答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「私を目標にしないでください。責任がとれない。」(大坂なおみ)

2018年09月14日 | ちょっと考えたこと

全米オープンを制した大坂なおみさんが帰国後開いた会見を見るとはなしに見ていたら、こんな言葉が飛び出し、急いでメモした。

 

「私を目標にしないでください。責任がとれない。」

 

「テニスを楽しむ子どもたちへメッセージを」という趣旨の質問に対する答えだったと思う。オジさんの身体のなかを一陣の爽風が吹き抜けたような、なんだかとても清々しい気持ちになった。

瞬時に思い浮かべたのは、昨今の高校球児、特に甲子園で開かれる全国大会に出場する生徒さんたちがよく言うところの、「感動を与えたい」「勇気を与えたい」「希望を与えたい」「子どもたちに夢を与えたい」・・・という類(たぐい)の言葉だ。わたしはアレが大嫌いである。そして、たぶん真剣にそう思っているであろう高校生たちがかわいそうになってくる。

「なにをそんなにしゃっちょこばってんの?たかがスポーツだろ?結果として”感動”や”勇気”や”希望”をもらう人たちはたしかに数多くいるにせよ(そういうわたしもそのなかのひとり)、少なくともキミたちは一所懸命野球をやってりゃそれでいいんだよ」てなもんである。

高校球児だけをやり玉に挙げてはチトかわいそうだ。様々なスポーツのビッグイベントがあるたびに、その種の発言はあとを絶たない。というか、常套句になっている感すらある。彼彼女らは、その姿勢や態度があまりにも不遜であること、そしてその言葉が傲慢であることに気づいてはいない。いったいどこまで背負い込めば気が済むのだろう。周りのオトナが教えてやれよ、といつも言いたくなってしまう(周りのオトナもそう思い込んでいるという可能性は大ですが)。

それに比べると、大坂なおみさんの言葉は、いかにも幼い。トッププレイヤーとして、あとにつづく少年少女たちに対して責任を持った発言をしなければ、などという気負いの欠片もない。若干二十歳にしてあれだけの快挙を成し遂げた人ならば、「少年少女の目標とされる選手になれるよう、これからも精進します」ぐらい言ってもよさそうなものだが、彼女の口をついて出たのは、「私を目標にしないでください。責任がとれない。」という、考えようによってはあまりにも身勝手な言葉。

しかし、オジさんは拍手喝采だ。

それでいい。

それでいいのだ。

スポーツをプレイすることが、結果として利他となることはあっても、スポーツをプレイする者が端(はな)からそれを考える必要などさらさらない。


「私を目標にしないでください。責任がとれない。」


テレビジョンの向こうでそう答える大坂なおみさんを見て、特別に意識してはいなかった彼女が、いっぺんで大好きになったオジさんなのである。



 

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