答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

あまのじゃく、『「あまのじゃく」に考える』(平川克美)を読む

2016年12月31日 | 読む(たまに)観る

2016年末、思うところあり、毎朝早く起きている。わざわざ目覚ましをセットし、早く起きている。

冬の朝、早く起きるのは少々つらい。布団の温もりから脱け出すには、いくばくなの決心が必要だ。休みの日となればなおさらである。

「寝てても別にいいじゃないか」と煮え切らないおのれに喝を入れ、今朝も起きる。起きて、きのうから読みかけていた『「あまのじゃく」に考える』(平川克美)を読む。

あまのじゃくのオジさん、『「あまのじゃく」に考える』を読むの巻である。

 

「あまのじゃく」に考える
平川克美
三笠書房

 

平川さんいわく、

 

あまのじゃくな思考というのは、みんながAだと言っているときに、おれはBだと言うことではないんだということです。(Kindle版、位置No.752)

AでもBでもないっていうところからものを見る、そのような思考を獲得することが、あまのじゃくという考えなんだろうと思うのです。(No.758)

あまのじゃくに考えるということは、まさに「徹底的に考える」ということであり、そのために「異端」となり、「異物」になっていくことに耐えるということです。

先にご紹介した立教大学総長の卒業メッセージにあった、「同時代との齟齬」を生きるということに他なりません。(No.764)

 

あゝ、われ未だ「あまのじゃく」たりえず。

 

 

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ぼくと彼女と根津甚八

2016年12月30日 | ちょっと考えたこと

12月29日、根津甚八が69歳で死去。

今年の5月、わたしは、『1984年のボブ・マーリー』というタイトルでこんなことを書いた。少し加筆修正して再掲する。

 

今から30ウン年前、当時つきあい始めた彼女の部屋に初めて行ったときのことだ。

レコード棚にボブ・マーリィ&ウェイラーズのアルバムが何枚かあるのを目ざとく発見したわたしは、身近にそんな音楽を聴いてる女性などいなかったもんだから、少しばかり驚きつつ、

「お、君、ええセンスしてるやないの」と目を細めてつぶやいた。

それから遡ること数ヶ月前、初めてのデートで買わされた猫のぬいぐるみに彼女が即座につけた名前は「大吉」。「変な名前やなあ」と笑った記憶がある。

あとから聞けばなんのことはない。当時彼女が大好きだった根津甚八が飼っていた猫の名前が大吉で、根津甚八が好きなミュージシャンだからという理由でボブ・マーリーを聴いていただけ。それに気づいたのは、それから何年も経ってからのことだった。

 

♪ ゲラップ スダンダップ

 スタンダッ フォー ユァライ ♪


あれから30ウン年

アラロクになった彼女を横目で見ながら

かの名曲"Get Up,Stand Up"のメロディーを口ずさむオジさんなのである。


 

Bob Marley - Get up, stand up 1980

 

  

こちらは出世作『黄金の日日」の根津甚八。

シュッとして格好がいい。



以上、ぼくと彼女と根津甚八の想い出。 

合掌。 



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アラ還の赤いジャンパー

2016年12月29日 | ちょっと考えたこと

 

仕事納めのきのう、配布された新しいジャンパー。

グレー、ネイビー、赤と3種類からの選択制で、「赤、人気がありますよ」という言葉に乗せられて、ふだん身につけるものに赤系という選択肢はほとんどないわたしは、やや躊躇しながら赤を選んだ。さっそく着てみる。そして自撮りする。

「ん?まさか還暦の祝いじゃあるまいな」と訝りつつ、「ふ~ん、けっこう似合ってるじゃないか」と独りごちる。

昨今は、満60歳になったそのときが還暦だという向きが多いようだが、もとはと言えば数え年の61歳を指して暦がひと回りするから還暦。年が明けると皆いっせいに齢をとる勘定からいけば、「もういくつねると」である。だが、まあいい。ここは今風の数え方を採用し、還暦まであと1年、いわゆる「アラ還」ということにしておこう。

1日遡っておととい。少人数のセミナーに参加し、評定点アップをからめたコンクリートの品質管理などなどについてお勉強。その講師の話を聴くのは都合3度目だが、また新たな発見があった。同じ内容でも、時を経て聴けば違った受け取り方ができることは往々にしてある。要は受信するアンテナ次第だ。受け手のアンテナがヴァージョンアップしていれば、違う学びが起動する。

発信する側の講師も、かつてと同じではない。明らかにグレードアップしたその内容に、思わず「すごいですねえ」と感嘆してしまうわたしだった。

土木技術者にとってもっとも大切なものは感受性。そして経験と勘。勘とは、つちかってきた経験とそこから得てきた知識をベースにした勘である。とはいえ、ある場所ある位置ある段階に居着いてしまうと、そこでゲームセット。

 

「まだまだ走りつづけるもんね」

 

赤いジャンパーにそう誓うオジさんも来年は年男。

「走りつづける」ならいいが「バタバタしつづける」にならぬよう、そこはそれ、年相応の落ち着きも必要だ。

年齢相応と年齢不相応を融合させながら生きていかないかぎり、アラ還の俺たちに明日はない。

ところで・・・

あしたはどっちだ? 

 

 

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ホテルのレストランで生徒を立たせ自分は朝メシを食いながら説教する教員を見たこと

2016年12月28日 | ちょっと考えたこと

きのうの朝、お城下で泊まったホテルのレストランでの出来事。

メシを食う二人の大人(男)の脇で立たされている男の子たち(これまた二人)。手には朝食券が握られている。そういえば、中学生のスポーツクラブとおぼしき団体が大挙泊まっていた。まちがいなく、教員(監督と部長か)が生徒に説教をしている、の図だ。大人の片割れの正面(子どもたちにとっては側面)に座り、見るとはなしに見ながらメシを食い始めるわたし。すぐにある疑問が湧いてきて、その疑問がどんどん怒りに変わっていった。

その大人たちは、ときに握り飯を頬張りながら、ときに味噌汁をすすりながら、つまり、食いながら説教をしているのである。

どんな事情があるのかは知らない。だが、どんどんと増幅するわたしの怒りは、彼らが公衆の面前(しかも朝のレストラン)で立たされて叱られなければならない「事情」とは関係がないし、斟酌する必要もない。

 

叱るなら食うな。

食うならば叱るな。

食うならば食え。

食ったあとで如かれ。

百歩譲って、食いながら叱るなら相手にも食わせてやれ。

何より、時と場所をわきまえろ。

 

そんなふうに思いながらメシを食うわたしの顔は、たぶん怒気を含んでいたのだろう。正面の男がチラチラわたしのほうを見始める。

「言ってやるか?」

ファイティングポーズをとろうと思った瞬間、公開処刑が終わる気配を見せた。

ほっと安堵の表情を浮かべて二言三言話す少年。

と、何かが大人の癇に障ったようだ。

また、ぐじぐじと始まる。

その間も箸は止まらない。

そんな大人たちがほぼ食い終わろうかというころ、ようやく説教が終わり、ほどなくわたしの朝食も終了。子どもたち二人の脇を通り返却口へ向かうわたしが、ちらりと彼らを見ると、屈託がない顔でメシを食い始めていた。

 

あの説教は、あの子たちにどんな効果をもたらしたのだろう。

そんなことを考えながらエレベーターに乗り込む。

自戒をしつつ。

 

 

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JAF待ちな朝

2016年12月27日 | ちょっと考えたこと

昨夜、沖縄から来た知人とお城下で一献。

朝、今日の「お勉強会場」へ向かおうとパーキングへやってくると、愛車マルモッタン号のバッテリーがあがっていた。

ということで、土佐の高知のお城下でJAF待ちな朝、しょうがないから本でも読もうかと、読みかけていた『日々是修行 現代人のための仏教100話』(佐々木閑)を開く。

 

日々是修行 現代人のための仏教100話 (ちくま新書)
佐々木閑
筑摩書房

 

第37話はこんな話だ。

著者の高校時代の担任教員は、「朝は学生より早く来てトイレを磨き、愉快な授業をして熱心に進路指導して、大学受験の時は駅まで見送りに」来てくれる「いい先生」だったという。

その先生が亡くなったあとに開かれた同窓会。

一人ひとりが師から受けた恩について披露し始めた。普通なら、それぞれが「そういえばそんなこともあった」と懐かしがるところを、一つひとつの話の中身がみんな違っていたというのである。

 

進路の悩み、家庭の事情、就職、結婚・・・先生が一人一人の人生を見守り、大切に慈しんでくれていたことを知り、「そんなことまでしてくれていたのか」と一堂のみなが驚いた。それぞれ「自分こそが誰よりもお世話になった」と思っていたのに、話しをしてみると、じつは全員がそう思っていたのである。しかも、先生はそれを誰にも言わなかった。

 

『断片を積み上げたとき初めて』というその話はこんなふうに締めくくられている。

 

人の偉さは、一時の華々しさではなく、日々の誠実さを一つずつ積み上げていく、その確固とした道程に現れるのである。

 

思いがけない「JAF待ち」が、いい話しをプレゼントしてくれた。

道程はるかなり。

せめて爪の垢でも・・・

 
 
 

 

 

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『ショボクレ人生』( ハナ肇とクレージーキャッツ)を歌いながら出勤する

2016年12月26日 | ちょっと考えたこと

相変わらず、アチラコチラへ移動の車中でクレージーキャッツを聴いている。

 

結成50周年 クレイジーキャッツ コンプリートシングルス HONDARA盤
 
EMIミュージック・ジャパン

 

今朝はいきなり『ショボクレ人生』がかかり、笑った。

 

借りた定期券で ビクビク乗って

隣の新聞 横からのぞき

混むのをさいわい 女の娘(こ)にさわり

他人(ひと)のズボンで 靴磨く

 

みっともないからおよしなさい

もっとでかいこと なぜできぬ

(ショボクレたことすんな このヤロー)

 

会社に着くまでの10分間、繰り返し繰り返し聴く。

特に繰り返し出てくる※の部分が笑える(泣ける)。

 

♪ ハ、みっともないからおよしなさい

もっとでっかいこと な~ぜで~き~ぬ~ ♪

(ショボクレたことすんな このヤロー)

 

唱和するとカタルシスを覚える。

そして、また笑えて(泣けて)、あげく元気になる。

なんとも不思議な歌である。

(オマエが不思議なんだよ、という指摘は受けつけません)

 

 

ショボクレ人生 ハナ肇とクレージーキャッツ

 

 

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一瞬の記憶

2016年12月25日 | ちょっと考えたこと

『日々是修行 現代人のための仏教100話』(佐々木閑)の第五話に『瞑想と自転車は似ている』という話がある。

読むなり「ああ、これやこれ」と感激した。周りの人が自転車にスイスイ乗っているのを見て、自分も乗ってみようとすると、当然のことながら最初はうまくいかない。という誰しもが体験しただろうあの時を思い起こしながら読んでほしい。

 

日々是修行 現代人のための仏教100話 (ちくま新書)
佐々木閑
筑摩書房

 

そして、ころんですりむいて泣いたりする。「どう考えても、車輪ふたつで倒れずにまっすぐ走れるはずがない」とくじけそうになる。しかし同じ動作を何度も繰り返すうちに、なんとなくコツがつかめてくる。そして、一瞬だが、すうーっと走れる瞬間が訪れる。

「あ、乗れた」と思うのだが、すぐにまた倒れる。だが、その一瞬の記憶は鮮明だ。その、心浮き立つような瞬間をもう一度味わいたくて、練習に一層力が入る。

すると、その「すうーっと走る」経験がごく自然に続くようになる。ついには、倒れることなく、走りたい時にいくらでも走れるようになる。走りたければ走り、やめたければやめる。こうして人は、自転車という道具を、自分の身体の一部のようにしていく。新たな能力の獲得である。

修行者が瞑想に入って精神を集中させていく過程は、これとそっくりだ。

(Kindle版位置No.274~281)

 

「修行者がうんぬん」というくだりがどうなのか、さすがに門外漢のわたしにはわからない。しかし、「一瞬だが、すうーっと走れる瞬間が訪れる」という体感と「その、心浮き立つような瞬間をもう一度味わいたくて」という気持ちは、今でも鮮明に残っている。ささやかな、本当にささやかな成功体験だ。人はこうやって、ささやかな成功体験を自分の身体に入れ、新たな能力を獲得し、その繰り返しが成長につながるという、普遍的かつ本質的な喩えである。


「ああ、これやこれ。ある時期からのワシの人生、結局こういうことやったんや」

一瞬だが、すうーっと走れる瞬間

 ↓

「あ、乗れた」と思うのだが、すぐにまた倒れる。

 ↓

その、心浮き立つような瞬間をもう一度味わいたくて、練習

 ↓

「すうーっと走る」経験がごく自然に続くようになる 

 

もちろん、そうそう上手くいく場合ばかりであろうはずもなく、挫折してしまうことも往々にしてあるのだが、そんなことはなかったことにして上手くいった体験だけを身体感覚として蓄え、「やればできる」と自分に思い込ませる。そうやってステップアップしながら今に至っている。


「よし、これいただき!」

羽田発新潟行きの機中、そう決めたわたしは、当日のプレゼンテーションでさっそく使わせてもらった。もちろん、いかにも自分自身のオリジナルであるかのような顔をしてである。

だが、所詮は付け焼き刃。

いまひとつ消化不良のアウトプット。

反応もイマイチだったような気がする。

ということで4日経った今日の「子ども太鼓教室」。またまた使わせてもらった。もちろん、今日も自分自身のオリジナルであるかのような顔をしてである。

だが、またしても消化不良のアウトプットは、イマイチ説得力に欠けたようだ。

しかし、めげずに使っていこうと思う。

そのうち、こなれて来る。

たぶんそうだ。

いや、きっとそうだ。

なんとなればこれは、れっきとしたパクリではあるけれど、わたし自身の体感に違いないから。



 

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カーナビゲーション

2016年12月24日 | ちょっと考えたこと

17年乗ったマイカーを替えることにした。

替えるついでにカーナビゲーションを搭載することにした。

いささか遅きに過ぎたが、とうとう文明の利器の導入だ。

それに不満なのが、嫁いた娘とその旦那なのである。

いたくショックを受けたという。今まで言ってきたことと違うではないか、というのだ。

今まで言ってきたこととはこうらしい。

「カーナビは人を堕落させる。あんなもんに頼っていると人間が持っている勘が働かなくなる。」

たしかに、折りにふれそう言ってきたのは間違いない。それどころか、今の今でもそう信じている。

だが・・・

ま、それほど頑なにならなくてもいいではないか。だからこう言い放ってやった。

「便利なものは使うたらえい。これからはオレは使うよ」

「え~信じられん~」

なんでも彼女らは、その言葉にいたく感じ入り、極力ナビは使わないようにしているのだという。

けっこうなことである。

そして、なんだか少し申しわけなくもある。

だが、歳々年々人同じからず。

これがわたしのわたしたる所以。

うん、これでいいのだ。


 

 

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今を知る

2016年12月23日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

講師を招いて社内研修を行う。お題はマル秘。「Webで晒す」という世界に進んで身を置くわたしとはいえ、書けないことは山ほどある。

締めくくりに、こんな言葉をもらった。

 

「みんなここ(の会社)を目指しているんですよ」

 

思わず背筋が伸びた。

少々大げさな表現ではあるが、当たらずといえども遠からずなのだろう。

自分たちのことを「たいしたことがない」と思うのはかまわない。

だが、「けっこうイケてる」部分を理解したうえで言う「たいしたことがない」と、それがわからずに口をついて出る「たいしたことがない」では月とスッポン雲と泥。前者のことは謙虚というが、後者は自分自身の価値や現在地を理解していない、もしくは理解しようとしていないに過ぎない。

もちろん過信は厳に戒めなければならない。だが、このチームが成果を上げつづけているという事実は、誰がどこからどう見ても疑いようがないことだ。となれば、「なぜできたか。なぜできているか」を理解しようとせずに漫然とそこにいることは、怠慢でしかない。

過去を振り返り、今を知らなければ、明日はひらけないのだ。

 

てなことを考える朝、今日も今日とて、徳島県からお客さんがやってくる。

かくいうわたしとて、会社や現場を他人さまに見せるのは、気恥ずかしい気持ちのほうが強い。できればそのようなことはしたくない。

しかし、他人さまに何かを与えるという出力行為からは、何らかのフィードバックが必ず得られるものだ。

それもまた、「過去を知る、今を知る、明日をひらく」というプロセスにおいて、とても有用な試みのひとつなのである。


(ホントに「たいしたことない」んですケド・・^^;)

 

 

 

 

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『日々是修行 現代人のための仏教100話』を読む

2016年12月22日 | 読む(たまに)観る

 

今年初めて見る雪をちらちら眺めながら年の瀬の新潟遠征。

お供に指名したのはこれ。

 

日々是修行 現代人のための仏教100話 (ちくま新書)
佐々木閑
筑摩書房

 

 

別のわたしが頭上から笑う。

「その頭にその書、オマエどう見てもそっちの人にしか見えんぞ」

 

それは一言で言えば「修行」である。誠実に勤め励むことに人生の価値を見いだす。それが仏教の本義である。

間違うこともある、失敗することもある。だが、間違ったら直せばよいし、失敗したらやり直せばよい。ともかく、日々の努力なくしては何も始まらない。そうやって日々、迷い考えながら正しい方向を求めて努力していく。そこに仏教が目指す生き方がある。仏教は、私のぐるぐる回りの人生にも、「それでもいいのだ」と太鼓判を押してくれる。(Kindle版位置No.225)

 

今回の遠征先は村上市。

そういえば・・・

仙台在住のころ、こんなルートで新潟に来たことがある。

 

 

当時在籍していた会社の連日連夜ほぼ休日なしの業務に疲れ果てていたわたしは、とある幹部からミスを叱責され問い詰められ、「そんなにエラそうにゆうんやったらオマエがやれや」と逆ギレし、ひとり向かった先はなぜか新潟(たぶん日本海を目指した)。

「もう戻れんわな」と覚悟を決め、とりあえずあの人にだけは謝っておこうと、新潟駅前の公衆電話から直属の上司に連絡した

「すいませんでした」と謝るわたしに、

彼が返した言葉は、

「金はあるか?」

予想もしない反応に返す言葉もなく、「はい」とだけ答え、受話器を置いたあと泣いた。

1983年、33年前の夏である。

 

 

ことほど左様、色んな人に助けられてきた「ぐるぐる回りの人生」。

気がつけば、ひとりで大きくなったような顔をして生きている。

バカは死ななきゃ治らない。いや、たぶん死んでも治らない。

となれば、

間違うこともある、失敗することもある。だが、間違ったら直せばよいし、失敗したらやり直せばよい。ともかく、日々の努力なくしては何も始まらない。そうやって日々、迷い考えながら正しい方向を求めて努力していく。」

これしかないのだわ(たぶん)。

 

 

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