答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「しかし大事なのは、我々はもともと他人が喜ぶのを喜ぶ生き物だという認識だろう。変な言い方だが、我々は自分のなかの己と同じように、他人のなかの己も可愛いのである。」(玄侑宗久)

2018年08月15日 | 読む(たまに)観る

玄侑宗久さんの『私だけの仏教』を読んだ。

「不害の説法」という話があった。

パセーナディ王の悩みに対する釈尊の答えだ。

文中から引用する。

 

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 釈尊の信者になっていたパセーナディ王妃は、あるときお城のバルコニーから領地を見下ろしながらふと思ったのだと云う。「この国土、いやこの世界じゅうに、自分より可愛い、自分より大切な存在は見いだせない」と。この思いに罪悪感を抱いた彼女はすぐさま王様に相談する。するとパセーナディ王も「自分にも同じように思える」と正直に答え、その考えは王や王妃として極めて不的確なのではないかと訝しんで、釈尊に相談に行くのである。

 一部始終を聞いた釈尊は答える。「その考えは全く間違っていない。誰もが自分ほど可愛い存在はもてないのだ。しかしあらゆる人間がそう思っていることを深く認識し、他人が己を可愛がりたい気持ちを害してはならない」(Kindleの位置No.1197あたり、太字みやうち)

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玄侑和尚はこの前節でこう書いている。

 

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 概して言えば、布施とは積極的に相手を喜ばせる行為と云えるだろう。本来この世でいちばん可愛いのは自分だと、認めてしまうのが仏教である(パセーナディ王に対する釈尊の「不害の説法」)。だとすれば他人を喜ばすことなど欺瞞だという人もいるだろう。しかし大概のことは、他人のためと考えなくても、それを見て喜ぶ自分のためと考えられる。それは例えば、無欲であろうとすることが「無欲でありたい」という欲求の充足を目指すのと同じ理屈である。

 しかし大事なのは、我々はもともと他人が喜ぶのを喜ぶ生き物だという認識だろう。変な言い方だが、我々は自分のなかの己と同じように、他人のなかの己も可愛いのである。(No.1174あたり、太字みやうち)

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これを読んでるわたしは、「自分が可愛い人間」だ。可愛くて可愛くてたまらないといってしまうと気持ちが悪くなるのでそこまでは言わないが、相当な「自分可愛い人間」であることはまちがいない。

だからこそ玄侑和尚の言葉が身に染みる。

我々は自分のなかの己と同じように、他人のなかの己も可愛いのである

けっして「変な言い方」とは思わない。

ストンと腑に落ちた。

 

私だけの仏教 あなただけの仏教入門 (講談社+α新書)
玄侑宗久
講談社

 

 

 

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