答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「自分が語ることで自分に念押しする」(安藤桃子)

2018年11月01日 | ちょっと考えたこと

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『NHK NEWS WEB』 (2018.10.30)より

高知市在住の映画監督、安藤桃子さんが30日、高知市の中学校で講演し、映画作りの経験をもとに、信じることを貫き通すことが大切だと語りかけました。
この催しは、生徒たちに将来の進路について考えてもらおうと、高知市の愛宕中学校が、県内で映画監督として活躍する安藤さんを招いて開きました。
中学校の体育館に集まった450人余りの生徒たちは、自分たちで事前に考え画用紙に書いた質問を一斉に掲げ、安藤さんが質問に答えていきました。
「サンタさんを信じますか」という質問に対し、安藤さんは「信じます」と断言したうえで、「100人がいないと言っても、あなたがいると思えば、自分の中に存在が生まれる」と話し、信じることを貫き通すことが大切だと語りかけました。
また、「夢は叶いません」と切り出したうえで、「夢と言ってる時点で、遠い世界の空想事です。未来をすべて現実のことだと思って、まずは近い未来から想像して動いてみてほしい」と呼びかけていました。

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「おっしゃるとおり」

おととい、TVニュースを観ていたわたしがひざを打った言葉は、じつはこのWEBニュースには書かれていない。それは、桃子さん自身が出前授業というやつで話をしたことに対しての感想だった。

「自分が語ることで自分に念押ししている」

いささかくどくなるが、わたしの勝手な想像で括弧をつけるとそれはつまり、

「自分が(他人に)語ることで(他人に語ったその内容を)(それを聴いている)自分に念押ししている」

ということなのだろう。

「自分に念押しする」という行為は、「自分が語る」というアクションがあってはじめて、それに伴ってくるものとしてある。自分の考えを言語化してアウトプット(出力)することなしには、自分へのフィードバックはない、か、もしくはあったとしてもたかが知れている。なぜならアウトプットをすると「わからない」自分を「わかる」ことができるが、アウトプットをしなければ、いつまでたっても「わからない」自分は「わからない」まま。つまりアウトプットは、「わからない」を「わかる」へと変換するためのスタートであり、さらに次の「わからない」へと誘(いざな)うためになくてはならない行為なのである。

よく「自戒の念をこめて」という。

わたしもよく使っていたが、ある頃合いから使うのを控えるようになった。あまり頻繁に使用すると、なんだかチトよい子ぶりすぎているような気がしだしたからだ。いや、「よい子」ではないな、「よいオジさん」だ。使っている当の本人は、まことにもって真面目至極にそう思うからこそ「自戒の念」という言葉が素直に出てくるのだが、思い浮かんだ言葉を素直に出せばそれでいいというものではない。ましてや、いい歳をした大人ならなおさらだ。そんなことを考え始めると、使えなくなった。それが、「ある頃合い」である。

そんなわたしの胸に「自分に念押ししている」という彼女の言葉は、やけに素直でさわやかに響いた。

 

「自分が(他人に)語ることで(他人に語ったその内容を)(それを聴いている)自分に念押ししている」

 

れっつアウトプット、あんど、れっつ念押し。

出力しようぜ、えぶりばでぃ。

 

 

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