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『いそべ会』のブログ
―学生時代仲間のコミュニケーション広場―

称徳天皇

2010年06月25日 | ぬまごろうのページ

                                  
   “将門は ちんがふとくと へらず口”
新皇と称した将門様では不敬罪にはならないでしょう。
   “道鏡は座ると膝が三つ出来”
    
“道鏡に根まで入れろと 詔”
     
“道鏡に崩御崩御と称徳言い”
これになると完全に不敬罪。不敬罪がなくてよかった。江戸時代も徳川を謗れば罰せられたが、天皇家に対しては別段問題がなかったようである。
さて、諸兄、称徳天皇と道鏡の関係をどう見るか。
“称徳と道鏡は愛人関係にあり、その上、称徳は道鏡を天皇にしようとしたトンデモナイ天皇。和気清麻呂によって辛うじて防ぐことが出来、万系一世を守ることが出来た”と教えられてきた。近くに伊勢神宮があるのに、何故、わざわざ、九州の宇佐八幡宮まで出掛けたのかも疑問に残るが・・・。宇佐八幡宮の御神託の確認か?
称徳天皇は数少ない女性天皇、しかも、皇太子として任じられた初の女性皇太子。聖武天皇と光明皇后との間の姫皇子=安倍内親王。兄弟として同腹の基皇子がいたが一歳で亡くなった。異腹の姫皇子は一人いたが、同腹では一人っ子。聖武天皇の後、考謙天皇として即位したものの、実権は光明皇后が握り、“藤三娘”と称した皇后は出身の藤原家が第一、中でも藤原仲麻呂を重用した。この仲麻呂君、これをよいことに、自分の息子の未亡人を大炊王に嫁がせ、淳仁天皇として即位させた。そればかりでなく天皇の特権である貨幣鋳造権、租税徴収権までも手に入れた。正に天皇の振る舞い。これでは堪らないと考謙天皇は悔しがること、口惜しがること。そこで、道鏡と吉備真備という当代の秀才を育て上げた。光明皇后の死をキッカケに考謙天皇は淳仁天皇を廃帝し、道鏡、真備を支えに、唐の黄布の乱等による弱体化に便乗して新羅侵攻まで考えた仲麻呂の乱を鎮圧、称徳天皇として返り咲いた
この称徳天皇、中国にかぶれており、自らを“宝字考謙称徳皇帝 ”と名乗ったそうだ。“天皇 ”は天照大神の子孫しかなれない、万系一世。儒教によれば、“皇帝 ”は易姓革命による“”のある人物に対する禅譲が許される。藤原家出身にも拘らず、藤原家に嫌気がさし、正に思想的に飛んでいる女性=称徳天皇は、“”のある人物道鏡に皇帝の座を譲りたくなったのであります。決してけっして、称徳天皇と道鏡は乱倫の関係にあったのではありません。
ちなみに菅原道真は、道鏡の“”と吉備真備の“”から採ったそうであるとのことです。真偽のほどはわかりませんが、このようなことからも、決して称徳天皇と道鏡との間はエロティックな関係ではなく、真面目な、真面目な関係であったようです。
戦後でもアメリカ一辺倒、中国一辺倒、ソビエット一辺倒の○○カブレ型の強烈な潔癖主義思想の持ち主の女性闘争家が現れましたが、称徳天皇もこのタイプであったかもしれません。称徳天皇様お許しあれ・・・尊敬していますから。
                                                    
ぬまごろう

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2 コメント

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称徳天皇 (マル)
2010-06-26 08:49:37
称徳天皇と道鏡についての面白いお話。まさに逆説の日本史ですが、もしかしたら井沢元彦氏のご高説でしょうか。勉強になりました。
歴史 (uorogamun)
2010-06-26 09:17:26
マルさん
井沢元彦氏の説です。氏は、梅原先生の説に感動し、日本の歴史を怨霊と怨霊の鎮魂をベースに展開しています。梅原先生の著作と井沢氏の著作は全く同様であります。歴史の教科書、歴史学者では味わえない本物の歴史を教えてくれます。ぬまごろうも梅原先生、梅原先生の影響を受けた井沢氏の著作に感銘を受けています。現代すら、日本人のDNAに刷り込まれた遺伝子(怨霊、怨霊鎮魂、タタリ、祖先崇拝、言霊等々)が政治を始めとして文化、経済を動かしえいると思えるほどです。梅原先生の著作はヤヤコシイ、難しいところもありますが、井沢氏の著作は分かりやすい、読みやすい。逆説の日本史は週刊ポストの連載ぐらいですから。特に古代史関連が面白い、逆接の日本史ということになると三巻あるいは四巻目ぐらいまでか・・・もし、お読みになっていないとすれば一読を薦めます。

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