答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

ゆらぎながら

2018年09月24日 | ちょっと考えたこと

目の前の現実に心を適応させ、ゆらぎながら重心をとり直し、そのときどきに合ったやり方を採用して現実に対応する。それをサボるな。

 

そんな言葉が折にふれてはアタマのなかをぐるぐると駆けめぐっている今日このごろ。出典は玄侑宗久さんの『ないがままで生きる』だったはずだ。あまりにも頻繁に登場するものだから、正しくはどのような表現だったかをたしかめてみようと、ネタ元をあたってみた。

 

ないがままで生きる (SB新書)
玄侑宗久
SBクリエイティブ

 

目の前の現実に合わせて自身がゆらぎながら重心を取り直すことである。(P.123)

ゆらぎながら、新たな重心を常に捜し、そのときに一番いいやり方を、模索するべきではないか。(P.124)

 

主旨はこれでいい。だが少しちがう。わたしのなかのキーワードは「ゆらぎ」「重心」「サボる」。たしかに「サボる」という言葉があったはずだ。とすると、ここではなかったか?ちょっと自信がゆらいできた。ここでなければ・・・あそこか?

ということで、別の本を二三あたってみると、それらしきものがあった。

 

まわりみち極楽論 (朝日文庫)
玄侑宗久
朝日新聞出版

 

無理無体な現実に直面したとき、心をそれに適応させる努力をしないことを「我慢」というんです。心や意識を変容させることで「我慢」などせずに済むのに、それをサボって怠慢してるのが「我慢」です。(Kindleの位置No.2254)

 

どうやら、この2つを拠所にして、わたしのなかで合体されたものが、冒頭の文句だったようだ。

 

目の前の現実に心を適応させ、ゆらぎながら重心をとり直し、そのときどきに合ったやり方を採用して現実に対応する。それをサボるな。


そんなこんなを繰り返すうちに、いつのまにか持論のようなつもりになって吹聴するのだろうな、と考えるとなんだかとても可笑しくて、独り苦笑いする週明けの朝。

 

 

 

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