おととい、己の心情を寅さんに仮託して「泣いてたまるか 」と書いた。いや正しくは、「オレが泣いてもなんにもでない」なのだが、そこんところはどちらでも同じ。無意識のうち、逆説的に表現しただけのことだ。なんのことはない、ただ単に「泣き」を入れてしまっただけのそんなわたしへ今日の昼下がり、東北東からOさんが反応してくれた。「ありゃたしかに名曲だが、寅さんはこうも言ってるんだよ」と。
「泣きな。いくらでも、気のすむまで泣いたらいいんだよ。」
持つべきものは盟友だ。
思わずグッときたわたしがすぐさま思い出したのは、『竜馬がゆく』のワンシーン。亀山社中での陸奥陽之助と竜馬の会話だった。
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竜馬は長崎にもどってから思案しぬいたがうまい工夫がない。
十日目の朝、陸奥陽之助が訪ねてきたのをさいわい、
「いっそ、社中を解散するか」とまでいった。
陸奥はおどろいた。
「正気ですか」
(中略)
「さすがの坂本さんも万策つきたとみえますな。私は天下に、こまらぬ男というものは長州の高杉晋作とわれわれの坂本竜馬だけだと思っていたが、これはちがったな」
「なんだ、そのこまらぬ男というのは」
「いや、長州できいた話ですよ」
と、陸奥は、暗に竜馬をはげますつもりらしく、こんなことをいった。
(中略)
「長州人にいわせると、高杉の秘術のタネは一つだそうですよ。それは、困った、ということを金輪際いわない、ということだそうです。かれの自戒だそうです」
「おれはよくいうよ」
「高杉はいわぬそうですな」
高杉晋作は平素、同藩の志士に、「おれは父からそう教えられた、男子は決して困った、という言葉を吐くなと」と語っていた。どんな事でも周到に考えぬいたすえに行動し、困らぬようにしておく。それでなおかつ窮地におちた場合でも、
「こまった」
とはいわない。困った、といったとたん、人間は智恵も分別も出ないようになってしまう。
「そうなれば窮地が死地になる。活路が見出されなくなる」
というのが、高杉の考えだった。
(『竜馬がゆく~回天編』P.43~44)
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じつは、2016年4月5日の当ブログでこのくだりを紹介し、
この歳になってあらためて読んでみると、竜馬(らしさ)は当然よく、それを表現する司馬遼太郎の筆致も大好きなのだが、それと同等、いやそれ以上に「高杉の考え」というのが素晴らしいなと思えてくる。「人間、窮地におち入るのはよい。意外な方角に活路が見いだせるからだ」という部分である。
という感想を書いている。
当然のことだが、星雲の志とともに『竜馬がゆく』全5巻をボストンバッグに積み込み宇高連絡船に乗ったという過去を持つわたしのことだ。初めて読んだ中学時代も、再読した高校時代も、再再読した大学時代も、そしてその後(たぶんあと2回ほど読んでいる)も、「こまった」という竜馬に肩入れしながら読んだはずだ。それが、齢60を目の前にした2年前には「高杉」のほうに傾いている。
では今は・・・
やはり「高杉の考え」がよいのに変わりはない。
だが・・・
当の自分自身はともかくとして、「こまった」という素直な言葉を吐けるのも悪くないと思う。
昼下がり、「寅さん問答」からそんなことなど考えた。
朋有り遠方より(言葉だけ)来る。
インターネットという時代も悪くない。
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