答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

カフェインハラスメント(カフェハラ)

2019年03月28日 | ちょっと考えたこと

カフェインハラスメントという言葉をご存知だろうか。

略して「カフェハラ」だという。

わたしは今日知った。

JCASTニュースに載っていたこの記事からだ。

「来客にコーヒー提供」は「カフェハラ」? マナー講師の見解は...

「なんでもかんでもハラスメントとつけりゃいいってもんじゃないよ」とふだんはハラスメントという言葉に辟易としているくせに、オジさん、この「カフェハラ」という言葉には得たりとうなずいた。

なぜか。

じつはわたし、コーヒーが飲めない人なのである。

無理して飲めないことはない。

だがそれは「よっぽど無理してなら」というほどの無理であって、そのあとは十中八九ひどい胸焼けとなるので、飲むときはよほど腹をくくって飲まなければならない。

いや大げさではない。

「酒はあれほど呑むくせに・・・」

そうそう、私が「だめなんですよ、コーヒー」というと、たいがいの人は、そうおっしゃるし、それはたしかにそうなのだが、ダメなものはダメ、わたしはコーヒーが大の苦手なのだ。

そんなもんだから、こちらの都合をきかずに出てくるコーヒーへの対応はというと、相手との距離感によってほぼ次の段階に分かれる。

「飲めないんです」と言う。

なにもいわずに飲まないで置いておく。

「男の気持ち」で飲む。

いや笑わないでほしい。

これが、ときには憂うつにもなってしまうほどの、けっこう大きな問題なのだ。

「カフェハラ」

わたしがその言葉の響きに得たりとうなずいたのも、「むべなるかな」と理解していただけただろうか。

 

JCASTニュースの記事によると、なんでも発端は、『はてな匿名ダイアリー』への投稿だという。調べてみたら3月20日、まだあたらしい。

コーヒーを軽々しく勧めないで!「カフェハラ」ですよ

全文を読んでみた。

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アルコールと同様に、カフェインも健康に対する影響は個人差が大きいので、軽々しく勧めるなどの「カフェハラ」をしてはならないのだ。私が望むのは、カフェイン摂取をセルフコントロールできるような社会である。

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と締めくくっていた。

どうやら投稿主さんは、カフェインを問答無用ですすめられることを問題視しており、「こちらの都合もきかずに出てくるコーヒー」はそのもっとも典型的で顕著な例としてあるようだ。わたしとはチトちがう。

わたしはコーヒーが苦手なだけだ。

そしてその苦手なものが、ほぼ問答無用で出てくるということに、いちいち対応することが辛いだけだ。出してくる相手を責めようという気持ちはほとんどの場合にない(何度か言ってもわかってくれない場合はそりゃね)。「ったく、たかがコーヒーぐらい、ひょいひょいと飲めないもんかね」という思いが忸怩としてあるからだ。

そんなわたしの心持ちにピタリと当てはまるのは、JCASTニュースの記事中で紹介されたナンシー関のこの一文だろうか。

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私はコーヒーが嫌いである。理由は、おいしくないと思うからだ。 単なる嗜好品の好き嫌いであるから、非難される筋合いのものではない。確かに非難はされない。しかしそれは、コーヒー好きの人たちの視野の中に『非コーヒー好き』が入っていないからである。 『よもやコーヒー嫌いなんて人がこの世に居るなんて』ということである。だから、いろんなところで『当然』のようにコーヒーを出される。もてなしという善意が前提にあるだけに、 我々コーヒー嫌いに残された選択肢は『手をつけない』だけである。これをコーヒーのファシズムと言っては言いすぎだろうか。

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さすがナンシー関だ。わたしは諸手を挙げてこの説に同意する。

コーヒーがきらいになってこのかた(じつは昔は飲んでいた。それもけっこうな数を。ある時期からだめになったんですねコレが)、折に触れてはこれと同じような思いを持ちつづけてきたからだ。

しかし、そこで気をつけなければならないことがある。被害者ヅラして「ハラスメントだ!」と叫ぶその前にまず内省という行為が必要だ。

それはどういうことか。

「そういうオマエは別のモノや別のコトで同じ意味合いのことをしてはいないか?」

と自分自身に問いかけてみることだ。

かつてわたしは、それを酒席に置き換えてみた。

そして反省した。

それ以降、「やれ呑めやれ呑め」という行為を自省するようになった。「さあ呑もうぜ」と大いにすすめはするが、無理強いはしなくなった。

とはいえそれはそれとして、今でも、カフェインハラスメントと同様の行為をしていないかといえば、真っ白でございますと断言できるほどの自信はない。だが少なくとも、そういう心持ちを胸に抱いて生きてはいる。

 

コーヒーぎらいのわたしが今日、「カフェハラ」という言葉を知った。

思わず得たりと膝を打ったが、よくよく考えてみるとわたしには似合わない言葉だ。ごくごく近しい間柄でジョークとして使わせてはもらうが、それ以外では使うことはないだろう(たぶん)。

 

 

 

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