西へ西へと近づくたびに雨足は激しくなり、
「たどりつけるんだろうか?」という不安が頭をよぎる。
そりゃそうだ。
進路は、アメダスで真っ赤かの部分、正しくそちらに向いているのである。
海を見ると、山から流れてきたとおぼしき流木やら何やらが、そこらじゅうに浮かんでいる。
7月14日土曜日、八幡浜発別府行きフェリーの船上から見た風景だ。
幸いなことに目的地である大分市は(私が着いたときには)さほどのこともなく、
既報どおり、初参加の「建設ブロガーの会」は、私にとってじつに有意義なものとなり、
まさに「正しい時に正しい場所にいる幸運」を実感した一日となった。
翌日、せっかく九州に上陸したんだものとばかり、寸暇を惜しんであわただしく観光に向かったその先は、湯布院。
その道中や目的地では、彼の地の同業者たちが、休日を返上して大雨後の応急復旧作業にいそしんでいた。
「時と場所が変わればアタシはあっちにいる人間なんだな」
とかなんとか思いながらも、今回は観光客である。
無責任な旅人は無責任な旅人にふさわしく、知らぬ存ぜぬを決め込んでいるのが大人の所作というものだ。
とかなんとか格好つけてはみたものの、心持ちとしてはそんなことが出来得るはずもない。
「どちらからいらっしゃったんですか?」
立ち寄った土産物屋のオネエさんにそう尋ねられ、
「高知からです」と答えると、
「この前の雨、大変だったんでしょう?テレビで見ました。大丈夫でしたか?」との返事。
あんな大雨の後にもかかわらず、他人の身を心配してくれるという、なんとも健気で優しいその言葉に、
ほんの何日か前は私もまた当事者だったのだということに気づく。
いまさらながら、私たちにとってそういった行為が、それほどに「当たり前」のことだということなのだろう。
(現に由布岳の直下で、某役所から崩土除去の依頼電話が1件入ってきた)
ましてやその前日には、「災害復旧における建設業者の役割と、その情報発信のあり方」について、エラそうに一席ぶった私だ。
同業者たちが取り除く水を含んだ土の重みも、いつもなぜかやたらと熱い被災後のあの陽射しも、我と我が身の実感として受け取ってきた(つもりだ)。
そしてそれをひと言で言い切ってしまうなら、
やはり、「日本には建設業が必要です」でしかないのだな。
米田雅子+地方建設記者の会
建通新聞社
(^_^;)