答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「希望」はつながる

2018年08月20日 | ちょっと考えたこと

朝、いつものようにNHKニュースを見ていると、釜石鵜住居復興スタジアムのお披露目イベントの様子が映し出されていた。鵜住居(うのすまい)は、「釜石の奇跡」の舞台となったところである。その鵜住居小学校の跡地にできた釜石鵜住居スタジアムは、来年開かれるラグビーW杯の開催会場のひとつだ。

「ここって青木さん家の近くぜえ」

納豆飯をかき込むのを止めテレビに見入るわたしがそう言うと、弁当をつくる手を止め、女房殿もテレビを見た。東日本大震災から約1年後、青木さんの案内で訪れた鵜住居地区を頭の中に思い浮かべながら見るテレビ画面では、釜石高校の女子生徒によるキックオフ宣言が行われており、その凛とした姿が印象に残った。

青木さんからの、「全文を読んでほしい」というメッセージを見たのは、それから6時間ほどしてからだ。

女性の名は洞口留伊さん、釜石高校の2年生だという。

 

キックオフ宣言の全文は以下の通り。

(日刊スポーツhttps://www.nikkansports.com/sports/news/201808190000749.htmlより)

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わたしは、釡石が好きだ。海と山に囲まれた、自然豊かな町だから。わたしは、釡石が好きだ。空気も人の心も、温かくてきれいな町だから。わたしは、ラグビーが好きだ。釡石でのラグビーワールドカップ開催を知り、市が募集をしたラグビー親善大使に応募して2015年のイングランド大会で人生初のラグビーを観戦し、会場の雰囲気とその迫力に圧倒されたから。わたしは、ラグビーが好きだ。試合後、ファン同士が敵味方関係なく握手をし合い、一緒になってゴミ拾いをしている姿に感銘を受けたから。

 7年前の3月11日。小学校3年生だった私は、算数の授業を受けていた。防寒着を来て、校舎の5階へ逃げた。土砂崩れが起きて、もっと高くへ逃げた。うしろを振り返れば、鵜住居を飲み込む津波が見えたかもしれない。けれど、私は「とにかく逃げなきゃ」と焦っていた。たまたま通りかがったトラックに乗って、町の体育館へ避難した。

11列に並んで2人ずつ分けたおせんべい。コップ一杯の水。そのときの自分の気持ちはうまく思い出せない。数日たっておにぎりを1つ食べられたときに、食べられること、生きていることのよろこびをじんわりと感じたことは覚えている。

 当時の私に、「この町にラグビーワールドカップがやってくるよ」と伝えても、きっと信じてくれないだろう。2019年。大好きな釡石のまちで、大好きなラグビーの国際大会が行われる。そして、このスタジアムは、完成した。そして、釡石は、世界とつながる。いま、私がしなければならないことは、あのとき、釡石のために支援をしてくれた日本中の、そして世界中の人たちにあらためて感謝の思いを伝えることだと思う。そして、私がイングランドで感じたように、町を盛り上げることが大切だと思う。このスタジアムがつくられたのは、私の小学校があった場所。入学するはずだった中学校があった場所。そして、離れ離れになってしまった友だちと、また会える大切な場所。

 今日は、そんな思いのつまったスタジアムが生まれた日。日本中の釡石を愛する人たちと、世界中のラグビーを愛する人たちと、この日を迎えられたことを祝い、そして感謝したい。

Thank you everyone in the world for your support.

We have recovered and will move on wards from the earthquake.

We are looking forward to seeing you in Kamaishi next year.

このスタジアムはたくさんの感謝を乗せて、いま、未来へ向けて出航していく。

未来への船出

2018年8月19日

釡石高校2年 洞口留伊

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「あゝそうだったのだ」とわたしが感じ入ったのは太字部分である。

この出来事については今年の3月、『希望のダンプカー』と題してこのブログで書いた。

再度掲載するので、面倒かもしれないが、ぜひ読んでみてほしい。

 

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日曜日に見た写真が忘れられず、毎日毎日何度も何度も見返している。

青紀土木さんのフェイスブックページに掲載されていた岩手県釜石市在住の写真家菊池信平氏が撮影したもので、翌12日にここでも紹介した。

ふたたび、今度はその写真だけを大きな画像で紹介したい。

 

 

のちに「釜石の奇跡」と呼ばれることになった鵜住居小学校の児童たちが、ダンプトラックの荷台に乗せられ避難所まで運ばれた写真だという。画像の状況から想像すると、避難所に着いてからの光景だろうか。右端に(有)藤倉建設という社名がある。地元の建設業者さんが所有しているものなのだろう。

ふだんダンプトラックは、土や石、産業廃棄物などを運ぶため使われている。ダンプ(dump)とは「(荷物などを)どさっと下ろす」という意味の英語だ。荷降ろしする様子がそれらしいことからこの名がついたという。土木という仕事にとってなくてはならないクルマである。その昔、(たぶん昭和40年代前半ぐらいまでは)ダンプの荷台に作業員さんを積んで現場への行き帰りをしていたのを聞いたことがあるが、平成の御世も終わろうかという今となってはそのような用途はあり得ない。土や石、産業廃棄物などを運んで「どさっと下ろす」クルマとして純然としてあるのがダンプトラックだ。言わずもがなのことながら、人を運ぶものではない。

そのダンプトラックで運ばれた子どもさんたちと、その子らに手を差し伸べ「やさしく下ろす」ヘルメット姿のおじさんたちの背中が写ったこの写真。何度も何度も繰り返し見るうち、地元の建設業者さんたちが極限状態に置かれたこのとき運んだのは、「希望」だったのではないかと思うようになってきた。そして、勝手に「希望のダンプカー」と名づけ、また繰り返し見ている。

何度見ても素晴らしい写真である。

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あゝ、あの娘さんもこのなかにいたのだ。

「希望」はつながっている。

 

 

 

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