおかしい、胎児の心拍が時々ひどく弱くなる。
そのまま救急車で大学病院に搬送。
お腹の張りが来ないときは安定しているため一晩様子を見て、
そのまま持ちそうなら産まずに引き延ばす、という話でしたが、
夜明けに断続的にきた張りで胎児の心拍も弱くなり、
やはり無理だということで16日に帝王切開で出産となりました。

手術は生まれて初めてのことだったので怖いながらも興味津津ではありましたが、
それどころじゃないっていう焦燥感もあって、
頭の中はあんまり冷静じゃなかったです。

手術は問題なく進み、29週で1000gあるかないかの赤ちゃんは
取り上げられたときに声を上げて泣きました。
そうかー、こんなに早く生まれても泣くんだなーと感心したのを覚えてます。
すぐに枕元に連れてきて会わせてくれました。
なんだかよくわからない気持ちだったけど、涙がじんわり滲みました。
本格的に泣いてしまったら手術中だし怖いんで、ぐっと我慢。
縫合するときになんとなく痛かったので麻酔を増やしてもらいましたが
不満はそのぐらいだけで、あっさり手術は終了しました。

手術後に痛くてしんどいって人も多いようですが、
私は麻酔が良く効いてあまり痛みも感じず、
次の日には車椅子でNICUへ産まれた子に会いに行っています。
正直、痛さよりも痒さのほうがきつかった。
麻酔のせいで体が痒くなる人がいるそうで、私もそうだったみたい。

回復が早くなるのでとにかく動いて下さいってなことで、
搾乳の合間に歩いたり昼寝したりしてました。

退院は術後7日目でした。

赤ちゃんに飲ませる母乳は、搾乳器で搾乳し、NICUへ届けていました。
入院中は楽々だった母乳のお届けも、退院後は自宅から車で持っていくことになります。
車で片道約45分くらい。
大変だーと思うけど、片道1時間以上のお母さんとかもいたし、
これくらいで泣き言言っててはいけませんね。


ところで早産の原因がなんだったのかと言うと、
まあ妊娠中の不摂生もあったんじゃないかと思わなくもないですが、
いわゆる 不育症 なんだそうです。
なんとか12因子ってやつが血液検査の結果、異常値だったそうで…。
次の妊娠では毎日注射をしないといけないそうですよ。
胎盤ボロボロだったんだってさ…。もう一週間遅かったら多分死産だったって。
ホントにいい時に検診に行けて、うまく出産できて良かったと思います。
産婦人科の先生に感謝!ですね。
(後日、菓子折り持って妊婦検診の時のお金払いにいってきました。)