答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

『考えすぎない生き方』(藤田一照)を読む

2019年01月09日 | 読む(たまに)観る

北川村温泉そばの現場から会社への帰路、時間通行制限で足止めを食う。

といっても、もちろんそれは折り込み済みのことで、待つのはいっとき。ほんのわずかな時間だがKindleを開き読みかけの本を読む。

藤田一照さんの『考えすぎない生き方』だ。

 

 

考えすぎない生き方

藤田一照

大和書房

 

開いたページに書かれているテキストがいきなり胸に刺さった。

・・・・・・

自己中心的にもっと良い人生にしたいと思う。自分がより多くの幸せを享受しようという構えで生きている。この「もがき」「あがき」が、善悪、愛憎、悲喜、快苦などさまざまな対立葛藤の世界を作り出している、そもそもの元凶です。

・・・・・・

おっと来たな。

読むなりそのテキストに引きずりこまれた。

つづきはこうだ。

・・・・・・

 私たちは普段、「私」とそれを取り巻いている「世界」との間で、ごちゃごちゃとした悲劇とか、喜劇とか、ロマンスとか、いろんな物語が錯綜しながら展開していく、そういうのが「人生」だと思って生きています。

(略)

 そこでは常に、「私の物語」の中にあってはいけないあれやこれやの問題をなんとかしたいと思い、それができたとかできないとかで一喜一憂しながら右往左往して生きているのですが、「私という物語」そのものは手つかずのまま放っておかれています。

 私たちはたいていの場合、よくない出来事が起きたとき、「私の物語」に対するお邪魔虫みたいな存在としてその問題を見てしまいます。英語でいえばproblemです。「私」にはなにも問題がないはず、問題があるのは外側のほう、だから外側をいじれば問題が消えるはずだ・・・という路線での思考に陥ってしまうんです。あいつさえいなければとか、この人がこうしてくれたらとか、これさえうまくいけば、というように。

 これって、「私」をいじらないためのトリックですよね。「私」をそのままにしておいて、「私」の外側をいじる。いじるというのは操作する、こちらの都合のいいように変えようとする、という意味です。でも、問題を作り出しているのは、外側の誰かや何かじゃなくて、実は「私という物語」そのものなんですね。

(略)

「私」がこうあるべき、こうするべきでないと思っていることに従わない人に否応なく注意が向いてしまうので、気が休まる暇がありません。

「私」はちゃんとしているし、がんばっている。こんなに自分を犠牲にして奮闘しているのに、と思えば思うほど、それに見合う「ありがとう」や「ごめんなさい」を相手に求めてしまうので、誰といてもハッピーになれません。

(Kindleの位置No.610~640付近)

・・・・・・

と、ここまで読んだところでガードマンの持つ旗が赤から白に変わった。

400字詰め原稿用紙に換算すれば6枚程度の、これがきのうの全読書量。

量より質とはよう言うた。

ズシッと重く、ときに肺腑をえぐられるようなテキストの余韻が脳内にひびきわたる。

『考えすぎない生き方』という本を読んでも、あたりまえのことだが「考えすぎない」ということがあるはずもなく、当然のようにあれやこれやと考えこみながらハンドルを操るオジさんなのだった。

 

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