答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

『最強伝説 黒沢』(福本伸行)を読む

2015年12月31日 | 読む(たまに)観る

  

 

当ブログの読者さんなら、もうお馴染みの「ここで見せろ!!!土木の力っ!!!」。

福本伸行さん描くところのこのキャラクターが、『最強伝説 黒沢』というマンガの主人公だということを初めて知った。

知ったとあらば、素通り、いや知らんぷりをするわけにはいかない。

ということで、『最強伝説 黒沢』を読む。

 

最強伝説 黒沢 1

福本伸行

フクモトプロ/highstone, Inc.

 

最強伝説 黒沢 2

福本伸行

フクモトプロ/highstone, Inc.

 

最強伝説 黒沢 3

福本伸行

フクモトプロ/highstone, Inc.

 

最強伝説 黒沢 4

福本伸行

フクモトプロ/highstone, Inc.

 

最強伝説 黒沢 5

福本伸行

フクモトプロ/highstone, Inc.

 

まだ5巻までしか読んでないが、「黒沢」というのがどんなキャラクターか、とりあえずはよくわかった。
(物語はまだまだこれから佳境に入るようですが) 

そして、

 

 

このイラストに、ますます愛着が湧いてきたのだよ。



やるっ…!
でもやる…!
ここでやめたら…
底なしだ…!
俺は底なしに自分が嫌いになる……!
だから… やるっ…!

(『最強伝説 黒沢 3』より)



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みそか

2015年12月30日 | ちょっと考えたこと

今日から会社は正月休み。わたしはといえば、年明けから年度末までに手持ちの工事をどうやって捌くか、静かな社内で独り算段中。

ちょっとひと休みして外へ出ると、意外に暖かい。陽だまりの花を見ていると、さっきまでの乱戦模様の頭のなかとは違い、の~んびりとした気分になってきた。そのギャップが可笑しくて、思わず苦笑い。

ふと、土佐日記の一節を思い浮かべた。

 

ただ日の経ぬる数を、けふ幾日(いくか)、二十日、三十日(みそか)と数ふれば、指(および)もそこなはれぬべし。いとわびし。


[現代語訳]

ただ日数が過ぎたのを、今日で何日、二十日、三十日と数えるので、指も痛めてしまいそうだ。とても辛い。(『古典に親しむ ~土佐日記~』より)


何度指折り数えてみたところで、月日は暦どおりにやってきて、そして過ぎて行く。長くもならなければ短くもならない。その決められた時間のなかで段取りをするのがわたしの仕事だ。焦ることなく、努めて冷静に、頭のなかをクリアにして考えていると、その時どきの最適解(のようなもの)が見つかるもんだ。

とはいえその最適だと思われた解も、実践段階となると、正解ではなかったり状況にフィットしなかったりで、見直さなければならなくなってくることがしょっちゅうだ。留まることなく滞ることなく、それを繰り返す。その繰り返しのなかから「引き出し」が生まれる。その「引き出し」(の数とバリエーションの多さ)が武器である。

 

なんてことをぼんやりと考えていたとき、ブリをもらった。

きのうは鯨を食った。酒は新潟白瀧酒造の「魚沼」である。

今日はブリだ。酒は・・・・よし、土佐鶴の純米新酒にしよう。

てなことを思い浮かべていたら、思わず喉が鳴った。

まったく、呑んべというやつは

どうしようもないもんだ。

 



 

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触媒として

2015年12月29日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

触媒(三省堂、大辞林より)

それ自身変化をしないが,他の物質化学反応なかだちとなって,反応速度速めたり遅らせたりする物質。 


触媒としてある。そんなことを実感したとき、自身が存在する意義を強く感じることがある。

「それ自身は変化をしない」という意味では、ブレまくり変わりつづけるわたしはチト違うのだろうが、「他の物質の化学反応のなかだち」、つまり「人と人とが出会いを通じて化学反応を起こし進化していくための”なかだち”」としての「触媒」たり得たとき、大きな喜びを感じるのだ。

そんなわたしにとって、この上なくうれしい便りが届いた。12月7日の拙稿、『それぞれの「土木のチカラ」』で紹介した一二三北路株式会社豊平川水管橋作業所からである。

詳細は『寿建設社長のブログ』に譲る。

→ http://ameblo.jp/kotobuki5430511/entry-12111372143.html

御用とお急ぎでないかたは、いや御用やお急ぎであったとしても、ぜひ読んでいただきたい。

折しも、便りが届いたきのうは、会社の仕事納めでボーナス支給日。ありがたい日に、うれしい便り。

触媒たり得た喜びに、ひとりニンマリするオジさんなのだった。

 

 

 

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つなぐを造る土木屋のしごと

2015年12月28日 | 土木の仕事

 

「つなぐを造る」

見るなり思わずグッと来てしまった。

とても素敵な惹句である。

仕掛け人は「北陸建設界の担い手確保・育成推進協議会」(かな?)

「離職者の増加や若年入職者の現象等の厳しい状況」をつくったのは、「これまで建設界全体として発信することや建設界に対する好印象を醸成することが、うまくできなかったことも主因の一つ」だとし、建設界の担い手不足に対し、「産学官が一体となって取り組みを推進していく」ためのプラットフォームとして設立されたもの。

詳しくはコチラ→http://www.hrr.mlit.go.jp/Leaders/index.html

そしてくだんのリーフレットは、その活動の一環として新潟大学で行われる「建設業界説明会」のためにつくられたもののようだ。

「つなぐ」

もっとも端的なのは道路である。道は場所と場所をつなぐと同時に「人と人とをつなぐ」ものだ。だが、「つなぐ」のは何も道路工事に限らない。「土木」が、人々の普通の暮らしを下支えするものであることを踏まえると、「土木」自体が「人と人とをつなぐ」ものだと、わたしは思っている。そしてその構成員たるわたしたちは「つなぐ」をつくっている。

「つなぐを造る土木屋のしごと」

読み返してまたグッと来た。

 

話は回り道をする。58歳になった。フェイスブックで多くの方からお祝いのメッセージをいただいた。

「何がめでたいのかようわからんけど」と親戚に返信すると、「生誕したことを本人以外が感じてくれて感謝できる日」だから「めでたい」のだという。それでもまだよくわからないが、何にしても、齢耳順に届きかけたこのオヤジに、生身であればいかほどの人が「おめでとう」などと言ってくれるのかを思えば、SNSというやつも、アレはアレでありがたい場所だと思いつつ、メッセージをくれた皆さんに感謝しきりのわたしである。

そのなかのひとつ、土木屋の大先輩からのメッセージはこうだ。

 「お誕生日おめでとう。話術にますます磨きをかけてください」

「わ、わじゅつってアナタ・・・^^;」

 思わず吹きかけてしまう。

「話術に磨きをかけて」どうするの。いったいアタシがどこへ向いていると思ってるの。と若干の疑問を覚えたが、すぐさま自分で打ち消した。

「芸を磨け」

それこそわたしが常々口にしてきたことだからだ。

「僕は技術屋だ。芸なぞ磨かなくても」

そのような類の反論はしょっちゅう受けている。気持ちはわかる。だがわたしはあえて言う。

「芸を磨け」

今という時代の土木屋にとって、「伝える」ことは必須のスキルだ。「伝える」ことができなければ、今という時代の土木技術者としては二流であると断言しもする。だからこそ、「伝える」ための「芸」を磨く。それは何も「話術」に限らない。話術に秀でていることとプレゼンテーション能力が高いことは、必ずしもイコールではないのである。たまたまわたしの場合、「話」というやつが重要な武器になってしまったというだけに過ぎない。

 

迂回して話は戻る。

「つなぐを造る土木屋のしごと」

「つなぐ」ため、「つなぐを造る」ため、一人ひとりの土木屋がそれぞれの「芸を磨く」。

「情報を発信せよ」などとエラそうなことをほざいていても、重大な問題や肝心要のことには口をつぐむヘタレのオジさんではあるが、これからも、わたしはわたしの持ち場で芸を磨いていこうと思っている。そして皆さんにも、「一人ひとりが自分の持ち場で笑顔でたたかえ、えぶりばでぃ」とエールを贈る。

58年と1日目。12月28日、月曜の朝。

 

 

 

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すねる上司

2015年12月26日 | 読む(たまに)観る

久びさに、自然と朝早く目が覚める。快調だ。『「俺は聞いてない!」と怒りだす人たち 』(榎本博明、朝日新書)のつづきを読む。

 

 

こちらが期待するように部下が甘えてくれないとき、上司は「すねる」。(位置No.689)

 

部下は自分になんでも報告してくれるものと思っていたのに、なぜか報告してくれなかった。それを知った上司は、不当な扱いを受けたと思い、「ひがむ」(同695)

 

 世話焼き型の上司は、まさにこのような甘えの心理メカニズムをもっている。部下との間に心理的一体感を強く求めている。遠慮なくなんでも言うことができ、どんな情報も共有し合える関係を強く求めている。相談されたい。意見を求められたい。思うことを言ってほしい。自分でものを考えられるようにならなきゃダメだと口では言いながら、じつは部下から頼られたいのだ。

 ゆえに、部下がよそよそしかったり、自分との間に距離を取ろうとしていると思えば、受け入られない淋しさや、期待を裏切られた恨みを抱きがちである。

「私は頼れない上司というわけか」

「どうせ、俺のアドバイスなんか必要ないだろう」

 などとすねてしまう。(同708)

(太字、宮内注釈)

 

 

「いや~、コリャまいったな~」と頭を掻く。

「ゆえに・・・」から後段なぞには、食べていたヨーグルトを思わず吹き出しかけた。

 

「どうせ、俺のアドバイスなんか必要ないだろう」

 

ドキッとして、苦笑いを浮かべ、しまいに「う~ん」と唸りだす。

むむむむ・・・・・

もういくつ寝るとお正月・・・・・・

さながら、モチを喉に詰まらせた老人のように、赤くなったり青くなったり。

秀逸すぎる指摘に言葉が出ないわたし・・・・・・(-_-;)

 

 

「俺は聞いてない!」と怒りだす人たち (朝日新書)

榎本博明著

朝日新聞出版 

 

 

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「正しい上司と愚かな部下」というペアはないのです(橋本治)

2015年12月25日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

果たして、「正しい上司と愚かな部下」という組み合わせはあるでしょうか?

「そりゃあるさ、大いにあるさ」と言いたい方はいくらでもいるでしょう。しかし、これは間違いです。どうしてかと言うと、部下を愚かなままにしておく上司は、「いい上司」でも「正しい上司」でも「賢く正しい上司」でもないからです。部下の愚かを野放しにしておくのは「愚かな上司」です。

「愚かな上司と正しい部下」の組み合わせはあり、「愚かな上司と愚かな部下」の組み合わせもあって、「正しい上司と愚かな部下」というペアはないのです。

(『上司は思いつきでものを言う』橋本治、集英社、P.156より)

 

上司は思いつきでものを言う (集英社新書)
橋下治
集英社

 

当ブログでは、何度も何度も引用した文章だ。 それぐらいわたしは気に入っているし、いっとき会社人としてのわたしの道標となった文章でもある。

今さらながら言っておくと、これ、「上司と部下」を「教師と生徒」に置換えても、「上司と部下」を「親と子」に置き換えても同じことである。教えるほうと教わるほう、あるいは導く側と導かれる側、彼我の間がそんなふうな関係の場合、すべからく通用する言葉なのだ。この場合、「上司」と「部下」は比喩に過ぎない(とわたしは解釈してます)。

相手が「愚かな」のはおのれの責任ではない。なぜならば、自分は「正しい」から。と、おのれの「正しさ」を疑いもせず、相手がなぜ「愚かな」のか、どうやったら「愚かな」状態から脱け出させてやれるかを考えもせず、自分の「正しさ」に固執しているばかりでは、結局のところどちらも辛い。上司も辛いし部下も辛い、上司と部下ならなお辛い。

 

上司には「命令することが出来る権限」もありますが、しかし上司とは、「命令をする者」ではないのです。「命令」は、「それが出来る権限」に付随しているだけで、「上司=命令する者」は、あなたの単なる誤解です。(P.88)


繰り返すが、「上司」と「部下」は比喩である。

少なくとも、わたしはそう解釈している。

そしてこれからも、自戒の言葉として持ちつづけさせてもらおうと、そう思っている。


「愚かな上司と正しい部下」の組み合わせはあり、「愚かな上司と愚かな部下」の組み合わせもあって、「正しい上司と愚かな部下」というペアはないのです



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文脈(コンテクスト)

2015年12月24日 | 読む(たまに)観る

『「俺は聞いてない!」と怒りだす人たち』(榎本博明)を読んでみる。

Amazonで本のタイトルを目にして、「ん?オレか?」と気になり購入したものだ。よくよく考えてみると、いやそれほど深く考えないでも、タイトルに釣られてしまったことは瞭然としている。「でも、ま、いいか」。ボリボリとボウズ頭を掻きつつ読み始める。

四分の一ほど読み進めたところで、「コンテクスト」というキーワードに引っかかってしまった。

 

 文化人類学者ホールは、コミュニケーションがうまく機能するには「コンテクスト」を考慮する必要があるとした。コンテクストとは、文脈のことである。(Kindle版、位置No.536)

 

「暗黙の了解」「以心伝心」「察し合い」「遠回しな言い方」が多用されるのも、日本人が高コンテクストのコミュニケーションが流通する文化だからといえる。欧米人がはっきり言葉に出さないと通じ合えないのをみて煩わしく思うのも、日本のような高コンテクスト文化でははっきり言わなくても汲み取ってもらえるからである。

 低コンテクストのコミュニケーションが中心の文化では、ものの見方・考え方、習慣などが多様で、共通部分が少なく、コンテクストがあまり機能しないため、意思の疎通のためにははっきりと言語で伝える必要がある。(同548)

 

「オレの目を見ろ、何にも言うな」(※)的な世界が大好きな人であるわたしはしかし、こと仕事、特にチームで行うわたしたちの仕事に関しては、はっきりと言語化して表さなければならないと断言する人でもある。「はっきり言わなくても汲み取ってもらえるから」的な方法(いわゆる「暗黙の了解」「以心伝心」「察し合い」)を好んで採用する人がいたとすれば、じつのところそれは大いなる誤解なのだ。多くの場合それは、「わかっている」「わかってもらっている」「わかりあえている」という思い込みに過ぎない。

可能な限り言語化して伝える。それなくして、「土木の仕事」が上手くいくはずはないと、わたしは信じている。情理を尽くして語ろう(伝えろう)とせずして、チームはチーム足り得ない。

だが、いくら言語化して意見や方向性を表明したとしても、皆が皆、言語明瞭であるはずもなく、その言わんとするところは勘違いされて伝わることも多い(だから「見える化」なんですが、ここでは置いときますネ)。そこで大切となるのが文脈を読み取るチカラである。 

「文脈のうえで理解しようとしない人だなあ」

折りにふれ、そんなことをしみじみと感じることがある。文脈を理解しようとせず、目先耳先の単語やセンテンスにのみ反応しながら会話をする人は、「日本のような高コンテクスト文化」のなかで暮らしていても少なくない。

他人の「言葉」だけをひとり歩きさせて、自分の腹に入れようとしてはならない。「言葉」は、文脈のなかで使われるからこそ「言葉」である。思い込みをできるだけ排除して、文脈を読み取ったうえで意味を理解しようとしなければ、「言葉」の意味はつかめない。

そういう意味からいけば、欧米だから低コンテクストで、日本人だから高コンテクストだと、わたしは思わない。コミュニケーションをうまく機能させるためにはすべからく、コンテクスト(文脈)を考慮することが肝要なのである。

 

 

「俺は聞いてない!」と怒りだす人たち (朝日新書)

榎本博明著

朝日新聞出版 

 

 

兄弟仁義(きょうだいじんぎ)は1965年3月10日に北島三郎が発売したシングルレコードおよび、それを主題歌として1966年4月23日東映で公開された日本映画である。

(Wikipedia-兄弟仁義-より)

 

 

 

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火中の栗

2015年12月23日 | ちょっと考えたこと

ふと、「火中の栗」という言葉を思い浮かべ、そういやそんなこと書いたことがあったようなと、「火中の栗」という検索ワードでブログ内を調べると、あったあった。

2012年12月21日、『栗を拾う』という投稿だ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

世に、火中の栗を拾う、という。

言わずもがなだが、炎の中にある栗は熱い。

その栗を敢えて拾ってしまおうというのは、まともに考えてみれば、バカな話しなのかもしれない。

だがしかし(イイのか悪いのか良くはわからないのだが)、私は「火中の栗」を拾ってくれるかどうかで、人の良し悪しを判断してしまう。

もちろん、そうではない人を否定はしない。

人生いろいろ、人それぞれだ。

 

よ~く考えてみたら、この言葉は奥深い。

だってそうでしょ、そりゃそうだもの

炎は熱い、が、栗は旨い。

その熱い炎に手を突っ込んだ人間だけが、「火中の栗」という特別な栗の旨さを知ることが出来るのだ。

 

とかなんとかと屁理屈をつけ、おのれの行為を正当化して、自分で自分を納得させる私 ^^;


・・・・・・・・・・・・・・・・・


「成長せんな」

と苦笑いする3年後。

バカは死ななきゃ治らない (^o^)v

 

 

 

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セルフコントロール

2015年12月22日 | ちょっと考えたこと

ついつい口をついて出た言葉に、心中「あ~あ」と嘆息する。何らかの思いがあれば、どんな言葉を吐こうともそれはそれで仕方がないのだが、大して思ってもいないことが、軽口のように出てしまうことがあるのだ。得てして、調子がよいときに限ってそうである。調子に乗りすぎ、というやつだ。

そりゃあ若いころに比べると、ぐんとその数は減った。というか、ほとんど出なくなったとも思う。出ないように出さないように、戒めてきたからだろう(たぶん)。

だから尚さら、今どきになってそれが出た日には、おのれのあまりの軽さにほとほと呆れてしまうのだ。

生来、人間が上等に出来ている人は、そんなことは気にしなくてもいいだろう。だが、元々大してデキがよくない人間は、良くしよう良くなろうと努めてきたにもかかわらず、悲しいことに、いつかどこかでポロッとメッキがはがれるときがある。つい、ボロが出てしまうのだ。

あゝ。。。

 

そんな日の夕暮れ、台地にある耕作放棄地そばで測量助手のかたわら、夕陽が沈むのを見るとはなしに見ていたらピンと来るものあり、急いでシャッターを切る。

 

 

 

 

「うんナイスショット!お陽さんじゃなく、ススキを主役にしたところがえい!」

と自画自賛したあと、

「土佐湾に沈む夕陽が枯野を染める」

とタイトルをつけ、また自己満足。

自分で自分を上げたり下げたり。

まこと食えないオヤジである。


てなことを書いていたら、今日は冬至だということに気がついた。

さて、かぼちゃをアテに、土佐鶴のぬる燗でもやってみようか。



晩秋から初冬にかけての高知東海岸には、こんなふうにさりげなく素敵な風景がどこにでもあります。

↑↑ クリックすると大きなサイズで見ることができます。 

 

 

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春の備え ~ モネの庭から(その250)

2015年12月21日 | 北川村モネの庭マルモッタン

ちょこっと寒い日が2~3日つづき、ようやっと冬らしくなってきたかと思えば、一気に20度近くまで上がった今日。

暖冬の予報はいよいよホンマモンか?と今のところは思わざるを得ないが、いやいや冬本番はこれからだ。そう断じるのはまだまだ早い。

そんな今日、モネの庭横の農道の災害復旧工事に着手した。といっても2~3日で終わるちょこっとした現場なので、着手即完成と相成るわけなのだが、大きいのも小さいのも請け負った現場に変わりはない。これから先、年度末に向けて、一つひとつを着実に終わらせていくための采配と段取りが、わたしに課せられた重要なミッションなのはいつものことである。

そんな乱戦模様の匂いがただよい始めた師走のさなか、モネの庭の裏門近くで見つけた風景。

 

 

冬本番も来ぬうちの春の備え。

カラフルな花たちが、殺伐としがちな気持ちをほんわりとさせてくれた。

なんだかとても、気分がよいのである。

 

 

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