宮本常一の『忘れられた日本人』(岩波文庫)の冒頭、『対馬にて』という20ページあまりの短い文章がある。
忘れられた日本人 (岩波文庫) | |
宮本常一 | |
岩波書店 |
伊奈の村は対馬も北端に近い西海岸にあって、古くはクジラのとれたところである。
という書き出しで始まるその文には、これがわたしの生きている現代の日本と場所を同じくする国なのか、と戸惑いを覚えるほどに衝撃的な意思決定システムが紹介されている。
いや、「衝撃的」というよりは、むしろ牧歌的という表現がそのシステムにはピタリと当てはまるのだろうが、今という時代のなかでも特にイラレでスピード優先主義で生きてきたわたしには、色んな意味で「衝撃的」で深く考えさせられるシステムだった。引用する。
村でとりきめをおこなう場合には、みんなの納得いくまで何日でもはなしあう。はじめには一同があつまって区長からの話をきくと、それぞれの地域組でいろいろに話しあって区長のところへその結論をもっていく。もし折り合いがつかねばまた自分のグループへもどってはなしあう。用事のあるものは家へかえることもある。ただ区長・総代はきき役・まとめ役としてそこにいなければならない。(P.13)
そして話の中にも冷却の時間をおいて、反対の意見が出れば出たで、しばらくそのままにしておき、そのうち賛成意見が出ると、また出たままにしておき、それについてみんなが考えあい、最後に最高責任者に決をとらせるのである。(P.20~21)
もちろんこの宮本常一の一文をもって、こういったことが昭和初期の日本すべてで行われていたと断言するつもりはない。だが、対馬の伊奈という村だけのことではなかったのだろうとは推測できる。
今という時代を生きるわたしにとっては異文化と言ってもいい。そんな方法が存在していたということそのものが驚きだ。
とはいえ辺境の村に生きるわたしだ。思い当たるところがないではない。 仕事であれ私事であれ、田舎暮らしをしていると、このわたしが身体感覚として持つスピードが他の多くの人たちと違う場面によく遭遇して、今でも戸惑うことがよくある。
今だからこそ戸惑っている、というべきか。
かつての彼我の関係は、わたしが普通で向こうがのろかった。それに比して今は、向こうが普通でわたしが速い。いわずもがなだが、関係性は変わってなく、わたしの感覚が変わってきただけのことである。
そうでも思わなければやっていけない、からではない。
自分の言論や感覚が正しいかどうかを疑ってみることなしに、自分と異なる他人の批判ばかりしていても、事は進まないからである。
だとしても、いくらなんでも伊奈村の例は冗長的に過ぎるだろうよ、とお思いのそこのアナタ。
うん、その気持ち、ごもっともだ。
わたしとてそう思う。だから「衝撃的」だったのだ。
いくらなんでもこれを真似をしようとは思わない。だが、ときには、そんな意思決定システムもある(あった)という事実に想いを馳せてみることも必要なのではないかとは思う。
とりあえずは大きな流れの中で流れて、それ以上のスピードで流れることで独自性を保つ(川俣正)
というモットーを取り下げるつもりはない。
だが、大きな戦略の中ではそうであっても、局地的戦術では、「ゆっくり」も「冗長」も、そして「一旦停止」すら意味を持つ。
(アタシがどうやってそれに折り合いをつけるか、ソイツが大きな問題ですがネ)
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