『中村仲蔵』を聴く。
江戸中期の伝説の名優に題材をとった噺だ。
三遊亭圓生
古今亭志ん朝
古今亭志ん生
の順で来て、八代目林家正蔵(現正蔵ではなく、いわゆる“彦六の正蔵“)を風呂場で聴いていたそのとき、妻が戸をあけた。
「なんだ落語か」
「なんだ」とはこちらが言いたいと、返そうとした言葉を待とうともせず踵を返し、背中を向けて妻がつぶやいた。
「おばあさんの声にそっくり」
おばあさんとはわたしの亡母。彼女にとっての姑だ。
ん?
彦六が?
まさかそんな?
あらたまって聴いてみると、あら不思議。
言葉の端々が、まこと最晩年の母の声に似ているのだ。
ではこうすればどうだろうと、目を閉じて聴いてみる。
ますます似て聴こえてくる。
思わず笑ってしまった。
そうこうするうちに胸につまるものあり。彼女があの世へと旅立ってから2年半。一度たりとも泣いたことはなく、まったくもって親不孝者だなと、自嘲にも似たものを感じていたが、思いもかけないシチュエーションでそれはやってきた。
といっても、YouTubeの画面に目を移すと、当然のことながら母とは似ても似つかぬ爺さんがそこにいる。
また笑いがこみ上げてくる。
ふたたび目を閉じると浮かぶ母の面影。
さすがの林家彦六も、自身の噺をこのようにして聴く人間がいるなど、とうてい考えもつかなかっただろうなどと思いながら、しばしの時を泣き笑いにどっぷり浸かりながらすごしているうちに、茹蛸然となってしまうスキンヘッダー。
いやはやなんともこりゃどうも。